日本の食糧自給率

 第二次世界大戦後、世界は社会主義を標榜する東側と資本主義を採る西側に分かれ、両陣営が対立する時代が訪れた。拮抗する勢力の下、冷戦と呼ばれる武力闘争のない時代が続き、わずか半世紀の間に二十五億人から五十億人へと人口を増加させた人類は、歴史上類を見ない発展を遂げた。しかし、経済的により大きな発展を遂げたのは西側諸国であった。東側においては、中央政府によって一括管理される計画経済は機能せず、綿密な計画の下に組織されたはずの官僚支配体制は人間そのものを管理する社会を出現せしめ、人々から進歩への意欲を奪った挙句、支配層の腐敗を生んだ。ベルリンの壁の崩壊、ソビエト連邦の解体により、社会主義国家群は瓦解し、マルクスの思い描いた理想世界は実現を見ることなく潰えた。多くの国が資本主義へと舵を切り、社会主義国家が姿を消してゆく中、資本主義こそが人類の採るべき社会システムだという認識が広がった。

 19世紀においてすでに誤りが指摘され、社会システムとして破綻の兆しを見せていた資本主義を推し進めた結果が21世紀現在の世界である。良きにつけ悪しきにつけ、社会主義の台頭が資本主義の暴走を食い止めていたという事実を見過ごし、人類はかつてとは比較にならぬ規模で同じ過ちを繰り返している。

 資本主義を評価する際、社会的な視点と経済的な視点、二つの視点から眺めてみるとその本質が明らかになる。経済的側面を見れば、資本主義は人類の発展に大きく寄与した社会システムであった。経済発展に伴って人類が物質的に豊かで便利な暮らしを享受できるようになったことは確かだ。一方、社会的側面に目を向けると、労働力の搾取の上に成り立つ資本主義は、社会格差を助長する。急激な人口増加は、資本主義の要請に応えて市場を拡大し、労働力を増やした結果である。意図的になされたことではないにせよ、これは資本主義の必然的帰結である。勿論、労働は人が生きてゆくための必要条件である。しかし、資本主義は生きてゆくために必要とされる以上の労働を要求する。その要求は際限なく増大し、19世紀の資本主義は労働者に1日20時間の労働を強いた。生きてゆくために必要な労働時間を4時間とすれば、残りの労働時間が搾取される部分である。そこに余剰資本が生まれるわけだが、余剰資本がどの様に得られるかといえば、市場を拡大することによってである。市場拡大とは、かつては地理上のフロンティアの開拓であった。フロンティアの消滅した現在、資本を消化し続ける市場の拡大は、人口増加という形になって現れている。人口が増えても、一部の資本家が大多数の労働者を支配する構図は変わらない。つまり、人口の多寡にかかわらず、資本家と労働者の割合は一定のままなのである。それどころか、富の偏在はますます加速し、労働者の数が増えれば増えるほど資本家の数は減る傾向にある。労働者とは搾取される側の人間であり、これを増やすことが人類の繁栄であるとは言えまい。増えすぎた人口のために、人間活動は地球の自然環境にまで影響を及ぼしている。自らの住む場所をさえ荒廃させるこのようなシステムが、人類を真の幸福へと導けると考えるのは、余りにも愚かであろう。


 資本主義が引き起こす最大の悲劇は貧富の差である。現代社会において、いったん貧困層に陥ると、そこから抜け出すのは至難の業であり、この状況は封建時代の階級社会と何ら変わるところがない。これが最も如実に表れているのが、資本主義の先鋭たるアメリカ社会である。かの国では、上位10パーセントの富裕層が総家計資産の70パーセントを保有している(2018年時点)という。さらに、上位1パーセントが総家計資産の32パーセントを保有しているというから、数字で見ると富の偏在がいかに甚だしいかが分かる。日本は確実にアメリカの後を追っており、日本における貧困は大きな問題となりつつある。

 昨今の世界情勢を眺めると、アメリカの自国第一主義、ロシアのウクライナ侵攻、中国の海洋進出、イギリスのEU離脱など、主要国の中にもナショナリズムへの傾斜を示す国が現れ始めた。自国の利益を優先させる国が増えると、権益を維持・拡大するために帝国主義への転換を図る国も出てくる。こうなると国際協調の和が乱れ、ナショナリズムの衝突は戦争へと発展する可能性がある。現にロシアとウクライナは戦争状態に陥っている。

 ナショナリズムや愛国主義は、それ自体が責められるべきものではない。国益を国の外側に求めることが問題なのである。なぜ外側に拡大してゆくのかというと、現在のナショナリズムが資本主義と結びついているからである。資本主義の根本原理は、資本を増やすことである。資本を増やすためには市場を拡大せねばならない。国内が満たされれば、市場は国外に求めるしかなくなる。先に述べたとおり、資本主義は搾取の上に成り立つ社会システムである。必然的に、資本主義経済の下では、搾取する国と搾取される国が生まれる。個人の場合と同様に、国同士の間でも経済格差が生じる。これが世界の現状であり、資本主義が続く限り、格差は広がり続ける。そして、あくまでも資本主義を追求する国は他国からの干渉を排し、ますますナショナリズムへの傾斜を強めるだろう。

 

 さて、ここからが本題である。戦争には至らぬまでも、各国がナショナリズム寄りの政策を採り、国際協調の意識が薄れ始めたとき、国の存立を維持できるのはどんな国であろうか。まず、最も根本的なところで、国民の衣食住を確保できる国であろう。その中でも生命の維持に直結するのが食であるが、下記のとおり、日本の食糧自給率はカロリーベースで38パーセントと、他の先進国と比べて極端に低い。


 カナダ     233%

 オーストラリア 169%

 フランス    131%

 アメリカ    121%

 スペイン    96%

 ドイツ     84%

 イギリス    70%

 スウェーデン  71%

 オランダ    66%

 イタリア    61%

 スイス     50%

 日本      38%

 

 たとえば戦争が起こって他国との流通が途絶えたときに、日本には自国だけで国民を養ってゆく食糧生産力がないということである。生産額ベースの食糧自給率63パーセントという数字を見ると、国産の食糧が割高であることがその要因の一つと考えられる。現在の円安傾向が今後も続けば、外国産の食糧が値上がりし、国産食糧の需要が増すことは期待できる。しかし、それを考慮に入れてもカロリーベースの38パーセントという数字は低すぎる。軍事力や経済力を増強することよりも、食糧生産の問題を解決することが先決であろう。

 食糧資源という観点から見ると、日本は世界に類を見ないほど恵まれた国である。主要穀物の米については、100パーセント以上の生産力を持っている。食の西洋化が進み小麦の消費が増えている昨今だが、パンやパスタは米粉で作ることができ、市中にはすでに代用品が出回っている。米の生産量を増やし、そこに粟やひえ、大麦などの穀物を加えればビタミンの豊富な穀物を生産することが可能だ。魚や海藻などの海産物については、日本は四方を海に囲まれているため元々天然資源が豊富である。養殖の技術も発達しているので、政府の後押しがあれば滋味豊かな海産物の生産力を向上させることも可能だ。肉やミルクについては、全国に点在するゴルフ場を牧草地に変えれば家畜の放牧が可能となる。海産物と合わせれば十分なタンパク源となるだろう。

 日本の縄文時代は1万年の長きにわたって続いたという。文字文化が発生しなかったため記録は残されていないが、これは一つの文明であったと考えてよい。大文明が発達しなかったことは、逆に言えば、日本がそれだけ住みよい場所だったということだ。緑豊かな山と世界一多様な生物種が棲息する海に囲まれた日本は天然資源が豊富であったため、農耕による定住を必要としなかったのだ。縄文時代にも定住の痕跡が認められるものの、それが国家という統治機構に発達しなかったのは、組織的構造を必要とする巨大集団を形成せずとも、十分豊かに暮らしてゆくことができたからである。農耕は後から入ってきた文化であり、日本に国家という概念が生まれたのもこれ以降である。農耕が文明の進歩を促したことは一面の真実である。狭い土地でより多くの実りを得るために作物には改良に改良が重ねられた。養殖も農耕による定住がもたらした恩恵の一つだろう。つまり、日本には、豊かな天然資源と共に、優れた農耕技術や海産物の養殖技術がすでに存在するのである。これらを活用すれば日本は食量輸出国にもなれるであろう。現在の円安傾向は今後も続く、もしくは、さらに加速すると予想される。とするなら、国家戦略を立てる上で、農業や漁業を主要産業のひとつに据え直すことも真剣に 議論されねばならない。

 都市化とは資本主義の要請に応えて工業生産力を高めた結果起こった現象である。人口過密地帯での窮屈な暮らしに甘んじるよりも、農業や漁業に従事する方が人々はより豊かで人間らしい生活を享受できるのではないだろうか。現代社会においては経済規模を拡大させることが至上命題とされるが、これはまさに資本主義の弊害である。工業生産に頼らずとも、また労働力を輸入しなくとも、日本人は十分に充足した生活を送ることが可能なのだ。日本の舵をとる人間がこれを地政学上の優位点と捉えることができるかどうかが、日本の将来を決定する。


 


 




 
















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