第8話 咲紅の秘密
黒羽は神殿の扉に手をかけたが、鍵がかかっていてびくともしない。
鍵穴と何かをはめ込む穴がある。特殊な構造になっていて、簡単には開けられないらしい。
「あーあ、やっぱりか。ま、ちょっとくらい中覗けたらくらいにしか思ってなかったけど……」
黒羽に口を塞がれ、息を潜める。
「何か音がする」
地面を這いずり回るような音がした。それも一秒足らずで音が止み、錯覚かと思うほど微かなものだった。
木の影が深く長く伸びると、不分明な灯りを目の端でとらえた。
「ひっ……幽霊……」
音にならない声を発した黒羽は、友人を追いて一人で駆け出した。
「おい、黒羽……!」
暗いので黒羽の顔色は分からなかったが、幽霊より青白くてはなっていることだろう。
苦手なのになぜ来ようと思ったのか一番の謎を残し、黒羽は豆粒ほど遠くにいた。
「そこにいるのは誰だ?」
風をも切り裂くような通る声は、咲紅の知る限り持ち主は一人だ。
名乗らないでいると、向こうからやってきた。
「悪いと反省している顔だな」
「紫影……」
「学園から脱走か?」
「違う」
「何時だと思っている。ひとりなのか?」
「ああ、ひとりだ」
紫影は瞼をぴくりと動かした。
黒い瞳に屈せず、咲紅はまっすぐに彼を見つめる。
「脱走だろうが深夜の徘徊だろうが、懲罰房は免れないぞ」
「望むところだ」
先に折れたのは紫影で、ゆっくりと近づいてくる。
紫影の背後で、黒い影が動いた。鳥類でも哺乳類でもない。
月明かりに伸びた影は紫影の背後に迫るが、紫影本人は気づかない。
音もなく近づく殺し屋は、大きな口を開けて紫影から視線を外さなかった。
「やめろ!」
紫影は視線が自身に向いていないのに気づき、即座に背後を振り返った。
大人の腕ほどある太さの蛇は、咲紅の声に反応する。
──…………、………………。
大きな口が閉じると、蛇は樹の上を滑るように上っていく。
咲紅は尻餅をつき、額の汗を拭った。こめかみを通りすぎた汗は首筋を伝い、シャツへ吸い込まれていく。拭っても拭っても汗は止まらない。
「咲紅……お前…………」
信じられないものを見るかのように、紫影は呆然と佇んでいる。
この間、数秒間もなかったが、咲紅はあらゆる可能性を挙げた。
まず一つは、当たり前だと思っていたものが実は異常であったこと。
もう一つは、異常体質は紫影や黒羽ではなく、自分自身だということ。
最後は、紫影の顔色で判断し、蛇の声が分かるというのは咲紅にしか備わっておらず、断固としてばれてはならない体質であるということ。
「──良かったな。俺が大声を出したから、危機から逃れたんだ」
声がひっくり返りそうになるのをこらえ、いつも通りの自分を演じた。
心の中で、蛇に対してその人は敵ではないと唱えた。蛇は反応を見せ、紫影を傷つけることなく去った。これは絶対に知られてはいけない真実──。
長い長い時間が経つ。紫影は口を開くが閉じ、瞼を閉じてまた口を開けるが、声を発しない。
紫影は拳を握りしめた。
「お前のおかげで助かった」
「紫影…………」
「ありがとう」
不器用な笑みをされたとき、下腹部が疼いた。
手足がばらばらなったのか、言うことを聞かない。
脳からの伝達とは裏腹に、咲紅は魚のように口を開けて頭部を地面につけた。
「咲紅!」
名前を呼ばれて不愉快だと悪態をつきたいのに、それも言えない。
今なら微笑んでもいいかと口元に笑みを作り、真っ暗闇に埋もれた。
目覚めは最悪なのか最高なのか、うまいこと表情を作れない。
瞼を開けると、天井よりも先に紫影の顔が目の前にあった。
にやけそうになる顔を無理やり抑え「お前がいて鬱陶しい」と言わんばかりに睨む。
「具合はどうだ?」
「具合? ここどこ?」
「懲罰房だ」
首だけを動かすと、確かに自分の部屋でも保健室でもなかった。
「療養と懲罰を同時に与えている。一石二鳥だな」
「どうりで過ごしやすい環境だと思った……」
「前向きで結構なことだ。蛇には噛まれないが、虫にはやられるんだな」
一驚して目を見開く。紫影は無反応で、こちらの反応も見透かされていたようだ。
紫影は距離を開け、顔を遠退ける。
すると天井についた防犯カメラが目に映った。ここでは余計な話はしないと、無言のメッセージを送られた。
それはすなわち、いずれ追求するからな、という圧でもある。
であれば、拷問されても言うつもりはない。
「太股を毒のある蛾にやられていた。この辺りは夏場になるとよく出る。軽度であれば痺れ程度だが、体質によっては意識を奪う。疲労の溜まった身体に刺され、悪化したようだ」
「警備隊はやられないのか……? 夜も見回りしてるのに」
「人間の鼻では感じられない、虫が嫌う匂いを身体につけている」
「それで俺だけがやられたのか……」
「その他にも聞きたいことがある。この一件とは別に、身体の不調はないか?」
「不調?」
「腹部がおかしくなる、とか」
どきりとしたが、これも知らないと押し通した。
秘密事を作りたくはないのに、どんどん増えていく。
憂苦な思いはごまかしていくしかない。おかしな病気であれば、余計にこの男に知られたくなかった。
「何かあったらすぐに言え」
「何もないから何も言えない。あと助けてくれて……それは感謝してる。あのまま外に放り出されていたら、もっと蛾に穴を空けられるところだった」
「一応聞くが、なぜ深夜に出回った?」
「報告する?」
「一応」
一応を強調されてしまった。
「ただ、散歩したかったからだ。暗すぎて道に迷った」
「分かった。そのままを報告しておく。せっかくの夏休みだが、お前はここで過ごすことになる。意識を失うほど重症だったんだ。仮に出られたとしても、部屋で寝ているしかない」
「いいよ。全然。ここにいる」
「懲罰房が好きなのか?」
「住めば都って聞いたことがないのか?」
「少しは反省しろ」
呆れた笑みにどきどきしながら、布団を被った。
「体力回復のためにしっかりと睡眠を取っておけ。昼になったら昼食を持ってくる」
「ん…………」
ぽんぽんと叩かれた腹に痺れが起こる。これが病気ならば、このまま死んでもいいかもしれないとよぎった。
数時間の睡眠後、腹を空かせた咲紅は身体を起こした。
トレーには大きなおにぎりがふたつと、味噌汁に玉子焼き。その隣には、夏休みの課題が置いてあった。
「……おにぎり」
違ってほしいとそうであってほしいとのせめぎ合いで、頭がおかしくなりそうだった。
大きさも形も見覚えがありすぎるもので、学食のおにぎりとは全然違う。
「美味しい」
片方には梅干し、もう一つはツナが入っていた。
素直にありがとうと言えなくて、せめてお礼は皿を空にしようと、甘い玉子焼きを口に入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます