第7話 肝試し

 学園では一週間、夏休みがある。八月の最後の一週間のみだが、この日は授業もなく好きに過ごせる。

 課題はたんまりと出るが、差の出る一週間をいかに過ごすか生徒の自尊心を育てるためのものだ。 たった一週間だがされど一週間。

 学食で昼食を食べていると、たくらみ顔の黒羽がやってきた。

 嫌な予感がして顔を背けるが、黒羽は構わず目の前に座った。

「夏期休暇中、肝試しやるんだけど参加するよな?」

「なにその決まったみたいな言い方……。肝試しってなんだよ」

「肝を試すんだよ」

「それは知ってる。学校のイベントか?」

「夏期休暇期間は教師も警備課も手薄になる」

「つまり、許可を得ずにやるんだな」

「お前だって迷いの森が気になるだろ」

「神殿があるくらいじゃないのか?」

 外側から白塀・森・学園と外部から守るように遮断されているが、森の中には贄候補生を守るように、または見張るように神殿がいくつか存在する。贄候補生にはまったく知らされない、贄生とならなければ一生知ることもなく卒業を迎えるのだ。

「やだー、なんの話?」

 自称・学園一可愛い代表の瑠璃がやってきた。

 咲紅としては千歳が学園一だと思っているが、あえて口にはしない。揉め事に繋がるからだ。瑠璃はこう見えて気が強い。

「なんでもねえよ」

 黒羽はぶっきらぼうに答えた。

「先生にも僕にも言えないこと? 何かくわだててるって喋っちゃおうかなあ。僕、先生のお気に入りだし」

「気に入られてるのは大学部の先輩に、だろ。お前、愛想だけはいいから。少しは咲紅に分けてやれよ」

「余計なお世話だ」

「ふっふー、咲紅君も秘密なの?」

 瑠璃は顔を近づけてきては、ぽってりとした唇を尖らせた。

 自分をどう見せれば可愛く見えるか計算し尽くされた顔だ。

「ちょっと森に出かけようかって話をしていただけだ」

「なあんだ、それだけ? それなら僕はとっくに遊びに行ったよ。ふたりとも気をつけてね。蛇が出るから」

「蛇ならそこら中にいるだろ」

「ふふっ………」

 瑠璃はそれ以上何も言わず、パスタを食べ始めた。

 黒羽は瑠璃を訝しむ目で見ているが、話す気がないのなら聞くだけ無駄だ。

 宿舎のロビーでは、千歳がうつらううらと頭が揺れていた。

 読みかけの本はエアコンの風に泳ぎ、どこまで読んだのか分からなくなっている。

 頭を支えて肩に乗せると、千歳ははっと気づき顔を上げた。

「あれ……さっちゃん?」

「おはよう。昼食食べたか?」

「んー……早めに食べた……」

 眠い目を擦り、こてんと頭を擦りつけてくる。

 咲紅の茶色かかった金髪とは違い、千歳の髪は黒く警備課を象徴する色と同じだ。

「ちょっと聞きたいんだけど、肝試しなんてやらないよな?」

 突然飛び起きたかと思えば、小首を何度も振り壊れた日本人形のようになってしまった。

「さっちゃんどうしたの? 悪いものでも食べた?」

「今日は秋刀魚の塩焼きだ」

「僕はサンドイッチにした」

「さっきのは冗談だ。忘れてくれ」

「もしかして、危ないことをしようとしてる?」

「まさか。危険な行動はしない」

「うん。また懲罰房に入れられちゃうからね」

 まだ心配そう見つめる千歳の頭を撫で、肩を軽く叩いた。

「おい、なんでお前がここにいるんだよ」

 手にはカードゲームを持ち、不愉快極まりないと見下ろす浅葱と取り巻きだ。

「なんでって、ロビーは共有スペースだろ」

「お前の顔を見てると気分が悪い」

「それは悪かったな」

 千歳は咲紅の袖を掴んだ。

 「喧嘩をしてはだめ」と「早く行こう」の感情が伝わってくる。

 すれ違い様にわざとらしく舌打ちをされたが、咲紅は聞こえないふりをして、千歳を部屋まで送った。

「部屋……行っちゃだめだよね」

「恋愛禁止の延長線で、部屋にも人を入れたらだめだからな。何かあったらおもいっきり叫べ。すぐ助けにいく」

「うん。ありがと」

 夏休み初日から最悪の展開だが、夜の肝試しは胸が膨らむ。

 森の中はいつも警備隊に阻まれて奥へは行けないのだ。

 黒羽の話はごもっともで、手薄になる今しか行けるチャンスはない。

「俺は……もう子供じゃない」

 突拍子もない考えだが、肝試しに参加しないと子供のまま成長できない気がした。

 疼く腹部を押さえて、咲紅はベッドに横たわった。


 人手のない宿舎はさらに静寂が訪れていて、いとも簡単に抜け出せた。

 噴水広場では目立つため、宿舎の裏口で待ち合わせをしていたが、すでに黒羽は到着していた。

「寝ちまったかと思ったぜ」

「まだ寝る時間じゃないし」

「今日、浅葱とひと悶着あったんだって?」

「ロビーで喧嘩を売られただけだ。俺はいいけど、千歳がいたからすぐに退散した。浅葱は前に千歳をいじめていたからな」

「いじめ? 具体的にどんなんだ?」

「最初はからかうだけだった。何も言い返さなかったり泣く千歳にエスカレートしていったんだよ。物を隠したりわざと後ろからぶつかって怪我させたり」

「陰険すぎるだろ」

「俺や教師が見ていないところでやるんだ。もし見かけたら助けてやってくれ」

「分かった。けどそういうのって、千歳が強くならないとダメなんじゃないのか? いつまでもお前の側にいられるわけじゃないんだし」

「それは……そうだけど、千歳がゆっくり成長していけばいい。いきなり谷底へ落とすみたいなやり方はしたくない」

「そういうもんかね。前から思ってたけど、ちょっと過保護だよな。千歳は俺がいないとだめーとか思ってるクチ?」

「んなわけないだろ。仲が良いだけだ」

「千歳に好きな人ができて、離れてったらどうするよ」

「それは……、」

 好きな人。そう聞いたとたん、身体の最奥から震えが起こった。

 得体の知れない何かが腹部を駆け回り、身体の持ち主の感情などお構いなしに蠢く。腹の中で蛇でもいるのではないかと、自問自答を繰り返す。

「腹痛いのか?」

「いや……大丈夫。なんでかお前の顔見てたら治まった」

「はあ? あ、俺は癒し系天使ってとこか」

 綺麗に無視し、小さな灯りを頼りに森の中へ足を踏み入れた。

 風も吹かない深夜では、少しの物音が敏感に耳で感じとれる。

 葉のかさつく音、虫の鳴き声、はっきりしない蛇の声。

「おい、どこ行くんだよ」

「誰か呼んでないか?」

「怖がらせる趣味でもあるのか。あいにく俺らだけだ」

「とか言いつつ、なんだよこの手」

 黒羽の手はしっかりと咲紅の服の裾を掴んでいる。

「地面が揺れてね?」

「まさか地震?」

 小刻みに揺れ、止まり、また揺れる。

 神殿に近づくと強くなった気がしたが、再び起こることはなかった。

 地震が静まり強気な態度になった黒羽は、先へ先へと進んでいく。

 元々、好奇心の固まりで咲紅も負けてはいない。

 何より他の生徒が知らない秘密を知ることで、大人になれる気がした。

 虫の声をかき消すように、咲紅の脳内に言霊が響き渡る。

「……咲紅? どうした?」

「ここ、危ないかも」

「え?」

──危険だ、引き返せ……。

「黒羽、やっぱり止めよう。危ない」

「急にどうしたんだよ。怖じ気づいたか?」

 茶々を入れる黒羽に対し、焦燥に駆られた。

「急にって……危ないだろ?」

 木の上で大きな鳥が翼を広げた。音に驚いた他の生き物たちも一斉に飛び交い、梟は飛翔すると月明かりが暗闇に覆われる。

「ほら、神殿が目の前だぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る