第6話 体育祭の日

 青々と茂る葉の隙間から太陽を浴びても肌がしっとりしてきて、本格的な夏を知らせる。

 この学園の体育祭は、高等部と大学部が合同で行われる。体力と体格差はどうやっても穴埋めできるものではないが、負けは許されないと午前中の競技を本気で挑んだ。

 すでに出番が終わった咲紅は、学食で遅い昼食を食べていた。

「隣座るぜ」

 良いとも悪いとも言う前に、黒羽が横にトレーを置いた。

「百メートル走一位おめでとう」

「どうも。黒羽はラストのアスレチック走だったよな」

「ああ」

 アスレチック走は四百五十メートルもある長い距離を越え、ラストの五十メートル手前では、借り物が待ちかまえている一番盛り上がる競技だ。

「借りてくるものは人だからなあ……厄介だぜ」

「適当じゃだめなのか?」

「『好きな人』なんて引いてみ? 例え適当に選んでも、司会者からマイクを通して大声で読み上げられるんだぜ」

「それは最悪だな」

「だろう? もし『好みの男』とか引いたら、お前選んでおくよ」

「はあ?」

 からあげに可哀想なほど箸が貫通した。

「『黒羽の好みのタイプは咲紅です』とかマイクを通して全校生徒の前で言われるんだぞ? たとえ嘘でも誤解は解けない。勘弁してくれ」

「むしろ嘘じゃないと選べないだろ。まさか本気で好きな人を選ぶわけにはいかないし」

「いるのか?」

「一応」

 厄介なことに、黒羽は恋する人間そのものの顔になった。

「葵さんって、めちゃくちゃ美人だよなあ……」

「警備課の?」

「あれだけ色気のある人が側にいたら息できないよな」

「……まあタイプは人それぞれだから。確かに綺麗な人だけど」

「紫影隊長といつも一緒にいるけど、深い関係なのかね」

 二度目、からあげが可哀想なことになった。衣まで剥がれ、付け合わせのキャベツとまとめて口に入れる。

「さあ、そもそもうちの学園は恋愛禁止だろ」

「禁止なのは生徒だけだろ。葵さんたちは恋愛禁止じゃないし。会いに行ってみるかな。体育祭にかこつけてさ」

「かこつけて……」

 警備課は今も仕事中だろう。紫影も警備課の隊長として動いているはずだ。

「去年の神贄祭で選ばれた贄様たちは、体育祭すら参加禁止になるって地獄だな。自由がないというか」

 禁句なのは分かっていて、黒羽は小声になる。

 贄に選ばれて大変名誉だと誰もが口を揃える。地獄など口にすれば、懲罰房は免れない。

「実際、贄様たちが行う儀式って何をするんだろうな」

「さあ。興味ないし、そもそも贄生とごく一部の人しか知らないんだろ。俺は大学部に行って外の世界へ出る」

「まずはそれか一番だよな。家族に会いたいし」

 保育部からいたわけではない咲紅だが、両親の記憶が綺麗に失っている。畑を耕したり土に触れたりしていた記憶があるが、それも曖昧だ。脳みそごとどこかへ飛んでいってしまったかのようだった。

 午後は保健室にいる千歳に会いに行った。暑さにやられた彼は、ベッドに腰掛け水筒の水をゆっくりと飲んでいる。

「あ、さっちゃん」

「午前よりも顔色が良くなっているな」

「うん、おかげさまで。最後のアスレチック走が見たいんだけど……」

「休んでいた方がいい。午後はもっと日差しが強くなるぞ」

「そうだよね……」

 大きな瞳が伏せられる。可哀想だが、体調を考えればすすめたくはなかった。

「あとでどんな感じだったか話すよ」

「ほんと? 楽しみにしてるね」

 ようやく笑顔が見られ、咲紅もほっと笑みを零した。

 競技場へ戻ると、ちょうど千メートルリレーが終わりを迎えたところだった。

「おーい、咲紅!」

 大声で呼ばれ、咲紅の回りにいた人も何かと振り返る。

「黒羽……恥ずかしい奴だな。大声出さなくても聞こえるって」

「お前、俺の勇姿を眺めろ。ゴール直前で立っとけ」

「はいはい、アスレチック走、一位おめでとう」

「分かってんな。俺は必ず一位を取るぜ」

 未来からの声を届けるついでに、白いテープが伸ばされた手前まで来た。

 アスレチック走の最大の見せ場である借り物の紙が置かれた場所には、人だかりができている。咲紅は少し離れ、木に寄りかかった。

 ピストルとともに全力で走る黒羽は、誰よりも早い。

 陸上部である黒羽は他の競技に出られない。唯一走る以外の仕掛けをこなすアスレチック走では、ストレスを発散させるかのように風になる。

 ロッククライミングも難なくこなし、着地する姿も様になっている。

 棒も持ち前のバランス力で渡り、最後は紙に向かって全力疾走だ。

 軽やかな動作で紙を広げると、黒羽は一瞬固まった。

「咲紅! 来い!」

 まさか好きな人じゃ……違ってほしいと祈りながら、下生えが茂る地面を蹴った。

 咲紅が走ると、外からは歓声が上がる。咲紅の耳には届かず、性格上負けを許したくなくて誰よりも早く走った。

 砂埃を殴りつけながら白いテープを切ったとき、ようやく外の拍手が聞こえ、達成感と共に汗を拭った。

「おっまえ! なんで俺より先にゴールしてんだよ!」

「悪い、つい」

「悪いと思ってねえだろ」

 文句を言いつつ黒羽は司会担当の生徒に紙を渡す。

『黒羽選手が引いた内容は、好きな人!』

 口笛やはやし立てる声は耳障りでうんざりした。

『黒羽選手、彼のことを気になっているんですか?』

「おう、まあな」

 無理やり肩を組まれ、咲紅はなんとかばれませんようにと祈るしかない。

『ちなみに、あなたも黒羽選手が好きだったり?』

「いや、俺は…………」

 首に回った腕に力がこもる。からあげやデザートをもらわないと割に合わない仕事だ。

「あー、そうですねー」

 演技は向いていないが、心を込めて棒読みで答えた。

 回りが盛り上がる中、咲紅は一本杉に誰かが立っているのを見た。

 見回りの最中である警備課の隊長・紫影だ。

 視線で人を殺せそうなほどこちらを睨み、瞬きすら忘れている。

「俺が何をしたんだよ……」

 歓声に消されて、咲紅の声は誰にも届かなかった。

 咲紅も負けじと睨み返し、しばらくの間、攻防戦が続いた。

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