僕をつくる話

みちはた

僕をつくる話

 隣の家のお姉ちゃんが自殺した。

 幼い頃、僕に秘密を預けてくれた明るいお姉ちゃん。


 思えば僕は、その時確かに違和感を感じていたんだ。



 ▲▼



 途方もなく長い時間を落ちていた気がする。

 ふっと心臓だけが浮き上がるような感覚がして、すぐに腰から背中、後頭部に強かな衝撃が走る。目の前が白く弾けて​────気がつけば晴天の中、僕は仰向けに倒れていた。


「…………え、」


 ​──どこだろう、ここは。

 痛みはすぐに引いて、おかげで起き上がることは出来たものの、映る景色全てに混乱する。

 僕の目を信じるなら、森のような場所にいる……と思う。木々に囲まれながらも、僅かに土の色が異なる道のようなものがいくつか繋がっている。恐る恐る立ち上がり、背中の土埃を払った。緩やかな風が足の間を抜ける。

 どこだろう、ここは。

 立ち上がっても状況は一向に掴めなかった。こんな場所を訪れた記憶はない。誰かに連れ去られた覚えもない。僕は確かに、さっきまで​────。

 グルル、と唸り声が聞こえた。

 その瞬間背筋が凍る。人間の声ではないことは考えなくても分かる。森、唸り声、とくれば、命の危険を感じる他無い。

 果たしてそれは、僕の視界にのっそりと姿を現した。

 熊だ。


「​──────」


 初めて対峙する猛獣に、必死で悲鳴を抑える。僕の身長を優に超えるであろうそれは、低い唸り声を発しながら品定めするように此方を窺っていた。その距離およそ数十メートル。

 喰われるんだ、僕。どうしてこんなことに?餌になる為にここに居るのか?だとしたらとんだ罰だ。どんな報いだろうと想像したことはあったが、まさかこんなにも生々しいものだとは思わなかった。

 足は竦んで動かない。怖くて目が逸らせない。逃げたいのに、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。


「​少年!」


 ​​───不意に人間の声が響いた。手足に電気が通ったような感覚が走る。誰か来た!助かったんだ!

 しかし、声は悠長にも僕に疑問を投げかける。


「少年、死にたいのか?どっちだ?」


 ​───どっちだも何も、ある訳ないだろ!


「たすけてください!」


 上げた声は悲鳴に近かった。反応した熊が体勢を変える。思わず腰を抜かしてしゃがみこむ僕の目の前に、真っ黒な銃身が滑り込んだ。

 それは瞬きの間に獲物へと向き直り、轟音を響かせた。逞しい腕が僕を拾い上げ、更にもう一発。間近で鳴る割れそうな砲声に頭がクラクラする。そのまま走り出し、僕が呼吸の仕方を思い出した頃には森を抜けていた。


「ようし、もう大丈夫だろ」


 森の麓のようなところで、その人は僕を下ろした。よく鍛え上げられた筋肉に、爽やかそうな顔つきの青年。背丈ほどの狩猟銃​​──僕の命を救ってくれたモノだ──を背負い、腰にいくつもの銃やナイフを下げている。その表情はどうにも楽しげで、先程まで命のやり取りをしていたとは思えなかった。


「あ、あの、ありがとうございました!」未だ震える足を抑えながら、勢いよく頭を下げ感謝を述べた。「本当に、僕はもう、死ぬかと…」

「あー?いいよいいよ!気にすんな、元々討つ予定だったんだ」

「いやでも、」

「それよりお前。もしかして、来たか」


 え、と顔を上げると、青年は違わず空を指さしていた。ゴクリと喉が鳴る。あの時、落ちるような感覚は確かにあった。


「なにか​──知ってるんですか」


 問い掛けるべきことすら分からず、曖昧な訊き方をする僕に、青年は訳知り顔で頷いた。


「ああ、お前が知らないってことを知ってる。大丈夫だよ、落ちて来た奴は皆そうだ」

「……え、っと」

「着いて来いよ。うちで飯にしよう」


 ほら、とまだ頭の追いつかない僕を急かす。見ず知らずの僕を助け、迎え入れてくれるなんて、どれだけ良い人なんだろう。たとい見返りを求められても素直に従おう​──そんなことを考えながらその背中を追った。



 ▲▼



 ここは死後の世界なんだろうか。それとも今際の際に見る幻?

 そう思うくらい今の状況は非現実的で、けれど握った木製の器の感触も、喉を通るスープの温かみも、紛れもなく存在する現実のものだった。


「ご馳走様です」

「おう。まだあるから遠慮するなよ」


 その言葉に軽く会釈し、用意された水を啜る。 

 家の中には、様々な端材や道具が所狭しと並んでいた。自宅というよりは倉庫に近いらしい。整頓された作業台と、テーブル、簡素なキッチン。他には棚が一つあるくらいで、家を含め全て木製。玄関の郵便受けにはいくつも手紙や葉書が挟まっていた。


「さて。お前の事情だったか?ふむ、知ってることは話すが、あんまり期待するなよ。噂みたいなもんだから」


 仕切りの奥から出てきた青年は、ゆったりとした服装に着替えていた。腰巻きを作業台の上へ放り、向かいの椅子に座る。

 改めて対面すると、先ほどの印象よりも実際はもう少し若く見えた。ピンで留めた前髪がより幼さを助長している。僕より少し年上なくらいだろうか。


来た奴のことを、俺達はソイルと呼んでる。ソイル達の住んでいた世界を、アンダーと呼ぶ」

「…………」


 ソイル、アンダー。僕達を『落ちて来た』と認識する割に、その名称は地を示すものばかりだ。とすると、ここは遥か地中なのだろうか?


「ちなみにここは、何て呼ぶんですか?」


 尋ねると、青年は肩を竦めた。


「呼び方なんて無えよ。俺達が勝手に名付けたアンダーを、お前達は何て呼んでた?自分の住む世界に、名前なんて必要ないだろ」

「……確かにそうですね」

「まあ、そうだな…。中には『自由の民』だと主張する奴もいるけど、俺に言わせれば『強欲の民』って感じだな。グリード、って言うべきか?」


 自身の表現に、随分乱暴な言葉を遣うものだ。軽いジョークなのか、青年はくっくと笑いながら、手元で郵便物を広げ始めた。見ては悪いと視線を逸らすが、『人殺し』という文字を拾ってしまう。殺人事件?それとも、目の前の彼が……いや、僕はこの人に助けられたばかりじゃないか。きっと何か事情があるんだろう。見間違いかもしれないし。


「昔はソイルが沢山来たらしいが、今は滅多にお目にかかれねえ。少なくとも俺の中では都市伝説みたいなモンだったよ……存在するいるとは聞いてたが、初めて会った」

「はあ…」

「そうだ、明日、村へ行ってもいいか?長年ソイルを探してる奴がいるんだ、会わせてやりたい」


 稀少だと言われて、悪い気はしない。恩もある。さして深く考えずに頷いた。


「ようし。あとはそうだな。ソイルはこっちの世界のことを知らない、ソイルは空から落ちてくる、ソイルは大抵の場合一人のみ。そんぐらいかな」


 結局郵便物はすべて青年の手によって塵に変えられていた。明らかに手紙のようなものもあったが、等しく千切られ、屑籠に放る。それから今度は拳銃をいくつか手に取り、分解し始めた。手入れをするようだ。


「あの、」頃合いを見図り、ずっと訪ねたかったことを口にする。「お名前を聞いてもいいですか?」


 青年は一瞬面食らったように黙った。予想外の反応に、こちらが焦ってしまう。聞いてはいけなかったんだろうか。言い訳のようなものを喉に引っ掛けている間に、青年は表情を緩めた。


「ああ、名前な。いやあ悪い。聞かれたこと無くて」


 そんなことがあるか?と咄嗟に思うも、いやいやと内心で首を振る。もしかしたら村全体が昔からの知り合いばかりで、今更名乗る必要が無いだけかもしれない。

 しかし青年は予想とは異なる内容を口にした。


「あるにはあるが、俺を名前で呼ぶ奴は居ないぞ。必要か?」


 必要だろう、どう考えても。何度も首を振って肯定すると、そうか、と教えてくれた。


「フィンだ。宜しく」


 フィンはついに僕の名前を尋ねなかった。



 ▲▼



 フィンはソイルやアンダーについて、本当にそれ以上の情報を持たないようだった。もちろん、帰り方も。

 翌朝、目が覚めた時にはフィンは出会った時と同じ格好に着替えていた。テーブルにはベーコンのような焼いた肉と、目玉焼き、スープが湯気を立てて僕を待っていた。再三お礼を言ってすべて平らげる。美味しい。

 村へは歩いて移動した。三十分程で着くという。道中の景色を見るに、この世界は元いた場所アンダーとさして変わらないように思えた。木造だったフィンの家について言及すると、知り合いの建築家の趣味であり、あれは自宅ではなく倉庫、とのことだった。ただ極端に人口が少なく、それが文明をほんの少し遅らせているようだ。冗談半分に魔法の存在を尋ねると、むしろアンダーにあるんじゃないのかと返された。


「着いた」


 村は思ったより活気づいていた。アパートやマンションこそ無いが、役場、郵便局、八百屋、本屋などが並ぶ商店街を、ぐるっと囲むように住宅が建っている。合間に広場や簡単な遊具が設置されていて、子供たちが数人でかけっこをしながら通り過ぎた。

 フィンの後を着きながら視線をあちこちに巡らせていると、やがて食事処のような場所で足を止めた。屋外に席がいくつもあり、昼食を摂る人や、本を読みふける人まで様々だ。そのうちのテーブルに腰かけた。


「牛飼い、いるか」


 フィンが隣の席に座る男性に挨拶もなく声をかける。相手は驚いた様子もなく、コーヒーをすすりながら返事をした。


「昼過ぎには来るだろうよ」

「そうか」


 知り合いなのだろうか?お互いろくに目線も合わせないまま会話が終了した。僕の方が何となく居たたまれなくなって、軽く頭を下げておいた。見られてなどいなかったけれど。

 ソイルを待ち望む人は『牛飼い』らしい。それまで待ちぼうけだろうか。フィンは特に気にした様子もなく腰からナイフを抜き、手遊びをしていた。抜き身だ。普通に危ない。

 フィンを諫めようか思案していると、不意に背の低い老婦が僕達の前で立ち止まった。僕には目もくれず、フィンを見つめ顔を綻ばせる。


「ああ、あんた!探したよ」

「ん、どうした。俺に用か」

「頼むよ。殺してほしいんだ」


 一瞬耳を疑った。碌な前置きもなく、老婦は物騒なセリフを吐く。思わずフィンを見やるも、しかしフィンはまるで天気の話の続きでもするように応えた。


「おお。いいぜ。あんたか」

「ああそうだ。後で三つ木の裏の家を覗いておいき。要るもんがあれば持って行きな」

「おう。分かった」

「ちょっ、ちょっと!フィンさん!」


 腰から銃を引き抜いたフィンの手を慌てて制止する。話が全く理解できない。いや、そのまま受け取れば、この老婦はフィンに自分を殺してくれと頼んだことになる。いま、このやり取りだけでだ。そんなの有り得ないだろ。フィンも銃まで抜くなんて、何を考えているんだ。


「おいおい。声がデカいぞ。どうした」

「どうしたもこうしたも!何してるんですか、自殺幇助ですよ!あなたも何を言って───」

「ああ、そうか。成程な」


 納得したのか、フィンは銃をテーブルに置いた。老婦は怪訝そうに僕を見ている。なんだこれ、まるで僕がおかしなことを言っているようじゃないか。


「あんた、悪い。後でいいか」

「…ああ、構わんよ。…そいつ、ブランクかい」


 老婦は僕を見ながらそう言った。ブランク、とは何を指すんだろう。普通に考えると、空白、とか、空っぽ…?

 フィンは首を振って否定した。


「いいや。ソイルだ」

「! そうかい、道理で……」


 その続きを発することなく、老婦はそのまま何処かへ行ってしまった。気が付けば、僕が大声を出した所為か周りの人間がこちらを見ている。ソイルって言ったか、と呟く声が聞こえた。フィンは銃を仕舞い、改めて僕に向き合った。周囲のざわめきは意に介していないようだった。


「少年、悪かったよ。血が嫌いか?死体が苦手か?」

「え…?」

「ソイルのことより、お前のことを聞くべきだったな」


 フィンは僕に真摯に謝ってくれた。だけどそうじゃない。僕の趣味許容以前の問題だ。言葉は確かに通じ合っているはずなのに、意思疎通を計れている気がしない。急に目の前のフィンが得体の知れない生命体のように思えて、そこでようやく僕は勘違いしていたことに気付く。急に、なんかじゃなくて、最初からフィンは得体の知れない生命体だ。


「……人は、殺しちゃ駄目でしょう」


 絞りだした言葉はそんな陳腐なものだった。フィンは変わらぬ様子で僕の言葉を待つ。


「人殺しは、犯罪で……。自殺は、しちゃいけない」


 僕が続ける度、外野の声が大きくなった。何を言ってるんだ、と僕を非難する。見なくても分かった。この中で、この世界で、異分子は僕だ。このまま続けていいんだろうか?僕を排除しようと、一斉に襲いかかってくるんじゃ──。


「それがお前の欲望か?」


 だけどフィンだけは、ずっと表情が変わらなかった。声のトーンも、この村の案内をしてくれた時と変わらない。フィンは僕を否定しなかった。僕だけじゃない、思えば誰に対しても、一度も。

 問いかけには上手く答えられなかった。それは法律で、ルールで、僕の意志で決めることじゃない。或いは倫理的なもので、その意味や僕自身の希望など、考えたことが無かった。

 フィンの問いかけに口ごもったのは僕だけじゃなかった。外野も静まり、僕の返答を待っているように感じた。ソイルの答えを聞きたがってるんだ。別の焦燥感でさらに頭が混乱する。不意にフィンが僕の後ろを覗き込んだ。


「ああ、牛飼いだ。少年、立てるか」


 振り返れば、農業者のような恰好をした中年の男性がこちらへ向かって来ていた。フィンは大きく手を振り、合図する。


「行こう」


 僕は逃げるようにその場を離れた。



 ▲▼



 牛飼いは涙を流して喜んだ。聞けば物心付いてからの夢で、探し続けどその痕跡を見つけた試しも無かったとのことだった。先ほどのこともあり、触れられるのには抵抗があったが、握手は交わすことにした。


「ああ、良かった。本当に良かった。本物のソイルに会えた。叶わずに死ぬのかと思ってたよ」


 何と言っていいか分からず、曖昧に頷く。牛飼いは『会う』ことが夢のようで、それ以外は特に何も要求しなかった。アンダーのことを尋ねることもしない。


「牛飼い、もういいか」

「ああ、十分だ。いや、最後にもう一度、握手してもいいか」

「あ、はい。どうぞ」


 差し出した右手に対し、両手で包み込みぎゅうっと握る。痛ッ、と思わず手を引くも、握られた手はびくともしない。このまま捻り潰されるんじゃないか、と奥歯を食いしばったところでパッと手が離れた。じんじんする。右手はしばらく力が入らなそうだ。

 牛飼いの姿が見えなくなったところで、フィンはまた村を歩き、一軒の民家に足を踏み入れた。手慣れた様子に、フィンの自宅と察しがつく。玄関を閉め、窓を閉め、荒い藁のようなものが敷き詰められた居間に腰を下ろす。倣って座ると、どっと疲れが襲った。フィンは湯を沸かし始めた。


「もっと話をしておくべきだったな。思ってる以上に、俺達の考え方の違いは根深いらしい」


 コーヒー?紅茶?との問いに、紅茶で、と返す。程なく差し出されたカップに口を付けるが、とても飲める温度ではなかった。香りは殆ど飛んでいる。

 それからフィンは自分達の生活や常識を教えてくれた。一つ一つ、僕の反応を伺いながら、丁寧に。



「人間には知性がある。それは他の動物には無い、俺達の特権だ。そうだろ」

「はい」

「知性ある俺達は、本能とは別に、『欲』を持つ。それがすべての基本だ。俺達は原則、『欲』に忠実に生きる。例えば牛飼いはソイルに会うのが『欲』だ。あの婆さんの『欲』は、他にもまああったのかもしれないが、俺に殺せという『欲』を示した。俺達は基本的に自分のことしか考えないが、他人の『欲』には付き合うことが多い」

「そんな──」言葉に詰まった。「そんなんじゃ、崩壊しませんか?ルールや法律は?例えば『欲』が対立したら、どうするんですか?」

「適当だな。基本的に『欲』は尊重されるべき、と考えるが、あとは自分達の否応だ。応援したい方を助けるし、理解できない方を邪魔する。その結果が何を生もうと、それは受け容れるしかない。決着が付かなくても、お互い様で鞘を納める。あれもこれもはあまり歓迎されない。一つ大きな『欲』を構えた人間ほど、支持する人は多い」

「『欲』が無い人間だって、いませんか?現に僕は、そんな人にぶつけてでも推したい『欲』なんて、思いつきませんよ」

「勿論いる。そういう奴はブランクと呼ばれ、ブランクが集まった町に越したりする。それと同じように、殺戮願望のある奴や、常にリスクのある生活を送りたい奴が集まる街もある。この村は合意のみ殺人を許容してる。別に法なんざ無いが、みんなで作り上げてるんだ」

「その…嫌な想像ばっかりで申し訳ないですけど」


 フィンの話は理想論でしかないように思えた。そりゃあ誰もが自分のしたいことをしたいだけ出来たら楽しいだろう。だけどそうも上手くいかないのが世の常だ。だから僕達はルールで縛るんだ。そうならざるを得なかったはずだ。


「その暗黙の了解みたいなのを破る人だって、絶対いますよね。ブランクの町やこの村を襲う奴だって現れてもおかしくない……そういう無防備な人を殺したいっていう『欲』も、認められるってことでしょう」

「ああそうだ。実際そんなようなことも起こってる。人の為に死にたいなんて『欲』を持つ人間は少ない。たった一人の襲撃者に村が全壊したケースもある。そういう奴は大体殺されて、それで終わりだ」

「なんで……」


 めちゃくちゃだ。それで自分の大切な人が亡くなっても、それは仕方ないで済ませろってこと?復讐に身を費やしても、それが『欲』なら認められる?全く関係のない戦争に巻き込まれても、お互い様だって?


「平気じゃないでしょう、みんな、罪のない人が殺されて、それでなんとも思わない訳がないでしょう!命が、理不尽に奪われてるのに…!」

「そこだよ、少年。俺達の決定的な価値観の違いは、多分そこだ」


 フィンはまた真っ直ぐに僕を見据えた。その瞳に攻撃的な色は無くて、ただただ、真っ直ぐに問いかける。


「どうして命は大切で、護られるべきなんだ?俺達は望んで生まれた訳じゃない。だが死は望むことが出来る。生きている間の望みも、叶えられる。生きたいなら生きればいい、逆も然り。俺達はそういう知性を、『欲』を、一番尊重してるんだ。そう教わって育ってきた。多分、お前がアンダーで命の価値を教わってきたように」


 言われて、すぐに返事が出来なかった。僕が命を説く度、僕達の話は平行線になる。決定的な価値観の違いを前に、どう言葉を発したらいいか分からない。納得させるのは無理だと思った。僕がそうであるように。


「確かに、殺人を非難する奴は多い。俺達は所詮本能の上に知性を載せてるだけだから、種の繁殖を優先する人間が多いのは当たり前だ。だけどな。俺は、人の助けを生きがいとする奴も、花を愛でたいと願う奴も、人殺しでしか喜びを得られない奴も、みんな幸せになれるんじゃないかと、そう思うよ」


 フィン達の考え方は、酷く乱暴な理想論だ。やっぱりそうとしか思えなかった。それでも、


「それと同じように、お前もお前の価値観の中で、幸せになれればいいと思う。俺が信じてるのは、そういうことだから」


 僕を否定せず、話をするべきだったと言ってくれたフィンを、拒絶する気にはなれなかった。



 ▲▼



 生きることを望むなら、僕はこの世界で暮らすしかない。

 あれからフィンは『どうしたら僕が生きやすいか』を一緒に考えてくれた。まずソイルであることをこれ以上明かすのは止めておくことにした。ブランクの町に移住することも案に出たが、フィン以外の人間を信頼する気にはまだなれなくて、引き続きフィンの元へ置いて貰うようお願いした。

 自分本位が根底のフィンが僕に良くしてくれるのは、偏に僕がソイルだからだ。それが僕にはちょうどいい軽さで、また不変的なものでもあるから、そういった意味で安心出来た。


「ブランク、それからアンダー、ソイル。これらの語源はそれぞれ、『欲』を持たず空っぽブランクであること、知性を尊重しない下等の考え方を持つアンダーこと、知性を捨て枠組みを作る土壌となり果てるソイルこと、とまあ、そんな感じだ」

「ひどい差別用語じゃないですか……」

「そうか?単語に善悪は無いだろう。どう意味を持って発するかだけだ。俺はお前をソイルと呼ぶことに抵抗は無いぞ」

「外では呼ばないでくださいね」

「そうだった。ああ、そうだな……」


 フィンは何度も僕と討議を繰り返した。全く違う観点を持つ僕の話が面白いようだった。僕も苦じゃなかった。否定はせず、お互いの考え方を、それぞれで解析する。なるほど確かにそれは面白い経験だった。


「そういえばお前、帰りたくは無いのか?」

「帰れる方法が分かったんですか?」

「いや、別に」

「そうですか。ここじゃいつ殺されるか分かんないってのは怖いですけど……まあもともと、死ぬかもしれないと思いながらここに来た訳ですからね」

「にしては死ぬのは嫌そうだな」

「死にたかった訳じゃなくて、その気持ちが知りたかったんです」


 隣の家に住んでいた女の子のことを話した。僕より年上で、幼いころは一緒に遊ぶことも多かった。明るく気さくなお姉ちゃんだったけれど、ちょっと変わっていて、僕にだけ内緒話を共有してくれた。曰く、『死んでみたい』と。

 彼女は死後の世界に興味があるようだった。死ぬのも怖くないよ、なんて悪戯気に笑うこともあった。当時の僕には彼女の話はよく分からなかったが、数年後、望みを果たしたことを知り、僕は衝撃を受けた。参列者は皆泣いていた。遺影の中の彼女は楽しそうに笑っていて、余計に心の置き場が分からなくなった。

 彼女に押し付けられたままだった『計画本』の中に、『あの世への生き方』という項目があった。やたら面倒臭い手順が事細かに指示されている。胡散臭いことこの上なかったが、僕は心の整理がしたくて、半ばやけくそでそれをなぞったのだ。フィンは案の定彼女を肯定した。幼い僕も一緒くたに。


「それと、俺の生業は主に殺し代行だけど、大丈夫か?」

「……何となく察してました。僕には仕事の話はしないでもらえたら、それで」

「はは、わかったよ。そんでお前、」


 フィンはとても嬉しそうに笑った。


「名前、なんだっけ?」

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僕をつくる話 みちはた @michihata138

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