第9話

「…彩葉」


砂浜を歩く女子に向かって小さくつぶやく。

なんで、なんで、なんで______


一瞬気のせいかと思った。しかし、そこにいたのは間違いなく、クラスメートの南沢彩葉であった。


小動物のような体型、小さな顔にぱっちりした目。海風で揺れるサラサラな髪はいつものようにおかしな形に結ばれている。


バレないうちに逃げようか、そう考え体を動かす暇もなく彩葉は私たちに気がついた。ピタリと立ち止まってこちらを見る。考えてみれば当たり前だ。こんな夜中に高校生2人が服を着たまま海に入っている。あたりには誰もいない。目立たないわけがないのだ。


私はTシャツを絞りながらゆっくり海から出た。トキも静かに私の後ろをついてくるのがわかった。


濡れた裸足に砂がまとわりつくのを感じながら、私は彩葉のいる場所へ向かった。

逃げることはできない。彼女が等に私に気づいているのは、表情を見るだけで簡単にわかる。

相変わらずわかりやすく顔に出るな、この子は。


「琴音__?」


「…やっほー」


固まりきった口角を無理やりあげて、笑顔を作る。久しぶりの感覚であった。


「どうしたの、こんなところで…」


顔には焦りが滲み出ていた。


「最近、学校では寝てばっかだし…だから私、なんかあったのかなとは思ってたけど…いつもこんな時間に、こんなところに来てたの…?」


恐る恐る、彩葉は私の顔を伺うように言葉を発していた。

もう、やめてくれよ____

放っておいてくれ_____

私は今、やっと、何も気にせずに自分自身でいられているんだよ____

昂る感情を抑えるため、目をぎゅっと瞑った。

ああ、あの時と同じだ。放課後の図書室の時と___


「おねーさん誰?」


はっとして、急いで横を見ると、トキが平然とした顔で彩葉を見つめていた。


「ことちゃんの友達?」


「そ、そうよ。琴音の友達___というか誰よあんた」


「トキだけど。おねーさん友達じゃないよね」


「はあ?あんたに何がわかるのよ。琴音は私と学校でいつも一緒で、心が通っていて___」


「____違う」


自然と口から言葉がこぼれた。


「…へ?」


彩葉が空気の抜けたような声を出して固まった。トキから目を離し、私の方をじっと見つめたまま。


「違う。全部違うんだよ。彩葉。」


ああ、久々にこの子の名前呼んだな。トキのことをしょっちゅう名前で呼んでいたから、変な癖がついたのかな。


「私は、何もかも、隠していたの。内側の自分を。本当のことを言ったら、絶対に嫌われるから。そして後悔するから____」


「琴音___」


彩葉は思わず名前を呼ぶが、その後の言葉が思いつかなかったらしく、すぐに口を閉じた。


「心が通っているフリをし続けて、自分はまともだと錯覚して、でもやっぱりたまにオモテに出せない本音が溢れてきて____」


全然うまく言葉にできない。彩葉がポカンとした顔をしているのがわかる。

違う違う___また間違えた____

ずっと、絶えず考えていたのに、いざ話そうとすると、慣れない言葉の羅列をうまく出せない。

中途半端に表現がずれる______

そしていつも、結局何も伝わらないまま口を閉じてしまっていた。いつも喋ることと真逆の言葉が脳に詰まっていて、それが溢れてしまった時には全くコントロールが効かなかった。

こんなことなら最初から口を開かなければよかった____そう考えて、いつも苦い後悔の念が口の中いっぱいに広がっていた。

これも、図書室の時と同じだな。

うまく言えない____何も伝わらない____何も___


「ことちゃんはねー、実はめっちゃ性格悪いんだよ」


体がビクッと動く。

隣からトキの透き通るような声がした。

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