第7話
「あれ、私こんな尖ってたっけ」
苦虫を噛み潰したような顔をしたコトネを横目に、トキはうれしそうにククク、と笑った。
「この僕に向かって『バカかよ』だってさ」
「…ごめんて」
トキは振り返らずに、ゆっくりと話し続けた。
「どんなに自分自身が冷静であると、理解していると信じていても、実はまだずっと考えが浅かった、なんて在り来りな事なんだよ。数年後、いや下手したら数ヶ月後には自分の間違いに気がついて、その時に自分を見つめ直して、その後また見つめ直して、その後また見つめ直して…気がついたら体はとうに成長しきっている。完全に自分と世界の正解を見つけるなんて、実は大人にだってできないものなんだよな。でも、たまにこうやって振り返れば、自分の思考だってちゃんと成長しているってことに気づける。昔の日記帳を見て、笑い呆れるような感じ」
そう言ってトキは、まるで人間を丸ごと馬鹿にしたような目つきでエメラルドグリーンの泉に映る過去を見続けていた。コトネはその小さな背中に向かって聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「______私だって、まだ自分の正解なんて知らない。でも、その泉の向こうにいる垂れ目の女子よりは知っているつもり」
*
ギュッギュッギュッギュッ
厚ぼったいゴム底のサンダルでコンクリートの上を歩く。
今日も相変わらずグロテスクに輝いた星が、真っ暗な世界にわずかばかりの光を振り掛ける。
星が綺麗なものって誰が決めたんだろ______
気がついたらいつもの公園の前に立っていた。
砂場にしゃがみ込んでいたトキが急に顔を上げ、まん丸の目で私の方を見た。そして腕を宙でピンと広げながら、砂で灰色に染まった手のひらを私の方に向ける。
「よっ」
「何でいつもそんなすぐに気づくんだよ。野生の勘か何か?」
そう言いながら私は、トキの方にスタスタと歩いて行く。
ここ数週間は毎晩この公園にきている。そしてトキはいつでもそこにいる。いつからトキはここにいるのだろう。それともたまたま私と会った日から、毎晩来続けてるのかな。
ただ、一緒に夜の道をぶらつく。それだけの関係。コンビニに行ったり、公園で遊んだり、一度ゲーセンにも行ったが2人ともあまりゲームには興味がなかった。
お互いのことは名前以外ほとんどなにも知らない。こいつはどこの学校に通っているんだろう。家は?家族は?正直言って少し気にならなくもない。他人に興味を持ったのは随分久々な気がした。みんな私が興味を持とうとする前に洗いざらい自分から吐き出して、知りすぎた人間に私は毎回嫌悪感を抱く。
トキのことも知りすぎたら、嫌いになるのかな。そうならなければいいな。
砂場に近づくと、砂場にはサッカーボールが一つ入るくらいの大きな穴が掘られていた。
「…なにしてんの」
「カニ探し」
「はあ」
呆れた顔でトキを見る。全く冗談で言っていないことが一眼でわかる。
「いい?カニっていうのは淡水域、汽水域、潮間帯、浅海から水深4000メートルの深海まで生息域に……」
ガッガッガッ
トキは逆さにした懐中電灯を穴の中に突き刺して一生懸命穴を掘り続けている。
「話を聞け。あと、なにその懐中電灯」
「カイチュウデントウ?ああこれのことか。なんか公園に落ちてた」
私はトキから懐中電灯を取り上げ、トキに向けたままスイッチをオンにした。赤子のように大きな目をした少年の顔が映し出される。
トキは、それ、どうやったの?と言わんばかり目を輝かせながら、懐中電灯を私から奪い返した。
こいつ、眩しいとか感じないのかよ。でもコンビニに行ったときは目をしょぼつかせていたな。よくわかんねーやつ。
「カニは海にいるの。こんな住宅地にあるちっぽけな公園にはいないの」
「ウミ?」
「海も知らないの。地球中のほとんどの水が溜まっているでっかい湖だよ」
途端にトキは光らせた懐中電灯を私に向けてきた。目に入った強すぎる光の反動で、目の前に大きなどす黒いシミができる。
「ちょ、眩しい。やめろ」
「行きたい。なにそれ。今から行こ」
興奮した口ぶりで私を見つめるトキの透き通った瞳は、一瞬エメラルドグリーンに輝いているような気がした。
「マジで言ってる?」
「今日はお金持ってきてるでしょ。電車乗ろ」
「無理だよ。もう終電もとっくに終わってる」
「じゃあ自転車でいこ」
「…行けなくもないけど」
私の住む地区の近くには海がある。夏はよく学生たちがこぞって海で騒ぐ。私も何度が誘われたことはあったが、その度に「泳げないから」と言って申し訳なさそうな顔を作り、断っていた。本当は彼らを避けるのに必死だった。
トキは目の前でぴえんの絵文字みたいに目をうるうるさせながら眉をへの字にしていた。
リアルでこんな顔する人初めて見たわ…
「…行くか」
「っしゃー」
ガッツポーズをして飛び上がる。
私は一度ふう、とため息をついてから立ち上がった。
「…自転車取ってくるわ」
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