第4話

「琴音おはよ!」


またいつものように小柄な女子が体重を乗せてくる。


「おはよ」


無気力な表情から精一杯の活気を絞り出し、彩葉の方を向く。しかし目の前の女の子は、いつもと違った雰囲気であった。

なんだろうか。不満に近いような、マイナスな空気が彼女の目から放たれている。謎の緊張感に耐えきれず、思わず目を背けた私の横顔に向かって、彩葉は不自然なくらい低い声で言葉を放った。


「琴音、今日の放課後図書室行かない?ちょっと話したいことがあるんだけどさ。とっても大事なこと。琴音のためでもあるの。」


何、やめて。怖い。

今すぐにでも彼女を突き放して後ろ向きに転ばしてやりたい衝動に駆られる。

話したいこと?琴音のため?

真剣な眼差しが一層嫌悪感を育てる。彩葉と私は話し合うほどの関係であると信じきっているその思考を、喉を枯らしてでも否定したい。私とこいつに共通の「大事なこと」があるということ。こいつが私のための何かを持っているということ。全部、全部、全部、間違っていると吐き出してしまいたい。


「うん」


顔の血の気が引いたのを感じながら、自分でも情けなくなるほどの弱々しい声を発した。


キーンコーンカーンコーン


チャイムが校内に鳴り響くことで、一気に建物中が放課後の空気に入れ替わる。そんな中、重い荷物を背負って廊下に出る。一瞬帰ってしまおうかとも考えたが、すぐに考え直して重い足取りで図書室に向かった。


ガラガラガラ


錆びついた図書室のドアが、掠れ声のような音を立てながら開く。図書室の中は静まり返っており、まだ日が高い太陽の光が窓から差し込んでいる。エアコンの人工的な空気に包まれた心地よい空間に一瞬安心感を覚えるが、すぐに机に座った彩葉と目が合い、一気に緊張感が戻ってくる。


「遅いよおー」


「ごめーん」


わかりやすいほど無理に明るく声をかける彩葉に、私も負けじと音程を上げて答える。


「で、話って?」


「そうそう、とりま座ってよ」


いつこの明るい声色が変わるのかと冷や汗をかきながら座る。


「琴音、なんか隠してるっしょ」


…はい?


思わず脳内で切れ気味に返事をした。

何…私が彩葉に何かを隠してる?そりゃあ何もかも隠してますけど…

頭が高速で回転するのを感じる。

なんか隠してるっしょ…なんか隠してるっしょ…なんか隠してるっしょ…

エコーのかかった彩葉の声が耳障りに頭の中で鳴り響く。

混乱した頭のまま、苦し紛れに声を放つ。


「何?何も隠してないよ」


「嘘、私わかるもん」


なんだよ。何がわかるんだよ。言ってみろよ。

必死に苛立ちを抑えながら、話を聞き続ける。目線がずりずりと下に下がっていく。


「琴音、いっつも何か隠してる感じがするの。ほら、私と喋る時もそうだし、他の子といる時も。なんていうか…本音で喋ってないっていうか。遠慮がちっていうか…私はね、もっと琴音に自分らしくいて欲しいの。せめて私の前でくらい…」


本音?自分らしく?何を言っているんだこの子は。

彼女の発する言葉を全力で拒絶する自分に、ひん曲がったキツネのような自分に、今にも体が乗っ取られそうになる。

お前の前にいる私は私じゃないんだよ。お前は何をそんなに必死に…


やめろよ


「え?」


はっとして下がりきった目線を戻す。彩葉は打撃を受けた顔をなんのためらいもなく露わにしていた。眉尻が下がり、血の気の引いた顔面には今にも涙をこぼしそうな目がついていた。

何?どうしたの。

そう言おうとした瞬間、震えた声に先を越された。


「琴音、今もしかして『やめろよ』って言った?私の聞き間違いかな。」


背筋に氷がツーっと降りていった。

嘘、声に出てた?あんなに一生懸命堪えてたのに…

身体中の力が抜けきって、重力に負けていくのを感じた。視界も掠れて、目の前がよく見えない。もう何も考えられなかった。しかし、目の前の女の子に対する苛立ちだけは、しつこく頭に残っていた。

私は最後の力を振り絞って、朦朧とした頭のまま席を立った。


「ごめん、話はまた今度聞くね。急に用事思い出したから。またね。ごめん」


「ねえ、琴音。待って」


聞こえないふりをした。そのまま図書室の出口へ向かう。

太陽の光はだいぶ下がっており、早足で動く私の下半身を照らした。


ガラガラ


図書室のドアがまた、掠れ声のような音を立てた。

もし彩葉が追いかけてきても追いつかれないように、急いで校内を出て一直線にバス停に向かった。

まあ、追いかけて来ないだろうけど。


あーあ。

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