第2話
「琴音おはよ!」
琴音は私の名前。
小柄な女子の体重を背中で感じる。ふわっと溢れる果実のような甘い香りで、私は今覆い被さってきた女子が彩葉であるとわかる。
「おはよ」
無感情を悟られないように顔を背けながら、そっけなく挨拶を返す。
彼女はいわゆる友達というやつだ。
友達。よく喋るし、こうやって朝から謎のスキンシップを挟むくらいだから友達で間違いないのだろう。私の一端が全力でその言葉を拒否しているのを感じるけれど。
小動物のような彼女は、サラサラな髪を毎日ヘンテコな形に結んでくる。目はぱっちりしていて小顔なのに、四方八方に跳ねた髪がどうしても違和感を感じる。
まあ別に髪型なんてどうでもいいけど。
背中で彼女の体温を感じながら私はそんなことを思った。
どうでもいい。
そう、何も感じないのだ。
いらない。
一歩踏み込んだらそんな言葉が出てきそうなので、いつも踏みとどまる。
誰かが自分の人生に割り込んでくる。そう考えるだけでゾッとする。他人に自身の思考を公にした瞬間、全てを塗り替えられてしまいそうで、自分の存在を奪われてしまいそうで、体が表面からだんだんと剥がれ落ちていくような感覚に襲われる。ちょうど、花びらが風に吹かれて散り離れていくように。
気づいたら彩葉は、私の隣に椅子をおいて座っていた。スマホに熱中している。
私がじっと見つめていると、視線を感じたのか顔を上げた。
「なに?」
「いや別に」
_______
生まれつき垂れ目なためか、私の印象は「優しい」らしい。実際は狐のように釣り上がった目を持っていそうだけど。
そのため、私の周りに人が集まる。事あるごとに誰かから話しかけられ、好かれていることを実感する。
「ー時間目なんだっけ?」
「てかもうすぐ夏休みだよ」
「やば、国語の課題全然終わってない」
1日中同じような会話を繰り返す。同じと言っても、人によって少しずつ言葉選びや声のトーン、テンポを変える。これがかなり難しい。その人の性格、好きな話題、興味のあることに合わせて、本棚から本を抜き出すように話題を振る。他の人には決して間違った面を見せてはいけない。
「琴音ってこんな1面も合ったんだ」
これを言われると、背筋に氷がツーっと通るような感覚に襲われる。
ただ私の好かれている部分だけ見せて、あとは見えないように棚の奥底にしまっているようなイメージだ。なんと言っても本棚の奥底には埃まみれの狐がいる。社会と、人とずれている、孤独で哀れな狐が。そんな薄汚い狐なんて誰にも好かれないだろう。とにかく、会話ではそれぞれにあった「私」を即座に選別するのが鍵なのだ。
ようやく、下校時間。歩いている分人と目を合わせなくて済むので、いつもよりスムーズに話せる。南沢彩葉はいつも通り私の隣をてくてくと歩いている。
「で、その時先生が大きなオナラをして!おかしいよね!」
あははは
彩葉の話に私は爆笑のサウンドエフェクトを加える。
あーおかしい
そう思いながら腹筋や頬にじわじわと痛みを感じる。
「それじゃ、私こっちだから。じゃあね」
そう言って私はバス停から勢いよくバスに乗った。一気に口角を緩め、謎の達成感を味わう。
やっぱり私、普通にずれてないのかも。彩葉と話してて楽しかったし。
こんなことを考えている時点で少し変なことにはまるきり気づかず、満足げにカバンからイヤフォンを取り出した。
「生きているだけで不安はあるけれど、仲間がいれば…」
流行りの曲が耳から脳に流れてくる。中毒性のあるサビに合わせて思わず口を動かす。
そうだな。たしかにな。
共感して、感心して、気づいたら曲が終わって似たようなイントロが始まる。繰り返す。綺麗事は嫌いじゃない。変に考えるよりも、馬鹿みたいに「愛」とか「正義」とか「勇気」とか信じて突っ走ってた方が楽だし、何より世間に好かれるような気がする。
そうやって世間の手招きに釣られながらふわふわと歩いていると、気づいたら家の前に立っていた。手を洗って、うがいをする。鏡を見て真顔の自分と目が合う。
私って怒ったらどんな顔だろう。
ふとそんなことを思って顔を歪ませてみる。眉間にシワを寄せ、喉を上に持ち上げる。口を固く閉じ、目を少し細める。じわりと涙を滲ませたら怒りを堪えた私の完成だ。
なかなか完成度、高くないか。
気のせいか何の根拠もない怒りも湧いてくる。今度は思いっきり口角を上げてみる。喉を揺らして声を出してみる。
鏡に映ったのは楽しそうに爆笑している自分だった。
怖くなった。
こんな顔、いつでも作れるのか。では今日の帰り道の自分は一体なんだったのだろう。友達との帰り道、近所迷惑になるほど笑い転げた。本気で面白いと思っていたはずだ。でも実際は作り出された笑顔に釣られて、感情が無理に生まれたのかもしれない。
いや、そんなことある?楽しいって思ったじゃん私。
でもあれ、彩葉今日なんの話していたっけ。
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