アンバランス

ぱん

第1話 

「見る?」


冷たい風が肌と髪の隙間をすり抜ける。髪の毛がふわっと持ち上がるのを感じながら、コトネは彼から目を離さなかった。何食わぬ顔を向けたトキの目は月のように丸く爛々としていて、今にも吸い込まれそうであった。


こいつ、なんでこんな平然としてられんだよ。


コトネは一瞬苦笑いをしてから、ゆっくりと息を吸い込んで声を発した。


「見たいかも」


トキはニヤリと笑みを浮かべると、


「おいで」


と言って淡いエメラルドグリーンで染まった道を歩き始めた。



どうやら私はずれているらしい。


目覚ましの音が少しずつ大きくなっていく。いや、正確に言うと、大きくなっていくらしい。しかし私はいつもその前に止めてしまう。説明書にはそんなシステムがあると書いてあったが、実際それが本当なのかは知らない。

細く開いた目の隙間から、ぼやけた視界でスマホを手に取る。別に特別何か見たいわけではないけれど、とりあえずYouTubeで手当たり次第動画を再生する。スマホが放つ、染みるような光に思わずぎゅっと目を瞑る。ブルーライトの刺激が睡眠を妨げるのを裏目に取り、朝の目覚めのためにあえて浴びるという、自分で思い付いたなんの根拠もないテクニックである。

人というのは、自分の知識の範囲でしか物事を考えることができない。さらに私のような哀れな人間は、その考えが正しいのか確かめることもせずに答えを出したという満足感だけで考えるのをやめてしまう。


朝から何自虐してんだ私は。


脳内で自分にため息をつく。少し目を逸らすと、半開きになったカーテンの隙間から太陽の光がちらついているのが見える。


今日は晴れかな。7月…14だっけ?いや13か。待てよ、やっぱり14だわ。それで、太陽定数は約 1.4kW/m2だったな。


脳が記憶したばかりの数字と勝手に共通点を結ぶ。


というか部屋の空気乾燥してね?夏なのに湿度が低いってどうしてだ。えっと、前に雨が降ったのが…


頭が私を置いて回り出す。関係ない言葉が飛び回り、着地したと思ったら分裂し、また動き出す。


えっと、最初は何について考えていたんだっけ?そうそう、私はずれているってこと。


一般的に人は人とコミュニケーションを取り合って生きるらしい。人と関わり、支え合い、共有し合うことで、社会でうまくやっていける。精神的にも安定し、自立する。

どっかの弁護士が言ってたのだが、「自立すると言うのは依存先を増やすと言うこと」らしい。どのコミュニティにおいても周りの人とうまく関係を築き、手を取り合うことで人生は上手くいく。人間関係が、その人の人生の良否を決めるのだ。

とかまあこんなことはネットで検索すればいくらでも出てくる。「人生で上手くいくコツ」、「成功するメソッド」、「結果を出すためには」。薄っぺらいタイトルのウェブサイトや論文、自己啓発本をいくら読み漁っても、結局辿り着くのは「人間関係大事にしろ」。


そんなに何度も言われなくてもわかってるさ。それに16年も生きてればなんとなく勘づく。問題はもう一つの方。そう、自分とか言う人はなぜだか「人間関係」の感じ方が違うらしい。

先に言っておくが、別に人間関係が下手糞だって言うのを誤魔化してるなんてことではない。なんなら得意な方だと思う。友達は何人か思い浮かぶし、クラスのほとんどの人と会話したことくらいあるんじゃないかな。

少し人見知りだけど、仲良くなればしゃべれるし、自分で言うのもなんだが機転が効く方だから、即座にセンスの良いユーモアを交えてトークできる。

苦手な人もいるけど、その分話しやすい人もいる。

ただ、ずれているだけなんだ。


_________


さっさと起きろよ。


そう自分に言い聞かせる。半分起き上がった上半身を半円を描くようにぐるりと動かし、そのまま壁にもたれ掛かる。


「今日の動画は、不登校あるある。インスタで皆さんから募集した…」


勢いよく喋る聴き慣れた声がスマホから流れる。最近見漁っているチャンネルを運営する、YouTuberの声。

少しずつ目が開いてくる。

時計を見る。


5:50 7月13日。


今日ってやっぱり13日じゃん。


そんなことを思いながらベットから這い出て、洗面台に直行する。1階の洗面所は家族共用なので、2階の小さな洗面台の前に立つ。別に家族が嫌いなわけではないが、朝から人の気配を感じたくなかった。

濡らしたクシでいい加減に髪の毛をとかし、100均の馬鹿みたいに大きなヘアピンで後ろにまとめあげる。うなじのあたりから頭頂にかけて、すうっと夏の生暖かい空気が通る。

顔を洗ってふと頭を上げると、鏡にどアップで自分の姿が映る。くっきりとした二重幅に、とろんと下に垂れた目尻。見るからに柔らかそうなほっぺと、薄っぺらい口。小さくてすっきりとした鼻。

自分の顔だ。そう認識する。

いつもと少し違う部分といえば、目の下にはうっすらと線が引かれている。


うわ、クマじゃん。嘘、昨日何時に寝たっけ。てかこれ消えるかな。なんか化粧品で消せたりしないかな。コンシーラー、とか。知らんけど。


そんなことを思いながら、黒ずんだ部分の肌を少し伸ばしてみる。化粧はしたことがない。興味がないと言ったら嘘になるけど。


部屋に戻ると丁寧にハンガーにかかった制服を乱暴に剥ぎ取る。着替えを済ませ、机に座る。


さあ、勉強だ。


学校に行く前の1時間ほどは勉強をする。多分だけどすごく偉い。親や友達に言えば目を見開き、尊敬の眼差しで讃賞するだろう。言うつもりはないけど。

勉強に集中する。

秒針の音に苛立ち、時計に目をやると針はいつの間にか7の数字をさしていた。


7:00


「嘘、もうこんな時間たった?」思わず声に出す。

勉強は現実逃避にもってこいだ。コツは集中すること。頭に余裕があると、ふとした時に学校が頭をよぎってしまう。

それから、考えるのをやめてしまうのが怖いっていうのも本音かもしれない。脳を止めた瞬間、自分の存在が泡沫のごとく消えてしまいそうで、思考のない無機質な存在になってしまいそうで、鳥肌が立つ。普通の人ならそんなことないのだろうけど、私の身体はなぜだかこの醜い防衛本能が働いてしまう。

しかしもう学校に行く時間のようだ。

無心で教科書をカバンに詰め込み、1階にゆっくり降りていく。

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