往・現
「こんにちは」
私が彼女が斜め上くらいに見えるいつもの場所に座った途端、話しかけられた。
だけど、やっぱり彼女は挨拶の時みたいに私の方を見ているわけではなかった。
私の目線の先にあるのは柵の上に座った彼女と、その向こうにある青空。
彼女の目線の先にあるのはただただ広い青空と、小さく見える町並み。
交わることはない。
「そうですね。一応はいます。でも人と話しながら食べるのがどうにも苦手で」
「ふーん、そう。ねえ、あなた。よければそのご飯、私に一口くださらない?」
え、と云うのが正直に思ったことだ。
だって彼女は私の知る限りいつもここに一人でいるし、昼食を食べている様子もない。
あまりにも人間味にかけているように見える彼女が、私の弁当に興味を見せるなんてありえないと思っていた。
誰にも見られないし食べられないことをいいことに弁当はいつも手抜きなのだ。あえてひとに食べさせるようなものとは思えない。
「くれないの? いつもは、ああ、食べてるのね、としか感じないのだけれど、今日はね。朝食をいつもより少なくしたことがまずかったのかしら。お腹が空いて仕方ないの。ねえ、一口で十分よ。それ、くださらない?」
ここまで言われると断るという選択肢はとれなかった。
「冷凍食品を解凍して詰めただけのおかずか、冷蔵庫からそのまま引っ張ってきた白米の二択ですけど、それでもいいならどうぞ。一口でなくても全然構いませんよ」
「あら、そんなこと言わなくていいのよ。欲しいと言ったのは私ですもの。恩に着るわ。やってほしいことがあったらいつでも言って。一つだけならできる限り何でも叶えるから」
「嘘じゃないですよね?」
「本当よ。私、嘘はつかない主義なの」
「それじゃあ考えときますね」
空に向かって話していた彼女が、こちらを向く。そして彼女はいつも乗っている柵から飛び降りた。
ふわりと彼女が着ているスカートが広がる。まるで、彼女が空を飛んでいるようだった。
スタっと危なげなく着地した彼女はこちらをじいっと見ている。
あっけにとられていた私は慌てて立ち上がり、まだ手を付けていない弁当と箸を彼女に差し出した。
「ありがとうね」
彼女は箸を持たないまま、かわいいカップに入った冷凍もののグラタンをためらいなく掴み取る。
手に持ったそれを雑な様子で口に入れた。
箸をまるで使おうとしないその行動は、私にはなんだか面白かった。
少しの咀嚼音が静かな場所に響く。
時折嚥下するために動く白い喉が、いやに艶めかしい。
「ごちそうさま。私、今までこういうものってあんまり食べてこなかったのだけど、意外と美味しいのね」
言うだけ言ってグラタンが入っていたカップを持ったまま、彼女は再び柵の上にひらりと飛び乗った。
だから私も再び腰を落ち着けて、少しだけ中身が少なくなった昼食をとることにした。
ご飯を食べた後、私は何をするでもなくただ彼女と、彼女が身を置いている空を眺める。
本当はずっとここにいたいけど、授業には出なければいけない。
そんなわけで昼休みが終わる、遅くとも十分前にはここを去ることにしている。
「それじゃあね」
振り向くことなく彼女は言った。
別れの挨拶を言われることも初めてだった。
「では、また」
もとから反応があることに期待はしていない。
ギイと音を立ててドアを開け、私は屋上を去った。
✜
教室に戻ると、私の席の後ろでクラスメイトの女子が数名騒いでいた。
気にせず座ったものの、微妙に甲高い声が煩わしい。
「えーっ次って「あの先生「授業ダルい「部活ってさ」etc.etc.etc……
一人でいると、自分の価値がわからなくなる。
そういうときは、現実と夢の境とか、今がいつだとか、時間の感覚も、曖昧になる。
私がいる意味。ここにある現実。カレンダーに書かれた日付と七つに分けられた曜日。時計からわかる、十二と六十で区切られた時刻。
見てわかるものもあれば、答えなんて宇宙の、地球以外で生命体が住んでいる星を探すよりも見つからないものもある。
自分ではどうしようもないと理解しているはずなのに、目の前にある希望を拾おうとせずにはいられない。
儘ならないことが多すぎて、息が詰まりそうだ。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムは時間に忠実に鳴る。
先生が入ってきて、授業が始まった。
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