第20話 おなかの傷口を見せるだけの健全なお話

 イシュタルテがアッシュに要求した魔道具は、アイテムボックス系の、いわゆる空間魔法に分類される魔法を使えるようにする触媒だった。


 そしてその魔法を埋め込んだチップは、彼女の彼女の穴に埋めてある。どこの穴なのかはイシュタルテのみ知る。


 反撃しようと思えばいつでもできたのだ。

 それをしなかったのはひとえに、猫様という人質を取られていたからのこと。


 むざむざ目の前にさらされて、牙をむかない理由はない。


「テメェ、どうやったんだ?」

「自分で考えろ。足りない頭で答えが出るとは思わんがな」

「ハッ、上等だ! 尋問して聞き出してやらぁ!」


 イシュタルテの獲物は苦無。

 対するウニ女は木刀。


 間合いが短い分、手数はイシュタルテのほうが多い。しかし――、


(ぐっ……重い)


 イシュタルテが初手に選んだのは、片手の苦無で木刀をはじき、隙をついてもう一方の苦無を突きつける一手。

 その選択を、後になって悔いる。


 重いのだ、一撃が。


 到底、片手で防げる相手ではない。

 だからとっさにもう一方の手を使い、苦無の刃を交差させて木刀を受けた。


「シッ! ハァッ! どうしたぁ! 守ってばかりじゃ勝てないぜッ⁉」

「……っ!」


 舐めていた。

 これまでの咬ませ犬が取るに足らぬ相手だったこともあり、相手の実力を低く見積もっていた。

 その結果がこの両手の痺れだ。


 回避に専念する。

 しかしそうなると間合いが短い分、攻撃が相手に届かなくなる。


 イシュタルテが本来得意とするのは、相手の間合いのさらに内側。超接近戦。

 だがその領域に踏み込むためには相手の攻撃の隙を突く必要があり、しかし目の前の相手はその機会をやすやすとは譲ってくれなかった。


 防戦一方の戦い。


 だからいったん距離を取り、仕切り直した。


(近い間合いでの勝負ができない、ならば……!)


 苦無の柄尻にある穴に小指をひっかけ、手の内で滑らせる。獲物がくるっと半回転したところで掴みなおし、やり投げの形で苦無を構える。


(投擲による、遠距離攻撃ならどうだ!)


 イシュタルテの手を離れた苦無が、真一文字に空を切る。ウニ女の眉間に吸い寄せられるかのような一撃。完璧にも思われた攻撃。


「な、に……?」


 イシュタルテはさすがに目を見開いた。

 なぜなら目の前の女が、左手の人差し指と中指を器用に使い、苦無の刃を掴んでいたからだ。

 すべての剣術流派に通じる徒手空拳。

 真剣白刃取り。

 それを知らなかったわけではない。

 だが、実戦でそれを行えるのはごくわずかな強者のみだった。


 驚きが、イシュタルテの体を硬直させる。


「返すぜェ‼」


 ウニ女は掴んだ苦無を、今度はイシュタルテに向けてぶん投げた。

 まるで時間が巻き戻されるかのように、苦無は持ち主のもとへと引き返していく。


 行きと帰りに明白な違いがあったとすれば、それは速度だ。

 イシュタルテより膂力に優れたウニ女が投げた苦無は、亜音速に迫る速度で飛んでいく。


「くっ」


 カキンと甲高い金属音がして、イシュタルテはどうにか苦無をはじくことに成功した。


「追い打ちが遅いんだよッ!」

「……ぐぅ!」

「ひゃっはー!」


 苦無の投擲と同時に距離を詰めていたウニ女。

 イシュタルテが苦無をはじいた隙を狙い、がら空きの胴体に木刀をたたきつける。


 イシュタルテは、間一髪掌底で受ける。

 それでも耐え難い衝撃が肘、肩と順々に伝達されて、イシュタルテははじかれるようにその場を飛び出した。


「はぁ……はぁ……」

「くくく、ざまあねえなぁ。分かっただろ。所詮テメエは、今年の新入生で一番優秀な成績だったっつうだけだ。強い奴はこの世にごまんといる」

「……そう、だな。ああ、知っていたさ。そんなこと、はじめから」


 イシュタルテは瞳を閉じた。

 その裏に描かれるのは、今は無き故郷での思い出。


 ひどく凄惨で、血なまぐさくて、思い出すのもつらい――最も感情を高ぶらせる記憶。


 生き残ってしまった罪悪感。


「私は、弱い。一人でできることなどたかが知れている。……だがな」


 そんな中、イシュタルテは、笑った。


 置き去りにしたのだ、過去を。


 いまはもう、孤独じゃない。


「あいつらとなら、お前にも負けない」

「あいつら……?」


 ウニ女が手を止める。

 否、より正確に表現するならば――思考を加速させる。


 追いつめているのは自分のはずだ。

 実力差は明白で、状況は追いつめている状態だ。


 それなのに、こいつの自信はどこから湧いてくる……?


「まさか……!」


 思考の外へと意識が向かうのとほぼ同時に、ウニ女は周囲を探った。探ろうとした。


「させるか」


 風切り音が響いて、苦無がウニ女に投げられる。


「ぐっ、このぉ!」


 イシュタルテの投擲をさばきつつ、同時に神経を周囲に張り巡らせる。それが出来るのはさすがだが、索敵は遅々として進まない。


 逆に、それは準備を整えていた。


 あとは射程圏内に獲物が飛び込んでくるのを待つだけ。

 3歩、2歩、1歩。


「これで、詰みだ」

「は?」


 ウニ女が間抜け面をさらす、さらした、その瞬間。


「サンダープリズン!」


 迸る電流が、ウニ女を取り囲み、襲い掛かった。

 筋肉がけいれんを起こし、ウニ女は地面に崩れ落ちる。


「が……っ⁉ まさか、ここまでの戦い、は……」


 言葉を最後まで告げる前に、ウニ女は意識を手放した。彼女が最後に見たのは歩み寄る女が、己を見下す風景。


「誘導だ。貴様を、あいつの射程におびき寄せるためのな」


 決着はここに喫した。



 あいつ、とはすなわち、学友のアッシュのことである。


 イシュタルテはもとより、一人で戦うつもりなどなかった。

 己の弱さを知るからこそ、人を頼るという強さと向き合える。

 そんな自分が、今は少し誇らしかった。


「ああ、イシュタルテ! 怪我だらけじゃないか! 今すぐ手当てするよ!」

「放っておけ。どうせ大半は古傷だ」

「女の子がそんな悲しいこと言うなよ」

「んな、なっ! 変な言い方をするなっ! 一瞬気があるのかと思ってしまったではないか」

「あるけど?」

「……は?」


 何と言った、こいつは?

 気があるといったのか?


「待て、待て待て。お前、シノアはどうした」

「結婚したいと思っている」

「何故その状態で私まで手を出そうとしている」

「イシュちーのことも好きだからだ!」

「開き直るな! そして都合のいい時だけその愛称で呼ぶなッ!」


 正直なところ、アッシュがシノアとやることやったんだと勘づいたとき、胸の奥がチクリと傷んだ気がした。

 だけど、だからこそ、か?


 自分のことも同様に好いてくれている。

 その事実が、うれしく思える。


「なあ、アッシュ」


 その言葉に、嘘はないのだな?


「包帯を巻いてくれるか?」

「え」

「多少肌に触れても何も言わん。嫌か?」


 お前は私の問いに、どう答える?


「うぉぉぉぉぉ⁉ ハイッ! ハイのハイのハーイ! 不肖アッシュ! イシュタルテの体に包帯を巻く治療行為をさせていただきます!」

「……ふふっ、そうか。ありがとう」

「こちらこそ! ありがとうございます‼」


 それと、これからも、よろしく頼む。 

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