第19話 くノ一「私は脅しに屈したりなどしない!」
アッシュがヒナと買い物に出かけていた頃、イシュタルテはというと、滝壺の前で修練に励んでいた。
学術都市アルカナのはずれにあるこの自然豊かな場所は人の出入りが少なく、彼女にとって修行に専念できる場所だったからだ。
だが、ことその日は前提が外れていた。
先ほどから、茂みの奥に潜む薄汚い気配が目障りに感じられる。
かかってこないならそれでいいと無視していたのだが、こう長い間粘着質な視線を向けられてはさすがのイシュタルテも不快感を覚える。
「おい、なんなんださっきから。要件があるなら姿を現せ」
イシュタルテは茂みに向かって声をかけた。
だが、茂みからは誰も現れない。
わざわざ居場所を把握していると知らせてやったのに、この期に及んでまだ隠れられていると思っているのか?
イシュタルテはあきれにも似た感情を抱きながら、仕方なしに苦無を取り出すと、茂みの前にある低木の幹に投げ刺した。
「出てこい。その苦無に巻きつけた起爆札を炸裂されたくなければな」
そこまでして、ようやく茂みから人影がぞろぞろと出てくる。見覚えのある顔ばかりだった。
「またお前たちか。懲りないな」
アルカナ学園会長であるソニアの取り巻き。
日焼けした肌にけばい化粧が特徴のギャル衆だった。
「うるせぇ! テメェのせいでウチらの学園生活はめちゃくちゃだしっ!」
「そうよそうよ! アタイらが会長から気に入ってもらえるまでどれだけ苦労したと思ってるのよ!」
「アンタに逃げられたせいでこっぴどく怒られたのよ? 申し訳ないとか思わないわけ?」
「思わんな」
イシュタルテが彼女らに対して感想を抱くとすれば、せいぜい暇人だなという程度。
彼女の目には吠え面をかくハイエナのようにしか映っていなかった。
「ふん! 強がっていられるのも今のうちだしっ!」
「そうよそうよ! なんてったって、アタイらの手にはアレがあるんだから!」
アレとは何か。
イシュタルテは少し気になった。
が、聞き出すことは無かった。
理由はふたつ。
ひとつ目は相手から情報を落としてくれたから。
「キシシ! アンタが学園で餌をあげてるネコ、今頃どうしてると思う?」
ふたつ目は、激怒から。
「貴様ら、そこまでして……人質を取ってまで私を陥れたいか」
「キャハハ! ウチらはなーんも言ってないしぃ? ただ、どうしてんだろうねーって聞いただけだしっ」
「ホントホント! そういう言いがかりはやめてほしいものよね!」
「ただまあ、ウチらに逆らえばどうなるか、アンタもわかるでしょ?」
「……要求はなんだ」
「簡単なことだしっ! 明日の放課後、裏山にある廃工場まで一人で来るしっ!」
「キシシ! 武器も持ってくんなよナァ!」
「教師を頼ろうとしても無駄だしっ! 明日一日だけはみーんな会長が足止めしてくれるしっ!」
*
と、いうことがあり。
イシュタルテは言われた通り、たった一人で裏山廃工場へとやってきていた。
酷いありさまだった。
壁が崩れ、むき出しになった鉄筋は雨風にさらされ錆だらけ。
地面からはカヤツリグサが好き放題に伸びていて、通路としての機能は失われているといってよい。
ただ一か所、不自然に踏み分けられた場所を道を除けば。
いっそすがすがしいほどの誘導だった。
イシュタルテは一通りぐるっと廃工場を見て回ったが、他に立ち入れそうな場所は無い。
普段携帯している忍具があれば話は別だが、今はそれを頼るわけにはいかない。
敵を刺激させないためにも、思い通りに進んでいると錯覚させるためにも、イシュタルテは素直に一本道を進むことにした。
「よォ、よく来たなぁ新入生。歓迎するぜぇ?」
「また面妖な髪型をした物の怪もいたものだ」
イシュタルテから見ればその髪型はウニのように見えた。明らかに重力に逆らう形で天井に向かって髪が伸びている。
そのウニ頭は女だと思われるが長ランにさらしという恰好をしており、肩には木刀を背負っている。
口でクチャクチャと音を立てるのが、少し不快だった。
「脱げ」
「なんだと?」
「武器を持ってねえかのチェックだよ。そういう約束だろ?」
「……その前に確認させろ。あの子は無事なのか?」
「さぁなぁ。お前の聞き分けが悪いようだと悲惨な目に合うかもしれねえけどな」
「……っ!」
腐れ外道が。
イシュタルテは口の中で呟いた後、自らの衣服へと手を伸ばした。はらりと布が重力に吸い寄せられ、陶器のような肌があらわになる。
「これで満足か」
「こいつは感心だ。聞き分けのいいガキは嫌いじゃねえぜぇ? と、いうとでも思ったか!」
「っ!」
ツカツカとウニ女はイシュタルテへと歩み寄ると、目にもとまらぬ速さで彼女の後頭部へと手を伸ばした。
手につかんだものは、イシュタルテの髪飾り。
つややかな髪が留め具を失い、ふわりとおろされる。
「カンザシ、っつうだったか。昔リーベンの女に手痛いしっぺ返しを受けたことがあってね、見え見えなんだよ、お前ら田舎者の考える手なんざ」
からんからんと音を立て、
彼女らが使う簪は、かたい金属を利用した髪留めであり、女性が自然に持ち歩ける暗器でもあった。
とにもかくにも、これでイシュタルテの手元に武器は無くなった。
「壁に手を付け。涙も声も枯れるまでいたぶってやらぁ!」
「……わかった。だが、最後に確認させてくれ。あの子は、本当に無事なんだな?」
「チッ、そういう偽善者ぶった態度がムカつくんだよ!」
ウニ女が鉄筋に木刀をたたきつける。
「だがまあ、アタイはこう見えて意外と優しい性格でなぁ? 特別に見せてやるよ。おい!」
彼女の怒声に、裏手からアイアイサーという声が返ってくる。
ほどなくして現れたのは、金属のケージを手にもったギャル。
そして、その金属の織の中でぐったりした様子の、イシュタルテが大事にしていてネコだった。
「おっと、下手な動きを見せるなよ? テメエが暴れる前にあの子猫ちゃんがお亡くなりになるぜ?」
「……ひとつ、忠告しておこう」
「あ?」
「私の故郷にはこんな言葉がある。怒髪冠を衝く。貴様らが本気で私を下すつもりなら、貴様らはあの子を私の前に見せるべきではなかった」
「いきがりを。武器も仲間もいない、女一人になにができ――」
ウニ女が言い切るより前に、廃工場を悲鳴が満たした。
何事だと振り返れば、ネコをとらえていた下っ端が、手の甲に刺さった手裏剣に顔をゆがめ、苦悶の声を上げている。
「残念だが、今の私には仲間がいる。愚か者が」
ウニ女が再び前に向き直ったとき、そこにはくノ一がいた。
その手にいつの間にか、傷だらけのネコを抱きかかえて。
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