第7話 いっけなーい、遅刻遅刻ぅ!
今日という日は俺にとって大事な一日だ。
なぜ大切か?
今日がアルカナ学園の入学式だからだ!
これがどういう意味か分かるか?
(『いっけなーい、遅刻遅刻ぅ』女子と出会い頭に衝突するイベントが発生するっていうことだ!)
もはやぼろ雑巾になるほど古くから伝わるテンプレートだが、これを
彼には世界を救うという使命があるのだ!
こんな雑務を押し付けるわけにはいかない!
では、俺に何ができるか。
答えは単純明快。
そう、これもすべては後の世のため。
決して俺がラッキースケベを体験したいからとか、女の子の股に顔をうずめたいからなんていう不純な動機からではない。
「アッシュ? 遅れるよ?」
布団に潜り込む俺と対照的に、ブレザーに着替えた(いつの間に)シノアが声をかけてくれる。
ああ、朝からシノアのモーニングコールが聞こえるなんてここは天国か……!
くぅ、まだシノアの声を聴いていたいけど、そうも言ってられない。
彼女は時間に余裕を持って行動するから、一緒に登校しようものなら遅刻間際に登校するヒロインとぶつかるなんて不可能だからだ!
だから、心苦しいが嘘をつく……!
「ぐっ、シノア……俺は無理だ。お前だけでも入学式に向かってくれ」
「アッシュ⁉ まさか……昨日の決闘で無理をして」
うっ、とおなかを抑えるようにうめき声を上げたら、シノアの顔が見る見るうちに蒼白になっていく。
え? そこまで心配されるのは想定外。
もしかして俺に好意を……いやいや待て待て。
シノアがやさしいだけだ。
危うく勘違いするところだったぜ。
しかし、これほど心配されてしまったらまっとうな理由で仮病を使いにくいな。
もっと自業自得だって思われるようなもの。
「いや、昨日の帰りに拾ったヨーグルトがダメだったみたいだ……」
シノアの目から光が消える。
ゴミを見るような目で見下されている。
「昨日は一緒に帰ってきたでしょ」
「ハッ!」
そういえばそうだった!
言い訳にしても苦しすぎる……!
「ほら、バカなこと言ってないで支度支度」
「はい」
まあいいか。
どうせ
前日の体力が25パーセントを切ってると確定で遅刻ギリギリになるんだけど、そんな真似はしてないだろう。
シノアとの決闘も俺がこなしたしね。
これが原因でタイムロスが発生することは無いと思う。
別に悔しくなんてない。
*
学生寮がいくら学校と近いといっても、やはり少しは距離がある。
で、結局俺たちは、遅刻するかしないかのギリギリで通学路を走っていた。
「もう! アッシュが準備に手間取るから!」
「それはゴメンって!」
謝りながら、内心では期待している。
この時間帯ならヒロインの『いっけなーい、遅刻遅刻ぅ』イベントに鉢合わせられるんじゃないか⁉
女の子のお股に顔を埋められるんじゃないか⁉
ひゃっはー! たぎるぜ!
と、ちょうどT字路を駆け抜けたところだった。
俺の視界、その末端。
路地の陰影の中心に、少女がいた。
「いっけなーい、遅刻遅刻ぅ!」
アルカナ学園のブレザーに、桃色の髪。
バターをたっぷり塗ったトーストを口にくわえた少女が走っている!
俺は絶望した!
(クソッ! タイミングが数秒早かった!)
気が急いていた。
脳が少女を認識した時には俺の体はT字路を走り抜けようとしている。
これじゃあぶつかれない!
あきらめるしかないのか⁉
ここまで来て……!
(いや……! まだだ……!)
足の裏を地面に突き立てる!
引き返せ! 引き返すんだ!
今ならまだぶつかれる‼
最高速度に達していた運動エネルギーを無理やり地面に押し流す。反作用が鈍い痛みで足に響く。
そこまでしてなお、俺の体は慣性の法則を打ち破れずにいる……!
(チクショウ……チクショウ……ッ!)
すぐそこに夢にまで見た景色が広がっているというのに、エロゲのモブにはつかみ取ることすら許されないのか⁉
くやしさに歯を食いしばりながら、執念で体をひねり、切り返す。
見つめた先の光景に、俺は言葉を失った。
(なん、だと……)
驚きの表情を浮かべるシノアと、そこに向かって全速力で突き進むヒロイン!
半秒後にはお互いの体がぶつかり合い、ラブコメかよと突っ込みたくなる展開が待っているだろう。
そんな、そんなことって……!
(そのポジションはッ、俺のものだッ‼)
刹那の間、俺の肉体は限界を凌駕した。
目の前に広がる空間がひび割れた。
1秒が無限に引き延ばされていく粘性を帯びた世界で、俺の叫び声だけがはっきりと聞こえている。
「「「――⁉」」」
ふたりの間に割り込んだ。
立派なおもちにサンドイッチされる俺の体。
全身を打ち付ける強い衝撃が俺を現実に引き戻すが、知ったことじゃない。
全身を満たしていくのは達成感。
見てるかロイド!
俺の雄姿を……!
「いったーいっ! ハッ! だ、大丈夫ですか⁉ お医者さん! お医者さんは……!」
桃色の髪のヒロインは、ごめんなさいごめんなさいと高速で頭を下げながらおろおろしていた。
トーストにたっぷりと塗ったバターが奇跡的な軌跡を描いて少女の髪にべったりとまとわりつき、黄金律のシナジーを生み出している……!
眼福です!
「あっ! たしかおじいちゃんにもらった触媒で……! ヒール!」
少女が魔法を唱えると、俺とシノアに光が降り注いだ。キラキラと輝く光子が触れた個所から、擦り傷や腫れが消えていく。
「えへへぇ! よかったぁ! あたし、ヒナ! ふたりともアルカナ学園の生徒だよね! 学校であったら友達になろうね! またねー!」
ばっびゅーんという効果音が付きそうなほど、少女は元気よく走り去ってしまう。
台風みたいだなぁ。
「ハッ! アッシュ! アタシたちも遅刻しちゃう!」
「やべっ! そうだった!」
間をおいて我に返った俺たちは、慌ててヒナの後を追いかけるのだった。
遅刻はギリギリセーフだった。
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