第三章:君死にたまうことなかれ Runaway

#1:意外な再会

「と、そういうわけで高校生三人が銃を持ってこちらに向かってきたので、とっさに彼女は……マチルダは応戦したということです」

 樺太の豊原収容所の面会室。あそこのことを取調室みたいだと俺は思ったが、実際の警察署の取調室に入ったのは、今日が初めてだった。

「なるほど。天竺刑事の証言と一致しますね……」

 取調室は机を挟んで、椅子が二脚ある簡素な配置をしている。こちら側にマチルダが座り、その後ろに俺が控えた。向こう側に刑事が座っている。向こう側には壁際にもうひとつ机があり、そこに置いてあるワープロのような機械にもうひとりの刑事が俺たちの証言を打ち込んでいる。

「できれば彼女からも証言を聞きたいんですが」

「彼女は日本に来たばかりで、あまり日本語が得意でないもので」

「わたし、にほんご、わかりません」

「それ日本語分かる人の常套句ですよね!?」

 マチルダが話すと馬鹿正直に「抵抗する間もなく三人殺しました」とか言いかねないので、彼女には証言させないようにしている。

 これはだいたい、天竺の采配である。

 勘違いされがちだが、正当防衛とは殺人を容認するものではない。あくまで「相手に攻撃を加えなければ身を守れない状態である」から攻撃が許容されるのであって、相手を無力化した時点でそれ以上の攻撃は許されない。

 国守第三高校での影本陽太警護依頼の日、マチルダは犯人――正確には影本を狙っていた脅迫犯とは別の一団だが――の男子高校生三人組を殺害した。目撃した俺たちの目にはどう見たって余裕の殺害であり、彼女には三人を殺さず無力化するだけの能力と余地があった。少なくとも殺さないと身を守れないというほどに切羽詰まってはいなかった。それを正直に話すといろいろ問題が生じるので、天竺がいろいろ手を回してくれて、正当防衛ということで片付くようにしてくれたのだった。

 そんなことしていいのかと思ったが、こっちには得しかない話だから乗るだけだ。マチルダがこれから日本で暮らすにあたり、初っ端から殺人犯という烙印を押されるのはマズい。

 しかし……。

 一刑事の証言でここまで話がねじ曲がり、マチルダの罪も消えるものか……。警察が身内の証言を精査していない……のとは少し違うな。それだけ、天竺が警察内部でも信用ある立場にいるということなのだろう。いずれにせよ、俺たちには利のあることだ。

「しかし彼女……ポートマンさんでしたか。彼女の身元は照会しても出てこないんですが」

「今朝身元を国に担保してもらうための諸々の手続きの書類を郵送したところですからね。あらかじめ話は豊原収容所から通っているので処理は早いと思いますが、それでも役所仕事ですし」

「そうですねえ。では次は……」

 まだ続くのか。昼過ぎにこの国守分署に来てからずっと聴取でいい加減疲れたんだが……。

 そう思っていると、取調室の扉がノックされる。

「どうぞ」

「オレだ。入るぞ」

 中に入ってきたのは天竺だった。

「天竺刑事。どうしました?」

「そこの探偵とお嬢ちゃん、今日はもう帰っていいぞ。ただ、お前さんらには後でまた聴取するかもしれないから、連絡は取れるようにしてくれ。……探偵業やってるならその辺は心得てると思うが」

「そうですね」

 やっと帰れるのか。警察ってのは業務上やむをえないとはいえ同じことを何度も聞くからな。今日はいいが、また後日同じことを聞かれるかもしれない。本当に面倒だ。

「え、いいんですか?」

 困惑したのは俺たちを取り調べしていた刑事だった。

「上からもできるだけ早く書類まとめろって……」

「そうなんだが、優先順位の問題だ。が出たからな」

 平等主義者イコライザー……? 何のことだ?

「つい先日四件目が出たばかりじゃないですか。やけに早くないですか?」

「作業が中断してる建設現場の物陰に倒れてたんだとよ。まだ身元の照会は済んでないが、ひょっとしたら行方不明扱いで処理されてた誰かかもしれん。死体の腐敗も進んでるから、だいぶ前に殺されたのかもな」

「発見が遅れたパターンですか。それはまた……」

「らしいな。……そういうわけだ。お前さんら、今日は帰ってくれ」

「…………分かりました」

 マチルダを連れて、俺たちは取調室を後にする。

 署内を通って外へ向かうが、銃器犯罪対策課のデスクではスーツ姿の刑事たちが慌ただしくしていた。それを横目に抜けていく。

「ミスター所長代理。イコライザーとはなんでしょうか?」

 俺の後ろをついてくるマチルダがそんな疑問を口にした。

「さてな。そんなアメリカ映画があった気もするが、たぶん違うし」

「銃の愛称にそのような名前があったと記憶していますが、どの銃だったか思い出せません」

「天竺たちの話しぶりからするに、連続殺人犯ってところか。警察内での通称がイコライザー。しかし最近、あったかなそんな連続殺人事件……」

 と、記憶を辿ってみて思い出す。

「確かあいつら、四件目がつい先日起きたって言ってたな。じゃああれか。ひょっとして今年に入ってから都内で起きている連続銃殺通り魔事件のことか」

「銃殺通り魔……」

「殺人事件は捜査一課の受け持ちだが……銃器犯罪対策課も動いているってことはそうなんだろうな。しかし銃で通り魔とは珍しい……」

「珍しいのですか? 銃で人を殺すのはごく自然と思いますが」

「そりゃ戦場ならな……。いや平時でも銃で人はばんばか殺されてはいるんだが」

 ここら辺は、マチルダの感性と常識ではまだしっくりこないところかもしれない。

「通り魔ってのは、通りすがりに人に危害を加える犯罪者のことだよ。イコライザー事件は被害者が皆、夜道で殺害されているから通り魔と呼ばれている」

「夜に粛清対象を襲うのは定石です」

「さて……犯人の目的は分からないな。無差別なのか、何か狙いがあるのか……。粛清ってのも案外的外れじゃない動機かもしれない。ただ銃を使うのは珍しい。通り魔の犯行利点は、夜中の目撃者が少ないタイミングで、手早く相手を害しその場を離脱するスピードにある」

 犯行場所というのは捜査において重要なファクターだ。その現場に出入りできる人間は基本的に限定され、そこから捜査の手が及ぶ。さらにその現場周辺には必ず目撃者が存在する。この日本において、人の目が届かない場所は少ない。

 だが通り魔の犯行現場は暗い夜道だ。誰がいても不思議じゃなく、誰がいても不自然ではない。目撃者はそもそも少なく、仮にいたとして犯人かもしれないとピンとくるかどうか……。

 さらに通り魔が被害者を無作為に選定している場合、ことは面倒になる。警察の捜査は基本的に、被害者の交友関係を洗う方向で進む。なぜ被害者は殺されたのか。怨恨か利益か。犯行による益徳クイボノが重視される。無作為に被害者が抽出されている場合、犯人と被害者の間に接点がなく、この点から犯人を追うのは難しくなる。

「ところが銃を使うと、銃声が当然鳴り響く。それは人の目を引き付けるし、被害者の体内に残る弾丸は明確な物証となる。捜査を困難にさせるという通り魔の利点に対し、凶器を銃とするのは少しズレているな」

「少なくとも銃声は、消音器サイレンサーを用いれば軽減できます」

「民間人がサイレンサーを購入するのはハードルが高すぎる。物自体がかなり高額な上、登録料でもうひとつ買えるくらいに金を払わされる。そして手続きも面倒だ。それだけの面倒を乗り越えても、買えるのは軍用からかなり性能を落とした民間向けの気休めみたいな商品だけだ」

 それにサイレンサーという道具は、フィクションにおいて誇張して性能を表現されるものだ。実際はそこまで銃声を小さくできはしない。閑静な夜道で撃てば、どうしたって銃声が目立つ。

 マチルダがまさかサイレンサーの性能を過大評価しているはずもないが。彼女の場合、銃声が聞こえるのが当たり前の戦場に身を浸しすぎたせいで、日本の一般的な夜道で銃声が聞こえるとどうなるかが想像できていないだけだ。

「所長代理はこの事件に関わらないのですか?」

 と、マチルダは妙なことを聞いてくる。

「……と、いうと?」

「探偵は事件に首を突っ込むものだと、レオン大尉から聞いています」

「ああ……」

 あいつ変なこと教え込んでいるな。

「それは物語の中の探偵だけだ。興味深い事件に関わること自体が報酬ってタイプのな。まさか霞を食って生きるわけにもいかないし、俺は報酬が発生しない事件には関わらない」

「そういうものなのですね」

「そういうものだよ。君も、利益がないことに首を突っ込むのはくれぐれも控えた方がいい。能力を安売りしてはいけない。自分の時間と能力を安く買い叩かれれば、それは身の破滅だ」

「件の芦原という男のように、ですか」

「そういうこと」

 この国には人を安く買い叩きたくて、腕まくりと舌なめずりを欠かさないやつらが多すぎる。マチルダがこの先どうやって身を立てるにしても、自分の能力を適切な価格で提供することは覚えておいて損はない。

 それこそ日本において外国人は、カカオやバナナみたいに買い叩かれるからな。

 警察署を出る。既に空は夕日に染まっていて、茜色の陽光がマチルダの銀色の髪をきらきらと染めた。

 スマホを取り出して時間を確認すると、十六時を過ぎていた。

 お腹が空いたが夕飯にはまだ早い時間だな。中途半端なタイミングで解放されたものだ。

 おやつでも食べるか。

「そういえばマチルダはドーナツって知ってるか……って聞き方はさすがに馬鹿にしすぎか?」

「ドーナツ…………」

 あ、これ知らない反応だ。

「聞いたことはあります。中央に空洞のある菓子だとレオン大尉から。その空洞の存在はドーナツという菓子のアイデンティティに大きく影響し、またドーナツの空洞は空洞のみで存在しうるのかという問いは哲学的に重要だとも」

「マジで何教えてんだあいつ……。まあいいや。駅前のスーパーの一階にミスドが入ってるから、そこでおやつにでもしようかと……」

 この調子だと、いろいろ、彼女には見識を深める機会を与えないといけないのかもしれない。ドーナツも知らないでは変なやつと思われる。変なやつと思われることは、この日本では非常にマイナスだ。

 そんなことを考えていると、手に持っていたスマホが着信を告げる。

「なんだ……?」

 画面を見ると、それは事務所の固定電話への着信がスマホへ転送されたことを示していた。なにせ人手の足りない零細探偵事務所だ。いつでも俺が電話に出られるよう設定しておいたのだが、初めて役に立った。

 探偵事務所の番号に電話がかかってくるということは、仕事に関係する何かだろうか。つい先日、影本の件でひょっとしたらテレビに顔が映って、それで身元がバレたかな……。いや、そういえばそのときは今日と同じでいつも通りPJ社のウィンドブレーカーを着ていたし、404NF社だとバレることはなかったはずだが。

 むしろそれ、広告の機会を逃している気もするが……。まあ影本の警護をしていたなど誇れる話でもないからそれでいいか。

「もしもし」

 影本の件で嫌がらせ電話でも来たのかと思ったが、考えても埒が明かないか。電話に出ることにした。

『もしもし……404NF探偵事務所でしょうか』

「はい。所長代理の羽柴と申します」

 電話口から聞こえてきたのは女性の声だった。……どこかで聞いたことがある声、のような……。電話越しだからよく分からないが、変な既視感……めいたものがあった。

「ご依頼でしょうか」

『はい……実は、弟を探してほしくて』

「なるほど。行方不明者の捜索ですね」

『その……えっと』

 女性は、言い辛そうに言葉を濁しながらだったが、さらに事情を説明する。

『弟は国守基地に配属されていたのですが、その、しまして……』

「…………それは」

 家出か駆け落ちでもして行方をくらませたのかと思ったが、よく考えればそれはいわゆる小規模経営PMCとしての探偵の領分ではない。だが、軍に関する仕事だというのなら……。

『脱柵が判明したのは三日前と聞いています。あたしの地元は愛知県でして、連絡を受けてそこから今東京に出てきたのですが……』

「今はどちらに?」

『国守区のビジネスホテルです。東久留米の東横INNに』

 事務所最寄り駅である清瀬駅の一駅向こうのホテルか。

「おそらくですが、弟さんがあなたに連絡を取るかもしれないと、国防軍の人が傍についていますね」

『え……傍には誰も』

「尾行がいるんですよ。脱柵者捜索の常套手段でして。具体的な話をしたいところですが、探偵に依頼をしたと気づかれると厄介ですね」

『どうしたら……』

「大丈夫です。少し失礼」

 スマホを顔から離し、マチルダの方を見る。

「君、尾行を振り切るとかできる?」

「訓練は受けています」

「よし……電車って一人で乗れる?」

 一応警察署までは最寄駅から電車に乗ってきたので、乗り方は教えたんだが……。

「問題ありません」

 マチルダはいつもどおりきわめて機械的に答えた。むしろその反応が不安だよ……。

 しかしまあ、まさか乗れないということもない、はず……。

 よし。

「すみません、戻りました。では迎えを用意します。東久留米駅に向かってください」

『迎え、ですか?』

「はい。うちの社員……ではないんですが、そのような感じの。高校生くらいの銀髪の女の子ですからすぐに分かるでしょう。彼女に尾行を撒かせてから清瀬に向かってもらいます。そこで落ち合いましょう」

『は、はい。分かりました』

「何かあったらまたかけ直してください」

 電話を切る。

「依頼ですか?」

「まだ詳細は聞いてないがな。とにかくそういうことだ。君は尾行を撒きつつ依頼人を連れてきてほしい。清瀬の駅前のスーパーにあるミスドだ。場所は分かるな?」

「探偵事務所周辺一帯の地理は把握しています」

「よし。おそらく国防軍……日本の軍人が尾行についている。尾行の腕はそれほどじゃないと思うが、念のため警戒してくれ」

「了解しました」

 いつも通り彼女は敬礼をして、それから俺たちは分かれて行動に移る。といっても、マチルダにやることは放り投げてしまったので、俺は先にミスドに行って席を確保するくらいしかすることはない。

 本来なら俺が出向くのが筋で、マチルダを使うべきじゃないんだが……。ことは脱柵者の捜索だ。国防軍は自分たちで確保するために躍起になっている。そうせざるをえない。だが親族的には自分たちが先に見つけ、説得した上で自発的に戻ってもらうのが一番いい。世間体的にも、な。そのための依頼。つまり国防軍側に探偵が動いていると気づかれるのはマズい。

 いかにも探偵業らしい中年男と、ロシア系の少女。どっちが依頼人に接触して不自然に思われないかは、かなり難しい判断を迫られるところだ。どう動いても依頼人に張り付いているであろう国防軍の注意をひいてしまう。ならば俺よりも尾行を撒くのに優れているだろうマチルダに頼むのがいい、はず。

 本当にひとりで電車に乗れるんだろうな……。むしろそっちが心配だ。

 とはいえ、心配するしかできることもなく、俺はミスドでしばらく待つことにした。

 安心したことに、ちゃんとマチルダは仕事を果たして戻ってきた。彼女は連れてきた依頼人の女性と一緒に店内に入ってくる。

 依頼人は髪が背を覆うほどに長い人だった。サングラスとマスクで顔を隠している。警戒して……ではなくて単に花粉症対策かもしれない。そういえばそんな時期か。俺は花粉症じゃないし、どうもマチルダも花粉症ではないらしいのですっかり忘れていた。

「戻りました」

「よかった……こっちだ」

 マチルダがこちらに歩いてくる。だが、依頼人が動かない。

「……どうしましたか」

「ひょっとして、理三郎くん?」

「え?」

 理三郎、くん?

「確かに、俺は羽柴理三郎ですけど……」

「やっぱり……電話で声を聞いたとき、聞き覚えがあると思って……」

 依頼人が、サングラスとマスクを外す。

 彼女は、俺と同い年くらいに見える。

 いや見えるというか。

 まったく同年齢だ。それが分かる。

 なぜなら。

「久しぶり、理三郎くん。成人式の同窓会以来かな」

「……君は」

 そういえば、地元は愛知県と言っていたな。……俺と同じ。

青柳美鈴あおやぎみれいさん……」

 心臓が、ぎゅっと締め付けられるような気がした。

 依頼人は、まさかの、中学時代の同級生だったのだ。

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