#8:エピローグ
「もしもし。ああ教頭先生。どうも」
事件の二日後。俺は事務所で電話を受けていた。
「はい、はい。……入学の件は取り消し。そうですか、まあそうでしょうね。依頼料も払わない? ええ、成功報酬はそうなりますね。ですが必要経費と前金は請求通り……払わない? それは駄目でしょう。仕事には対価を払うものです。社会のルールですよ。なるほど。でしたらあなたのところの生徒三名がカウンターに対し発砲したという情報をメディアに売り込んで足しにするしかないですね。警察は混乱を避けるために発表を控えてますが。はい、当然守秘義務はありますよ。しかし公の利益になるものでしたら、告発するのもやむなしでしょう。ええ、ですから依頼料、期日までにお支払いください。お願いしますね」
電話は切れた。受話器を置いて、書類の作成に戻る。
『続いてのニュースです』
事務所に置いたテレビからは、ニュースが流れている。俺は少女の方を見た。三人を手早く殺してみせた少女は、そんな大仕事なかったかのように、事務机に座って新聞記事のスクラップを作りながら、時折テレビに視線を向けていた。
『先日発生した国守第三高校での銃乱射事件についての続報です。被害者の影本陽太くんは病院に搬送され治療を受けていましたが、さきほど亡くなったことが確認されました』
爆弾の質が悪かったのか、それとも行いの報いがそうさせたのか。影本は即死しなかった。たっぷり一日以上苦しんで、医師の治療の甲斐なく死んだ。人の命など、そういうものなのかもしれない。
『容疑者は意識不明の重体を負い、現在も病院に収監されています。容疑者は二年前、影本くんが誤って殺害した少女の父親との情報が入っています』
テレビ画面が切り替わる。そこには例の犯人である大男の写真と、もう一枚、子どもの写真が映っていた。
おかっぱ頭の、目鼻がくっきりとした女の子だ。
「………………」
影本のことはあまりちゃんと覚えていなかったが、この子のことは覚えている。なにせ、俺がスーパーへ買い物に行ったとき、客に絡まれているのを目撃したからな。
そして。
その後彼女は撃たれて死んだ。だからよく覚えている。
『この事件に対し、総理は哀悼の意を表明しました。野党からは二年前の事件に対して総理が何の反応も示さなかったことが指摘され、反発を招いています。いかがでしょう、五味さん』
キャスターはコメンテーターに話を振る。
『ロシア人は憎むべき相手ですが、報道によると少女はイタリア系移民だとのことで、実に痛ましい事件だと思います』
「ところで」
俺は彼女に話しかけた。
「君の名前なんだが、マチルダってのはどうだろう」
「……マチルダ、ですか?」
少女は首をかしげる。
「マチルダ・ポートマン。……嫌だったかな」
「わたしは名前にこだわりがありません。しかし、何か意味のある名前なのですか?」
「意味は……別にないさ。ただ、ロシア系だと思われるとこの国じゃ生きづらいからな。それっぽくない名前にはした」
「お気遣いありがとうございます」
感謝されることでもないんだがな。
「じゃあ君は今からマチルダだ」
「了解しました」
書類に彼女の名前を書き込む。これで後は封筒に入れればおしまいだ。
『続いてのニュースです。東京で続発する銃殺通り魔事件ですが、警察発表によりますと四件目が発生したとのことです』
「書類を出してくる。近くのポストに行くだけだから、すぐに戻る」
「はい」
封筒を持って外に出た。いつも着ているウィンドブレーカーは着忘れてしまい、少し寒かったがいいだろう。樺太の寒さに比べればどうということはない。
歩いていると、街頭ではなにやら署名活動が行われているのが目に入った。
「騒がしいな……」
そこは人だかりになっていて、大勢の人が署名をしている。
「影本くんを殺害した犯人への極刑を望みます!」
「署名をよろしくお願いします!」
あまり近づきたくなかったが、ポストは連中のすぐ横にある。少し遠くのポストにしようかと思ったが、すぐ帰ると言った手前、待たせるのもあれかと考え直す。別に多少待たせたところで文句をいうタイプじゃないだろうけど。
彼女は。
マチルダは。
「…………」
署名を求める一団を避けながら、俺はポストに近づく。
個人識別番号1984。チェチェン共和国虐殺部隊の元少年兵。ただの少女。
俺が今手元に持っている書類を郵便ポストに投函すれば、彼女は変わる。
マチルダ・ポートマンに。
それが本当に正しいことなのか、俺には分からない。
彼女を、この喧噪の中で生きさせることが本当に正しいのか。
同じ人殺しでも、片や哀悼を表され、片や死を願われる世界で生きるのは、正しいのか。
「それを言い出したら、世界そのものが正しくないというオチになる、か」
正しいとか正しくないとかではなく。
選択肢はない。
俺たちには。
俺と、マチルダには。
封筒をポストに投函する。俺は署名活動の馬鹿騒ぎを聞きながら、その場を離れていった。
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