#2:依頼人襲来

「もしもし。国守第一高校ですか。ええ、はい」

 樺太から東京へ戻って数日後、俺は自身の城たる404NF社の事務所で書類を作りながら、方々に電話をかけていた。

「そちらで移民の子どもの受け入れをしていると聞きまして。いえ、ロシア系ではないです。近いところの出身ですが。日本語を問題なく話せます。なんなら英語も……、え、駄目? ロシア系は許可できない? いやだからロシア系じゃないんですって近いけど。国籍の条件はサイトに書かれてなかったじゃ――切れた」

 受話器を置く。思わずため息をついて、それから次の電話先を探していく。

 ここ数日これの繰り返しである。

「レオンめ……学校も準備してくれれば……いやそれは贅沢が過ぎるか」

「大尉がどうかしましたでしょうか?」

 書類棚にはたきをかけていた彼女がこっちを見る。

「いやなんでもない」

「かしこまりました」

 言って、少女は掃除に戻った。

「…………」

 俺は少女を見る。樺太から来てこっち、とりあえずやることがないと落ち着かないだろうということもあって、彼女には事務所の掃除を頼んでいた。さすがに元軍人というだけあり、この手の雑務をやらせると彼女は細かいところまで行き届いてキレイにしてくれる。まあこっちが休むよう言わないと延々と掃除し続けるんだけど。

 そんな彼女は白いニットセーターとジーンズというラフな格好をしていた。さすがに収容所にいたころのあのつなぎは着ていない。

「さて、と……」

 電話は諦めて、俺は書類づくりに戻った。レオンは彼女の身元を引き受けるよう俺に頼んだが、そのための準備も大方済ませてくれていた。事務所には彼女の身分を日本に担保してもらうための書類がいくらか用意されており、必要事項を記入ししかるべき機関へ郵送すれば万事万端整うようになっている。俺がこの辺りの事務仕事を苦手にしているのをあいつはよく分かっている。

 その書類も、手書きが面倒ということを除けば基本的に苦労のない書類だ。現住所はこの事務所の住所でいい。我が事務所は零細探偵社にしては豪勢な三階建てガレージハウスで、一階がガレージ、二階が事務所、三階が居室になっている。彼女には三階の部屋をあてがったから、そこに暮らしていれば問題はないのだ。移民がこの国で身分を立てる上で大きなハードルである現住所の問題はクリアしている。ひょっとしたらレオンのやつ、このことを見越して事務所を用意したのかもしれない。

 彼女の生年月日も分かる。持っていたドックタグに血液型と生年月日は記されていた。それによると、彼女は来年度――四月に高校一年生になる年齢だ。ゆえにさっきからこうして、高校に連絡を取って通わせられないか交渉をしているわけなのだが、駄目だな。レオンは彼女を学校へ通わせるつもりがなかったのか、単にそこまでは準備が間に合わなかったのか、ともかく手つかずである。

 しかし学校には通わせたい。これから日本で暮らすのに移民で学歴もないでは困難が大きすぎる。せめて高校は卒業しておかないと、仕事を探すのも一苦労だ。仕事はうちの探偵社で働いてもらえば最悪身を立てることもできなくはないが……。うちだって零細だ。もっと安定したところに勤められるならそれが一番いい。

 なにより、少年兵として生きてきた彼女がこれから平和な日本で暮らすにあたり、一般常識を身につける機会が必要だ。その場として学校は適切だろう。同年代の仲間と学び、周囲の振る舞いを見ればおのずと常識は身につくはずだ。こういうのは大上段に教えてもどうにもならない。自分と周囲のズレを自覚してもらい、そして自分から変わろうとしない限りは……。

 学校は今後の課題だな。一年くらいなら入学がずれても大丈夫だろうから、慌てずやっていくしかない。

 問題は……。

 左手に持ったボールペンは、彼女の氏名の記入欄で止まってしまう。

 名前。

 そう、名前だ。

「ところで今更なんだが、君、名前は?」

「ありません。一兵卒には不要でしたので」

 すげなく、そんなことを言われてしまう。

 それを言われると、先を聞くのも二の足を踏んでしまう。きっと彼女にも幼少に、両親からつけてもらった名前があるはずなのだ。それを聞ければいいが、彼女がその名前を口にしないことの意味を考えると、聞くのも恐ろしい。

 自分の名前を忘れるほどの過去があるのか、そもそも親から名前を付けてもらっていないのか。

 個人識別番号ドックナンバー1984。それが彼女を識別する固有名詞のすべてである。ドックタグにもそうとだけ記されている。収容所で門倉が彼女を番号で呼んだのは、捕虜など番号で十分という考えからではなく、そうとしか呼びようがなかったからだ。

 名前を剥奪する。個性ある人間をただの一発の鉛弾にして、暴力の被膜フルメタルジャケットで覆う。それが軍隊のあり方だ。特に、少年兵の扱いというのはそういうものなのだろう。

「あー、じゃあ」

 少し悩んで、無難なところを突っ込んだ。

「レオンからは何て呼ばれていた?」

「大尉からも、1984と呼ばれていました。あるいは単に淑女レディと」

「レディねえ。気取ってるなあ」

「あの人は女性に対してはだいたいレディと呼びます」

 …………ひょっとしたら、いま彼女はわずかながらむくれたというか、嫉妬みたいなものを見せたのかもしれない。相変わらず表情は無機質でまったく変化に乏しいが、そんな気はした。

「あいつ変な綽名付けるの好きなのになあ。俺もミスター・デュイットだったし。しかし仮に綽名を君につけていたとして、それを本名として扱うわけにもいかないか」

「わたしに名前が必要なのですか?」

「そりゃ必要だろう。君の身分を国に担保してもらうにも、君の名前がないとどうにもならない」

「ではミスター所長代理が好きにお呼びください」

「それが一番困るんだよあな……」

 人の親になるどころかペットを飼ったことすらないのに、名づけなんて荷が重すぎる。とはいえいつまでもウジウジしていられないし、適当にえいやっとつけるしかないが。とりあえず方針として、奇抜過ぎないことと、ロシア系じゃないことは守るとして……。今の日本だとロシア系は生きづらいからな。彼女は外見でロシア系だとバレそうだが、名前だけでもごまかせるならごまかすに越したことはない。

 案外日本人系の名前をつけちゃった方がよかったりするのかな……。分からん。

 そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。

「この音は……」

「来客だ。俺が出よう」

 書類を置いて、来客に対応する。しかし客? 依頼人だろうか。自分が所長代理をしている社に対して言うことじゃないかもしれないが、こんな零細探偵社に依頼人? NHKの集金じゃないだろうな。ああそうそう、集金人が来るようなら金を払わず突っぱねろと、彼女にも教えておいた方がいいな。

 などと思いながら扉を開く。

「はい、こちら404NF社です」

「アポもなくすみません。お忙しいところ押しかけてしまい……」

 どうやら、集金人ではないようだった。

 扉の前に立っていたのは、身なりのいいスーツ姿の小男だった。はげた頭が特徴的だが、身分はそれなりに高そうだと思った。だが大企業の幹部とか、そういう系統の身分の高さとは少し違うと感じた。

 この慇懃で丁寧な感じは。

「失礼ですが、ご依頼でしょうか」

「はい。私は国守第三高校の教頭をしております」

 高校の教師! ……アポなしで押しかけてきたのは妙だが、ひょっとすると渡りに船というやつか?

「ともかく外は冷えるでしょう。お入りください」

「失礼します」

 教頭を中へ案内する。事務所の一角にある応接エリアのソファに通した。

「今お茶を出しましょう」

「いえいえ、お構いなく」

 ありきたりのやりとりを俺たちが交わす中、少女は部屋の片隅に背筋を伸ばして立って控えていた。それが少年兵としての規律なのかもしれない。まあ適当に動かれても困るから、今はそのままにしておくか。

「国守第三高校には電話をしましたよ」

 お茶を入れながら話をする。

「移民の受け入れの件で。すげなく断られましたが」

「移民…………?」

 ちらりと、教頭が少女の方を見る。……あれ、なんか嚙み合ってないな。

「すみません。私はその件を把握しておりませんでして。わが校に入学希望を出されていたのですか?」

「ああ、はい。ロシア系ではないと説明したんですが、ロシア系だと思われて断られてしまって」

「そうでしたか。確かに彼女はロシア系に見えますが……実際はどのあたりの?」

「まあその……なんですかね。ロシアには近いところですが……ロシアも広いですから」

 適当にごまかしながらお茶を出す。

「そうですか」

「はい。では教頭先生。だとすると本日のご用件は……」

「依頼をしたいのです」

 そっちかあ。そりゃ探偵事務所だからそっちの方が確率的には高いけどさあ。今は依頼より彼女を高校に通わせる方が重要だ。

 とはいえ零細探偵社に珍しい依頼人だ、無下にもできない。それにここで恩を売れば、ひょっとすれば入学の目が出るかもしれない。

 まずは話を聞こう。

「ご依頼ですか。具体的にはどのような?」

「守ってほしい生徒がおりましてね」

「なるほど、警備依頼ですね」

 うーん最悪。警備はPMCの仕事の中でもやりたくない度トップクラスだ。警備を依頼するということは攻撃される心当たりがあるということで、つまり高確率で危険に巻き込まれるということだ。その上防衛ってのはとにかく手間がかかる上に成功率が低い。大規模なPMCが人数と最新機材をそろえても成功率五分五分というところ。それを実質社員ひとりの零細探偵社が引き受けるなどリスクしかない。十中八九失敗して汚名を被り、今後の仕事に差し支える。

 恩を売れるかもと思ったが、これはお引き取り願った方が……。いや、一応もう少し話を聞くか。

「話しぶりからして、警備対象は特定の生徒ひとりということでしょうか」

「そうですな。卒業式の日に警備を依頼したいのです」

 うわー日時指定まで来た。これ下手すると脅迫状貰ってるだろ。だから警備が必要な日時がはっきりする。ますますやりたくない。

「その生徒というのは……」

「実はここに呼んでおりまして。遅れているようなのですが……」

 呼んでいる? 命を狙われているらしいのに呑気なものだな。あるいは脅迫状等で狙われているタイミングがはっきりしているからそれ以外の日では狙われないだろうと油断しているのか?

 チャイムが再び鳴る。噂をすれば影というやつで、問題の生徒が来たらしい。

 俺は立ち上がり、自分で応対することにした。

「よお、ここが探偵事務所?」

 扉を開くと、いかにも軽薄そうな少年が目の前に立っていた。

「教頭がもう来てるって聞いてんだけど」

「……ああ。入ってくれ」

「お邪魔しまーす」

 少年を中に入れる。しかし、なんだ? あの少年の顔、どこかで見たような見てないような……変に記憶に引っかかるな。

「おっさんが探偵?」

「ああ。所長代理だ。今は俺がトップをしている」

「へえ。あ、おっさんの腰の銃、モーゼルじゃん。古い銃好きなの?」

「別にそういうことじゃない」

 そういう彼も……腰に銃を帯びているな。彼は年のころ十代後半、高校生でも二年生か三年生くらいだと思われるが、この国では十六歳以上ならいくらかの手続きを踏めば銃を買える。もっと簡単に、親が買った銃を勝手に持ち出すという手もあるが。

 彼の銃の種類は定かではない。オートマチックピストルだというのが分かるだけだ。ただ色が特徴的だった。黒色でも銀色でもなく、黄土色。タンカラーと呼ぶのだったか。近年の軍隊で使われる塗装だ。つまり割と新式の銃らしく、そして軍隊で使われるようなものだということだ。

 そういう、軍人が持っている銃と同じものを欲しがる年頃か。昔ならエアガンかモデルガンだが、今のミリタリーオタクは実銃を振り回すから危ないことこの上ない。

「ふうん……」

 事務所に入ると、少年はあちこちを見回した。

「探偵事務所って聞いてたから、変わったもんでもあるのかと思ったけど普通の事務所だな。特にかわ……た、もの、は……」

 そこで。

 少年は傍らに佇んでいた少女を見て、硬直した。

 おそらく、少年が今まで見たもののなかで最も美しいもの。

 なるほど。粋がっても所詮思春期のガキだ。分かりやすい。

「やっべえ。超絶美人じゃん。バイト?」

「わけあって身元を引き取っている」

「へえ……ねえ君、名前は?」

 それ聞くのか。

 少女は少年に対しあまり興味なさそうに、蜂蜜を蕩かしたような金色の瞳で視線を送っていたが、しみついた軍隊の儀礼が自動的に反応したらしかった。

 敬礼し、はきはきとした声で彼女は自分の身元を明かす。

個人識別番号ドックナンバー1984です」

「え…………はい?」

 あまりのカルチャーショックに少年は硬直する。まあそうなるよな。やっぱり名前を付けるのは急務か。

「まあまあ、とにかく落ち着いて」

 教頭が少年を引っ張って、ソファに座らせる。ローテーブルを挟んで対面に俺が腰かけると、少女は移動して客人二人の後ろに陣取った。

 ……これ尋問の配置じゃない? この位置だと彼女、いつでも暴力を行使できると思うんだけど。

 ともかく。

「では話を戻して」

 役者も揃ったことなので、話を進めよう。

「教頭先生。今回のご依頼は生徒の警備ということでしたね。そして、その警備対象が彼ということで?」

「はい。彼はその経歴上、命を狙われやすい立場でして」

「……命を狙われやすい?」

「おや、お気づきでなかったですかな」

 教頭はどことなくうわずった声色で言った。

「彼は、二年前に銃で人を守った英雄なのですよ」

「…………!」

 そこで、思い出した。

 二年前、国守区で起きた事件。

 一部の馬鹿が英雄と持ち上げた、人殺しの話を。

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