第4話 味なんて一緒ですから!
気持ち内股になりながら身体を起こした美濃吉は、雪雄からやや離れた位置に正座をした。
雪雄はというと、さんざん吐き出して幾分か落ち着きを取り戻したらしく、完全に八つ当たりの恰好になってしまったことを反省しているようである。
さてどうしたものか、と俯いたまま黙ってしまった美濃吉を見て、雪雄はしょんぼりと肩を落とし、ぽつりと言う。
「実はもういっそ、この山を出ようかとも考えたりしてるんです」
「山を? 何で」
「何でって、さっきお話したじゃないですか。僕はもう疲れたんですよ。何で雪女じゃないんだと怒られることにも、イエティじゃないとがっかりされることにも、それからパーソナルスペースを死守するのにも」
「だからってお前、ここはそもそもお前の住処なんだろ?」
「そうですけど。僕以外の妖怪もですね、人間に住処を追いやられてるんですよ。最近の若い人は和室を好まないからと、古いアパートも洋室にリノベーションしてしまって、障子に住んでいる
「もくもく……? あぁ、障子に目がいっぱいあるやつな。うん、何か妖怪図鑑とかで見たことあるな、そういや」
時代にそぐわないんですよ、妖怪なんて、と言って、雪雄はさらに背中を丸める。
「目目連だけじゃないです。
どうやら、行灯の油を舐める妖怪がご家庭の再利用油を舐めるのと、雪男が山を離れるのは同等の扱いらしい。
「僕としてはですね。別に山にこだわらなくても良いんです。ただ、いきなり雪を降らせても不自然じゃないのが山だっていうだけですから。幸い、パソコンが使えさえすれば、働けますから。どこかもっと、静かなところに引っ越して――」
「じゃ、じゃあさ」
意を決して美濃吉は言った。
「ウチ、来るか?」
「……は?」
「いや、俺ら、冬以外は麓の村で家具作ってるんだけどさ、工房も広いし、お前ひとり住むくらいどうってことないし」
「い、良いんですか」
「下手に都会に行くより、
実家は近い方が良いだろ、と美濃吉が言うと、雪雄は、ふるふると震え出した。
「良いんですかぁっ! こ、こんな僕みたいな妖怪を……!」
「そんな卑下するなよ。まぁ、こっちに害がないなら良いよ。精気だって、死なないっていうんなら吸っても良いしさ。ただまぁ、同じ人間だと飽きたりするかもだけど」
「飽きません飽きません! 味なんて一緒ですから!」
「一緒なんだ……? あと、多少の生活費は入れてもらうぞ? 一応お前、普段は普通の飯食うんだろ? 風呂……は溶けたりするから入らないかもだけど」
「もちろんもちろん! 僕ちゃんと収入ありますから! 家賃も入れますし、食費も光熱費も入れます! あと、僕だって水浴びくらいはしますよ。こう見えても綺麗好きなんです!」
わぁっ、と表情を明るくさせ、美濃吉との距離を一気に詰める。そして、さっとその手を取って、きゅ、と柔く握った。
「ありがとうございます! ええと、お名前は――」
「美濃吉だ」
「ありがとうございます、美濃吉さん」
「俺は茂作だ」
「あっ、親父てめぇ、ちゃっかり起きやがって」
「当たり前だろ。お前なーに家長の許可もなく勝手に決めようとしてんだよ」
「茂作さん、あの……」
「大丈夫、話は最初から聞かせてもらった。もちろん、良いに決まってるだろ。下町ってのは人情なんだよ」
「俺ん家下町じゃねぇだろ。何だよその下町設定。ていうか最初から聞いてたのかよ。狸寝入りじゃねぇかジジイ」
「も、茂作さん……!」
「ああもうこいつはこいつでその辺どうでも良いのな」
とにもかくにもそういうことになった。
雪男の雪雄は茂作・美濃吉父子と共に山を下り、彼らと暮らし始めたのである。
雪雄が山を下りてからしばらく経って――。
美濃吉はいつものように酒瓶を片手に雪雄の部屋のドアをノックした。どうぞ、という返事を待って、それを開ける。
雪雄と暮らすようになってから、毎週末はこのようにして酒盛りをするようになった。もともとは一人で飲んでいたのだが、それを知った雪雄が一人酒では寂しかろうから、酌くらいさせてくれ、と申し出てきたのである。彼自身は舐める程度しか飲めないが、それでもせっかくだからといって軽く口にし、頬を染めて機嫌よく美濃吉との酒に付き合ってくれるのだ。
狭い部屋に年頃の男が二人、酒も入っているとなれば何も起きないわけがなく――、
と言いたいところだが、何もなかった。
もうびっくりするくらい何も起こっていなかった。
えっ、嘘だろ、この話、そういうところに着地すんじゃねぇのかよ、と作者が焦るくらいに何もなかった。ただただ楽しく酒を飲み、雑魚寝して終わりである。嘘だろ、大学生の飲み会かよ。いや、アイツらの方が展開早いぞ?! そう思うくらいに何もなかった。
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