第37話


「……ぐひへっ、ひひゃあっ、あひいっ、くひひっ……」


「…………」


 なんとも耳障りな、黒々とした笑い声が山奥の公衆トイレに響いた。


 おそらく、これだけで想像できるやつはほとんどいないだろう。この汚らしい笑声の持ち主が凄腕の殺し屋であり、かつ同業者の俺の手によって瀕死状態に陥っているということを。


「これからあの世へ逝くのがそんなに嬉しいのか、黒田?」


「げひひゃっ……あ、ああ、最高の気分だよ、倉田……。お前に負けちまったときの最悪な気分が帳消しになるほどになあ……」


「本当に、死ぬ間際だってのによく喋る男だ。お前が一般人カタギに手を出すようなやつじゃなきゃ、話し相手くらいならなってやってもよかったが」


「……まあ、そんな細けえことは気にすんなって。殺しの現場を見られちまったなら、口封じのために殺るしかねえだろう……」


「殺し屋だっていうなら、誰にも見られないように完璧にやるべきだろ? お前ほどの腕ならそれができるはずだ」


「……たまには適当にやるのも、仕事を長続きさせるためには必要だろうがよ……。折角、ゆっくり温泉とパチンコの沼に浸かろうかと思ってたのによ……。倉田……お前は臆病なまでに完璧主義なのか……それともただの阿呆なのか……」


「こいつ……」


 俺ははなむけとして一発殴ろうとしたが、やめた。やつはもう死んでいたんだ。目と口を半開きにしたままの状態で。


 死ぬ寸前まで普通に会話するところはいかにも黒田らしいと思いつつ、俺は目を瞑らせてやったが、その際に自分の手が微かに震えるのがわかった。


「…………」


 死んでいるっていうのに心底怖いと思わせる人物は、多分俺にとってはこいつだけだ。


「そりゃ嬉しいなあ、倉田……」


「なっ……?」


 おそるおそる振り返ると、黒田の血にまみれた笑顔がすぐ間近にあった。


「う……うわあああぁぁっ――!」


「――浦間透……?」


「え……? あっ……」


 俺の目の前にいたのは、ライバルの黒田ではなくアイドルの平野だった。なんだよこの緩急。跳び起きたときに心臓が止まるかと思った……。


「何よ、凄い汗じゃない。どうしちゃったの? 怖い夢でも見てた?」


「……あ、あぁ、そうみたいだ……」


「ふーん……」


「な、なんだよ、平野迅華。口元が笑ってるぞ。俺の顔がそんなにおかしいか?」


「別に。あんたでもそういう人間らしいところあるんだって、親近感覚えちゃったわ」


「……そりゃあるに決まってるだろ。俺はロボットじゃないんだからな」


 そう言いつつ、自分の脳裏には黒田のことが浮かんでしまう。やつに限ってはロボットより冷酷だと断言できるし、怖いものなんて何もないはずだ。関係のない人間でも平然と巻き込む上、残忍極まりない性格だから認めたくはないが、殺し屋としては見習うべき点の多い男だった……。


 って、そうだ。大事なことをようやく思い出した。


「なあ、平野迅華、時空の番人の声はしたか?」


「ふわ……。それなら心配しなくても大丈夫よ。あたし、あれからずうーっと起きてたけどなんにも聞こえてこなかったもん」


「そうか。それならよかった……」


 スマホの時刻を確認すると、朝の七時三分を示していた。ここまでまったく起きなかったのは久々だ。浅い眠りだったことは今まで通りだが、黒田の夢に引き摺られてしまった格好だった。なんで今頃あいつの夢なんか見るのか……。


「お役に立てたならよかったわよ。透様。こんこんっ♪」


「……おいおい、シフォンの真似か。それよりなんでお前はずっと起きてたんだ? このボックス内は安全な場所って言ったはずだが」


「そりゃ、この間寝坊しちゃってマップを取れなかったから、それで今回は絶対取ってやろうって思って……ふぁ……」


「……なるほどな」


「……でも、もう限界みたい。時空の人の声が聞こえたら、起こしてよね……」


 平野のやつ、シフォンの尻尾を枕にして横になったかと思うとすぐ寝てしまった。これで二人とも眠ってる状態だし、俺だけでも活動するか……。

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