第16話
俺たちは薬品の匂いで充満する保健室まで来ていた。自分が怪我をしたからというのもあるが、気を失った平野迅華を治療してもらうためだ。
「まーた君たちか。保健室が壊れそうだよ」
「「ええっ……?」」
苦笑いを浮かべた保健室の先生に迎えられ、俺はシフォンと驚いた顔を見合わせる。
「君たちがいるとね、大変なんだよ。ほら、この平野っていう子、男子生徒に人気があるみたいでさ、それで回復系のスキルを持ってるから任せてくださいって押しかけてくるやつらがいて……」
「なるほど……」
「しかも、そっちの狐耳と尻尾で仮装した子も負けず劣らず可愛いし、男子生徒が血眼で押しかけてくるのは目に見えてるんだよねえ。何故か女子のファンもいるようだし……」
「こ、こんっ……!?」
そう言われてもなあ。というか、保健室の井上先生もどことなく男っぽい感じの女性だからそっち方面で人気が高そうだ。
「浦間君だったかな? 君も酷い怪我をしてるみたいだね。どれ、見せてご覧……うわっ、こりゃ酷い。腕の傷どころか、全身打撲じゃないか! 想像を絶する痛みだっただろうに、よく意識を失わなかったね……」
「興奮状態で痛みを忘れてたみたいです」
「あー、そういうこともあるか。アドレナリンがいっぱい出ちゃったわけか。なるほどねえ」
「そういう先生も、回復系のスキルを持ってるんですか?」
「もちろんさ。一回目は取れなかったけど、二回目できっちり貰ったよ。【治癒師】っていうスキルをね。これで薬品が節約できそうだからウハウハさっ」
「「ははっ……」」
俺はシフォンと苦い笑みを向け合う。ただ、先生のスキルの効果は抜群で、傷口にしばらく手を当てるだけで見る見る治っていった。
「――ふう、これでよし、と……。精神力はまあまあ消耗するけど、便利だねえこれ。あ、例の子の怪我については大したことないから、少し休むくらいで大丈夫だよ」
井上先生の言葉で勇気を貰った気分だったが、少しでも間違ってたら平野が死んでいたかもしれないと思うとやはり気が気じゃなかった。【剣士】スキルにしても【武闘家】スキルにしても、もっと彼女が強くなってからじゃないと【飛躍】させられないな。
「それじゃ、私はこの辺で失礼するよ。浦間君だったかな、君みたいなモテるタイプはこういう状況では特に狙われるかもしれないから気をつけるんだぞっ」
「ちょっ……」
俺に目配せして薄く笑ったあと、井上先生が奥の部屋へ引っ込んでしまった。
「むにゃ……」
そういや、シフォンはどこにいるのかと思ったら、座った状態で寝てしまっていた。彼女もデスフロッグとの戦いでかなり消耗しただろうしな。それでもホウキを手放さないのはさすが用心棒を兼ねていただけあると感心する。
俺自身、元殺し屋なだけに眠るときは細心の注意を払っていたものだ。手の届く場所にダガーナイフを置くことだけは絶対に忘れなかった。
ただ、殺し屋がテーマの映画では片目を開けたまま座って寝るなんてのがあったが、俺の場合は極普通に寝ていた。というのも、自分は昔から音に敏感だったので小さな物音でもすぐに目覚めることができたんだ。そのために深酒も控えていて見た目も気にしていたからか、町を歩いていても職務質問すら受けたことはなかった。
横たわっていると誰かに襲われたとき油断させることができる上、転がるような動きをするといいと師匠に教わっていたので都合がよかった。単純なことだが、転がる相手に攻撃しようとしても当て辛いのである。あと、毛布は身を守る防具にもなれば相手を覆って行動力と視力を奪う武器にもなる。
って……殺し屋なんてもうとっくに引退したのに、何考えてんだか俺は……。それでも、外道を殺すことにためらいなんてない。師匠は、少しでも躊躇したら自分が殺される番だと教えてくれた。後味の悪さや罪悪感、心臓への負担がまったくないといえば嘘になるが。
さて、そろそろ寝るか。そう思ったとき、平野の目が薄らと開くのが見えた。
「……ねえ、浦間透、起きてる?」
「平野迅華、起きてたのか。寝てろ」
「あたしならもう大丈夫よ。それより、また迷惑かけちゃったみたいだから早く謝りたくて……」
「本当に申し訳ないと思ってるなら、もう少し慎重になることだな」
「わ、わかってるわよ……。というかもう、隠す気ないでしょ」
「何がだ?」
「あんたの中身が別人だってこと」
「……バレてたのか」
「そりゃそうでしょ。いじめられっ子が何活躍しまくってるのよ」
「…………」
まあ、よくよく考えてみれば、いくらなんでも勇気を出し過ぎてるのかもしれないな。
「こんな状況だし、今なら何を言われても信じられるけど、話したくないなら別にいいわよ」
「……話が長くなりそうだからな。そういう機会っていうか、俺が話したくなったら話す」
「うん……。あのね。あたし、以前はいじめられっ子だったの。小学生とか中学生の頃」
「…………」
「あんたに偉そうにあんなこと言ったのは、見栄とかじゃなくて昔の自分を見てるようで嫌だったから。強くなってほしかったから……。でも、中の人が違うんじゃ意味ないわね……」
「そんなことはない」
「どうして、そう言えるの?」
「俺も昔はそうだったからだ。引っ込み思案で大人しくて、はっきりと物事を主張できなかったからな。オヤジが元ヤクザの幹部だって知られてから、そういうことは一切なくなったが」
「…………」
「それに、多分もう一人の自分はまだどこかで生きてる。実際の俺は心臓発作で倒れたから、おそらくお互いに命の危機に瀕したことで入れ替わった格好になったんだと思う」
「そ、そうなんだ。転生みたいなものよね? てか心臓発作って……いい歳してそう」
「もちろんだ」
「ふふっ……。ねえ、手繋いでもいい?」
「……あ、ああ」
「……あたしたちって、不思議な夢でも見てるのかもね。普通は絶対に交わらない存在なのに、こうして同じ場所で語り合ってるんだから」
「そうかもしれないな」
それからすぐ、平野は安心したのか眠ってしまった。
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