第83話 フレーデリックの逆鱗

 宮殿の食堂で国王とフレーデリックが夕食を終え、食後の紅茶が置かれた。


「フレーデリックよ、立太子の儀の作法は覚えたか?」

「いえ、習い始めて二ヶ月ですが、他にも覚えることが重なり、難しいですね」


 ティーカップに視線を移し、吐息を漏らす。


「忙しくて、習っても頭に入らないと言うか……」


 立太子の作法を学ぶからと、執務時間が短くなるわけもなく。帝王学や政を学びながら普段通りの執務をこなし、更に立太子の作法まで追加された。


 休日を返上し、遅れがちになる作法を学ぶが、寛ぐ時間さえなく、覚えることが多すぎて疲労がピークに達している。


 目の下にクマを作り覇気のない表情で、弱音を吐くフレーデリックは珍しいと、国王も驚きの表情を浮かべた。




 執務の傍ら、自然災害が続き、財政難で困窮している領主と領民を助けるために、川の水を引く水路や井戸を掘る計画を立てていると聞いた。


 さすがに無理があるだろう。


 フレーデリックの体力も気力も限界だった。ベッドに入れば泥のように眠り、侍従に起こされて今寝たはずなのにもう朝かと驚く。眠った気がしない日が続いている。


「明日、休みをもらえませんか?」

「わかった。ゆっくり休みなさい」

「ありがとうございます」


 フレーデリックは左手を首の高さに上げ、呪文を唱えると、手のひらに羽が生えた小さな猫が姿を現す。


「クルト、急で申し訳ないが、僕は明日休みをもらった。そなたも休みにするからゆっくりしてほしい」

「にゃあん」

「クルトの元へ行け」

「うにゃん」


 羽猫はおしりをふりふりすると獲物に飛び掛かるように手のひらから飛び出していった。

 クルトに伝言を飛ばし、一息つく。


「面白い魔法じゃのう」

「姿はかわいいですが、猫が伝言者の声で話すので、ギャップが激しいとよく言われます」

「ほぉ~」


 フレーデリックは苦笑いを浮かべた。かわいい猫が男性の低い声で話すのだ。





 ケッセルリングの魔法学園で最終学年になり、学園と魔導庁を行ったり来たりしていたときに伝言魔法を作り、魔導庁に登録された。


 面白い魔法を作ったなと、興味を持った魔導師が早速羽猫を飛ばしていた。


 翌日、魔導師はさえない顔でフレーデリックに話しかける。


 羽猫を受け取った娘は上機嫌だったという。羽猫が伝言を喋りだした途端、パパの声は嫌! 猫ちゃんが可哀想と娘に泣かれたと……


 娘に喜んでもらえるだろうと、羽猫を飛ばしたんだよねと、自虐的に笑った後に哀愁を漂わせて肩を落とす魔導師に、フレーデリックはかける言葉が見つからなかった。





 羽猫エピソードを話すと、国王も苦笑いを浮かべている。話も済んで部屋に戻ろうと席を立つ。


「父上、お先に失礼します」

「うむ、ゆっくり休みなさい」


 フレーデリックは先に食堂を後にした。国王は腕を組み、物思いにふける。


 今までフレーデリックが弱音を吐くところを見たことがない。執務をこなし、帝王学や王族のしきたりを学びつつ、国家転覆を計った貴族派を一網打尽にするために奔走していた。


 疲れていても決して顔に出さなかった。弱みを見せたくないフレーデリックのプライドがそうさせていたのかと思い至る。


 取り繕うことができないほど、疲労が蓄積していたと知り、胸が痛んだ。


 今は立太子の儀に集中させて、つつがなく儀式を終えなければならない。帝王学など、後から学べばいいだけだ。


 頑張りすぎるフレーデリックに、負担をかけすぎた。もっと気遣いをするべきだったと国王は悔やむ。

 十二年の歳月を埋めて息子フレーデリックの本質を理解するには、共に暮らし始めても短すぎて。


 明日にでも教育係を呼び、帝王学と王族のしきたりを立太子の儀が終了するまで中止する旨を伝えよう。








 湯浴みを終えたフレーデリックは倒れ込むようにベッドに身を預け、そのまま深い眠りについた。


 瞼がピクリと動き、ゆっくりと開く。ベッドサイドテーブルに置かれた麻柄のランプが淡い光を放つ以外は漆黒に包まれている。


(今は二十三時か、腹が減ったな。食堂に何かあるだろうか)


 寝間着のまま食堂へと歩いていくと、調理場に明かりがついている。


「誰かいるのか?」


 普段は入らない調理場に入り、声をかけると料理長が振り向いた。


「おや、殿下、どうされました?」

「腹が減ってな。食べ物がないかここに来てみた」


 寝間着の上から腹をさする。


「それはそうでしょう! 殿下は丸一日食堂に来なかったですから」


 どうやら一日眠っていたらしい。疲れは取れたかというと、微妙だ。身体のだるさを感じる。


「一日、なにも口にされていないので、軽めの食事を用意しますのでお待ちください」

「頼む」


 食堂で待つのもつまらない。料理長が料理を作る様を見学しようと調理場に目を向けていると、人の気配を感じた。

 パタパタと小走りで調理場に姿を現したのはクルトだった。


「料理長! 夜食をもらいに来ました……えっと、フレーデリック様? こんな時間にどうされましたか?」


 寝間着姿の主が調理場を覗いている。寝起きらしく瞼が浮腫んでみえた。


「腹が減ってな。ここに来れば食べるものがあるかと思ってね。クルトはこんな時間に何をしている?」

「私は夜勤で、宮殿の見回りです。明日から二日休日をいただいています。フレーデリック様がお休みでしたから、私も日勤は休み、夜勤で出勤しました」

「そうか。ご苦労だったな」


 クルトに労りの言葉をかけると、照れた様子で笑顔を見せた。


「お待たせいたしました。夜食をどうぞ」


 二人は料理長からトレイを受け取り、クルトが一礼し、踵を返す。


「クルト、ここで食べていけばいい」

「滅相もありません。王族の方が食事なさる場所でいただくなんて」

「ここなら返却も楽だし、いいからこちらへ」


 フレーデリックはクルトの夜食を持ち、食堂へ入って行く。クルトはポットとティーカップが乗ったトレイを持ち、フレーデリックの後を追う。


 二人は食べながら雑談をしている。フレーデリックはあっという間にたいらげ、クルトは食事の手を止め、紅茶の用意する。


「久し振りに街で買い物をしていたら、フレーデリック様のお妃候補が誰かと、街中で噂になっていて、驚きました」


 何気なく話題にしたクルトに、フレーデリックは紅茶を飲む手を止めた。


「クルト、今、なんて言った?」

「はい? 街中でフレーデリック様のお妃候補だと言われている複数の令嬢の名前が話題になっていましたよ?」


 フレーデリックに視線を合わせたクルトは咀嚼そしゃくしていたものが喉に詰まり、胸を叩いたり水を飲んでむせている。

 

「クルト。君が聞いた僕のお嫁さん候補とやらを


 テーブルに両肘を置き両手を重ねてあごを乗せているフレーデリックの眼差しは、優しい口調と裏腹に怒気が宿っていた。

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