第81話 新しい人生

 王都から馬車で半日かかる距離のカレンベルク領にも、王都から来た観光客が王都の雰囲気を伝えてくれる。


 普段は静かな観光地であるカレンベルクも、王都の噂で持ちきりだ。


 フレーデリックの婚約者候補の名が噂されてすでに二ヶ月経過しているが、新たな令嬢の名が出ては消えていくを繰り返しているなか、根強くささやかれている令嬢が数名いるようだ。

 








 バザーで人気だったマイラの刺繍ししゅう入りハンカチは、欲しいとの声を受け、雑貨屋で不定期に委託販売が行われている。


 マイラはエプロンに刺繍をしても可愛らしいと思い立ち、エプロン五枚ほど刺繍をし、ハンカチと共に雑貨屋に置いてもらった。


 エプロンだから少々値段を高く設定したが、あっという間に売れてしまったらしい。


 ハンカチやエプロンの売上金が貯まったら、お菓子を焼いて孤児院に訪れている。お菓子は子どもたちに、売上金は寄付として院長に渡している。




 カレンベルク領には十ほどの孤児院がある。孤児院はカレンベルク家が運営し、子どもたちにかかった金額を院長が書類に記入し、提出してもらう。


 子どもたちに必要な金額と、院長や職員の月給を渡す仕組みになっている。

 清潔な衣服に質素だが栄養バランスがとれた食事。子どもたちは領民の平均的な家庭と同じ水準の生活を送っている。


 成人を迎えた孤児はカレンベルク領内で農業や酪農の仕事に就いて、カレンベルクを支えていたり、学業成績が優秀な者は役所勤めをしたり、カレンベルク家でボリスの補佐をしている。


 裁縫が得意なら仕立て屋にと、適材適所に孤児たちは就職し、独立して生計を立てている。






 マイラは昨日のうちに作ったクッキーをお土産に、ハンカチの売上金を寄付するためにカレンベルク邸から一番遠い孤児院へ赴くため、朝食後に侍女のコレットと二人で馬車で出かけた。





 馬車に揺られて三時間、第五孤児院に到着した。マイラとコレットは馬車を降り、孤児院の敷地に入る。歩みを進めているとマイラとコレットを見つけた女の子が走って来る。


「マイラお姉ちゃん!」


 息を切らせてマイラのそばに来た子は十二歳になるイリスだ。


「イリス、元気だった? 皆は変わりない?」

「私は元気よ。みんなも元気! あっ、そうだ! 仲間が一人増えたの」

「あら、そうなの?」

「かなり大きい子よ! 私、マイラお姉ちゃんが来たって、先生に知らせてくるね」


 笑顔で皆の近況を伝えると、イリスは孤児院へと走り出した。


「豆台風ですね」


 コレットが冷静な表情で呟く。元気いっぱいのイリスを豆台風と表現したコレットに、マイラは笑みが漏れる。


「そうね」


 相槌あいづちをうち、二人は孤児院に向かい歩き始めた。孤児院の入口に到着すると、イリスに手を引かれた院長が出てきた。


「ようこそおいでくださいました。マイラ様」

「院長様、久し振りですね」

「立ち話もなんですから、お入りください」


 院長はマイラとコレットを招き入れる。応接室に通されたマイラはお土産のクッキーと寄付金が入った封筒をテーブルの上に置いた。


「クッキーは皆で食べてくださいね。心ばかりですが、何かの役に立ててください」

「ありがとうございます。領主様から手厚く力ぞえいただいていますのに、マイラ様まで……」


 院長は言葉を詰まらせた。しかし、マイラに伝えたいことがあり、込み上げる思いを胸にしまう。


「ここから巣立った若者の話を聞いてもらえますか?」

「はい」


 院長は穏やかな口調で語りだす。

 孤児院から巣立っていった若者が王都で働き、他領の孤児院出身の若者と仲良くなり、孤児院での生活が話題になった。


 他領の孤児院とカレンベルク領の孤児院では、子供たちの扱いが全く違い、領民から着なくなった服を寄付してもらったお下がりで、いつもお腹をすかせていたと聞いて若者は驚く。


 若者は自分たちがいかに恵まれた生活を送っていたかと知る。

 休日に土産を持って孤児院に顔を出し、院長に事の顛末てんまつを話してくれた。


 子どもたちには不自由無く生活できるのは領主様のおかげだから、感謝して勉強や得意なことを頑張るんだぞと、皆に言い聞かせて帰っていった。


「子どもたちがまっすぐ成長したのは、領主様のおかげなのです」


 院長は感極まり、声が震えている。


「私は院長様が、真剣に子どもたちに向き合ってきたからだと思うわ。経済的に恵まれていたら、心にゆとりができますが、お金だけで、子どもはまっすぐ育ちません。子どもに必要なのは、愛情だと思いますよ」


 かつて渇望かつぼうしていた親の愛。受けることもなく放置されて育った前世では、感情というものが理解できなくて。


 マイラの家族から受けた愛情で、人の気持ちが少しは理解できるようになったのだと、茉依マイラは思っている。


 話し終えた頃、扉がノックされ、院長の妻と二人の娘、子どもたちが入ってきて挨拶をする。


 院長の妻、ブルーメ。

 院長の娘で双子の姉、デイジー、十八歳。

 院長の娘で双子の妹、マルガリータ、十八歳。

 院長の妻、娘は孤児院の職員として働いており、子供たちに愛情を持って育てている。


 男児。

 アロー、十一歳。

 ヴェルト、十歳。

 ドルフ、十歳。

 ドゥラント、九歳。

 エルコン、八歳。

 ヘリオス、五歳。


 女児。

 イリス、十二歳。

 ベルガ、九歳。

 エルフェ、七歳。

 リンデ、六歳。

 ホルダ、六歳。

 フローラ、五歳。

 ハイジ、五歳。

 ローズ、三歳。


 保護、預かり。

 カールマン、推定二十歳。


 子どもたちにまじり、成人を迎えただろう青年に目がいく。マイラの視線に気づいた院長が説明する。


 オリーブグリーンに黄金の瞳の持ち主は、記憶を失くして彷徨さまよっていたらしい。  

 院長の知人が保護し、孤児院で預かっていたが、最近、孤児院で働き始めたばかりだ。


 自分のことだけを忘れ、心を閉ざしがちだったが、イリスが積極的に話しかけて、ようやく皆と打ち解けてきたそうだ。


 マイラと青年の目が合うと、青年は穏やかな眼差しと、はにかんだ表情を見せる。


「マイラ様とは初めましてですね。私は院で働くことになりました、カールマンと申します」


 カールマンの立ち振舞に、マイラは育ちの良さを感じた。教養があり、皆に文字を教えたり、簡単な計算等を教えているらしい。


 子どもたちに気を配りながら遊び、ケンカの仲裁や力仕事等を手伝っているそう。

 院長も男手があると作業がはかどると、ホクホク顔だ。


 子どもたちに囲まれて笑顔を見せている青年は、幸せそうな雰囲気に包まれている。










 カールマン。名前の由来は『役に立つ人』になってほしいと、カレンベルク侯爵が名付けた。


 以前の名前はフォルクハルト・ファーレンホルスト。彼はカレンベルク邸から一番遠く離れた孤児院に預けられ、今では孤児院で頼られる存在になっている。


 自分のことだけ記憶を失くした青年は、新しい人生を歩み始めたばかりだ。

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