第71話 ヒ・ミ・ツのキス

 マイラとフレーデリックは、転移魔法でマイラの部屋に戻って来た。


(きちんと説明できて良かったけど、すごく疲れたわ……)


 マイラは初対面の人と話すことに、まだ苦手意識があるようで、近衛騎士団団長へ説明をどう話したら伝わりやすいかと考え、緊張しながら話をした。


 それよりもフレーデリックの行動が精神を疲弊ひへいさせた。


 フレーデリックの膝の上に乗せられてさらわれたときに受けた扱いを説明する羽目になり………


(フレーデリック様は、なぜあのようなことをしたのかしら?)


 目の前にいる本人に聞いてみたいが、聞けば話が複雑になりそうで。このまま黙っているほうがいいだろうと結論づけた。


「陛下が刑を言い渡す日はいつ頃になるのでしょうか?」

「マイラが話したことを陛下に伝えられ、刑の重さが決まると思う。フォルクハルトらに刑を言い渡すのは、一週間もかからないはず」


 すでにフォルクハルトらの受ける刑は決まっているらしい。マイラに対し、非道な行いをしていたら罪が重くなるが、マイラの証言を聞く限り、罪が重くなることはないだろう。


 マイラもきちんと話せたからか、ホッとしているようだ。この為に家を飛び出し、一人で王都に来たのだから。


「役目は無事に果たしましたし、そろそろお暇しますね」


 マイラが屋敷に帰ると言う。フレーデリックの胸にチクッと痛みが走る。無意識に胸に手を当てたフレーデリックは、胸の痛みを不思議に思う。






 馬車を手配し、マイラと一緒に馬車に乗り、カレンベルク邸へ向けて出発する。

 王都を走る馬車専用通路は左側通行だ。歩行者通路は荷車も通れるように幅広く整備されている。

 馬車と歩行者の通路を別々にしたことで、馬車と歩行者の接触事故は少ないそうだ。


 馬車の揺れが心地よいのか、マイラはうつらうつらと舟をぐ。フレーデリックはマイラを腕にもたれかかるようにして、身体を安定させた。


 このままずっと身を寄せ合っていたいと、切に願うが、間もなくカレンベルク邸に到着する。


(フォルクハルトの刑を申し渡されるところを見たいと言っていたな。これが終わったら、マイラに会えるのはいつになるのだろう)


 チェルハ領地の改革に乗り出して日が浅い。改革に何年かかるのか、無事に川を引いても、作物栽培の成果が出るには、どれだけ時間を要するのだろう。


 フレーデリックには予想がつかない。専門家でも、はっきり何年かかるとは言い切れないだろう。


(マイラとは、数年は会えなくなるのだろうか)


 考えると胸に突き刺さるような痛みが走る。




 適齢期の貴族が婚約すると、婚約者とお茶会や劇場で演劇を鑑賞したりと交流を持ち、結婚式の準備などで、結婚まで一、二年近くかかるという。


 適齢期であっても婚約期間が長くなることも、よくある話だが。


(マイラと婚約できたらなぁ。誰かに取られる心配もなく、領地改革に打ち込めるんだが)


 ボリスに宣言した手前、功績もない状態で婚約を申し込むことはできない。手早く功績を上げることはないかと、焦りが生じる。




 車輪が石に乗り上げ、ガタンと揺れる。咄嗟にマイラを抱き寄せたフレーデリックの胸に切ない思いが、まるで波が押し寄せるように広がる。

 何度も寄せては返す波が大きくなり、胸が苦しくて。


(あなたの寝顔も温もりも、あなたの全てが、僕だけのものだったら……)


 眠っているマイラの顔に、フレーデリックはゆっくりと顔を近づけて二人の鼻先が触れる。


 すぐに離れて切なげに目を細め、抱き寄せる手に少しだけ力が入った。


 ノーズキスに気づいていないマイラは安心しきって眠っている。


(マイラは心配になる程、無防備だなぁ。鼻先が触れて、目覚めるかと思ったのに。隙だらけだから、他の男に会わせたくないよ)


 



馬のいななきが聞こえ、馬車が止まる。どうやらカレンベルク邸に到着したようだ。


「マイラ、起きて。屋敷に着いたよ」

「ん?」


 フレーデリックに抱きしめられたまま目覚めると、優しい眼差しで見下ろすフレーデリックと目が合った。


「!?」


 マイラは驚いて後ずさる。


「私、いつの間にか眠ってしまったの?」

「馬車に乗って間もなくかな。舟をいでいたから、前のめりに倒れると困ると思って、肩に寄りかかってもらったけど、馬車が揺れて危なかったから、抱きしめさせてもらったよ」


 ホクホクとした笑顔で告げると、マイラの顔がじわじわと赤く染まる。


「あのっ、ご迷惑をおかけしました」

「いや、役得だったよ」


(思わず鼻先に触れてしまったけど、マイラには秘密だな)


「もう、恥ずかしいことをサラリと言うのね」


 フレーデリックは馬車を降り、マイラに手を伸ばす。伸ばされた手を取り、馬車を降りるマイラを見つめる。


「今度は謁見の間で会おう。今日はお疲れ様でした」


 マイラの髪を一房手に取ったフレーデリックは愛しそうに髪に口づけを落とす。


 髪に口づけするフレーデリックを見つめている。


(髪に口づけするのね。フレーデリック様はおでこや頬に口づけしたけど、別なところにはしないのかな)



 フレーデリックと目が合うと、心臓が跳ねて身体が揺れる。


(私……今、何を考えたの? どうしてそんなふうに思ったのかしら?)


 無意識に思ったことに言葉を失くし、呆然としていた。


「マイラ?」


 呼びかけられて我に返る。


「ふ、フレーデリック様、送ってくださり、ありがとうございました」


 マイラはフレーデリックにカーテシーをする。


「じゃあ、またね」


 フレーデリックは馬車に乗り、扉が閉まる。扉越しに見えるフレーデリックは離れがたそうな表情を浮かべていた。馬車がゆっくりと動き出す。


 マイラは小さくなっていく馬車を見えなくなるまで見送る。マイラも離れがたそうな表情を浮かべていることに、気づかぬまま。

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