第69話 父親の想いはどこまでも重い
生まれ年のワインは何本あるのだろう。
「お父様、生まれ年のワインって、何本くらいありますか?」
マイラは恐る恐る尋ねる。上機嫌の侯爵はあごに手を当て、黙り込む。
(え、もしかしてワインの本数を数えているの? 数えるほどのワインは、どこに保管していたのかしら)
「そうだな、少なくとも二百本以上はあるだろう。評判が良かったワインを買い占めて、そなたの一歳の誕生パーティーで盛大に振る舞ったが、まだ残っているはずだ」
父が答えた本数に、マイラは絶句した。国内のワイナリーから集めたワインの他に、誕生パーティーで使われたワインまで残っているという。
ズラリと並べられたワインを想像し、頭がひどく痛む。
「そなたの人生で祝う日に、色を添えたくてな。婚約や結婚、そなたは飲めないが、懐妊したら家族だけでこぢんまりと祝い、生まれ年のワインを年月を感じながら、味わいたいと思ったのだ」
侯爵は生まれたばかりの
しかし、ワインが少なく見積もって二百本以上とは。きっとそれ以上の本数があるのだろう。
マイラの人生で、そんなに祝うことがあるのだろうか。
娘が誕生したばかりの父親の想いが重い。
娘の人生設計するくらいだ。跡取りのボリスはマイラ以上に事細かに人生設計されているに違いない。
「お兄様も、生まれ年のワインを揃えたのですか?」
「ああ? ボリスか、ボリスはなぁ……」
侯爵が黙り込む。跡取りが生まれたと大喜びして、翌年に大騒ぎでワインを収集しただろう。
「ボリスが生まれたときは、生まれ年のワインを集めるなど、全く思い浮かばなくてな。マイラのワインと一緒に、ボリスの生まれ年のワインを探したもんだ」
かかと笑う侯爵に、マイラは脱力する。
(お兄様の扱いが……不憫すぎる……)
「まあ、ワインは置いといて。マイラ、明日にでも、攫われたときの状況を話せるか?」
父親の顔から侯爵の顔つきになった父は、マイラをじっと見つめる。
その瞳にはマイラに辛い思いをしてほしくないと、心配している父親の思いが見え隠れしている。
「この件も早期解決が望まれていますし、攫われて、どのような扱いを受けたか、きちんと証言できます」
そのために家出同然で
マイラの決意に侯爵は頷いた。
「二日酔いで身体が辛いだろう。明日まで宮殿で過ごさせてもらえるように、陛下に願い出るから、ゆっくりしなさい」
「ありがとうございます。全てが終わったら、侯爵家の令嬢として、少しずつ社交界に参加しようと思っています」
マイラの眼差しは未来に向けられていると察した侯爵は、目を細めた。
マイラを取り戻したあの日、この部屋で目にしたマイラは感情が抜け落ち、無表情だった。
今では侯爵令嬢としての品位を身につけたのか、
ボリスから定期的に届く手紙に、フレーデリックがマイラに愛を告げたと記されていた。
マイラはフレーデリックをどう思っているのだろう。
フォルクハルトとの婚約で、マイラは長い間、辛い思いをしてきた。
心の傷が癒えたら、マイラを大切にしてくれる子息と縁付いてほしいと、願っていたのだが。
皮肉にもマイラを望んでいる相手が第二王子であるフレーデリックだった。
フォルクハルトと違い、王宮内でフレーデリックの評判はいい。
攫われたマイラを助けてくれたのもフレーデリックだった。
もしかしたら、マイラは王妃になる星の下に生まれたのかもしれない。
侯爵は立ち上がり、マイラの手を取る。
「少々話が過ぎたな。ゆっくり休んで明日のために体調を整えなさい」
「はい」
ベッドに横になったマイラを見届け、侯爵は部屋を後にした。
マイラはそのまま眠りに落ちていった。
眠っていたマイラに、扉が閉まる音が聞こえた。目を開けようとするが、まぶたが重くて開かない。ふわりと風を感じ、心地よい香りがマイラの鼻をかすめる。
宮殿で過ごしていた頃、フレーデリックの母で亡き王妃が愛していた大樹が花を咲かせた。
カルラたちと大樹の下に立ち、見上げると新葉の脇から小さなクリーム色の花を咲かせていた。
大樹の花はほんのりとマスカットのような爽やかさとフローラルな香りを風に乗せて、マイラの部屋まで届く程だった。
心地よい香りに、うっとりとしたことがよみがえる。
(グリーン系の香りにシトラスと大樹……菩提樹の花の香りを身に纏っている人はただ一人だけ)
重たかったまぶたが軽くなり、開くと、心配そうな表情を浮かべたフレーデリックと目が合う。
「身体の調子はどう? 頭痛は治まったかい?」
「はい、頭痛は治りました」
マイラの返事にホッとした表情を浮かべた。
「明日、近衛騎士団団長がマイラから事情を聞くと言っていた。体力をつけるために、少しでも食べてほしいが、食べられるか?」
「お腹は空いていますし、食べられると思います」
「そうか、良かった。なら、食堂へ行こうか」
マイラは久しぶりに国王とフレーデリックの三人で談笑しながら食事を楽しんだ。
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