第68話 もうワインなんて飲まないなんて、言えないよ

 初めての飲酒で二日酔いになったマイラは頭を動かすとガンガンと脈打つような痛みが襲ってくる。


(うぅ~辛い。もぅ、ワインなんか飲まない! おいしかったけど、絶対に飲まないんだから!)


 マイラは禁酒を誓う。昼には屋敷に帰る予定だ。馬車の振動で頭が痛むと思うと、今から怖い。


(やだな〜、怖いな〜、帰りたくないなぁ〜)


 ベッドの上で帰りたくないと思いながら、さらわれた状況の説明はいつ行われるのか気になる。


 扉をノックされ、カルラとニーナが入ってきた。


「マイラ様、スープをお持ちいたしましたが、召し上がれそうですか?」


 マイラは痛む頭を押さえながら起き上がると、ニーナに支えられてテーブルまで歩き、ソファーに座る。


「せっかくの女子会、ダメにしちゃってごめんなさい」


 申し訳ない思いで二人に謝るマイラに、カルラとニーナは首を振る。


「謝らないでください。お会いできて嬉しかったです。マイラ様の感情が豊かになって、良かったです」

「今度はアルコール無しで女子会をしましょうね! 昨夜のマイラ様とフレーデリック様は素敵でしたぁ」


 目を閉じて頬に両手を当て、うっとりとしているニーナに、マイラは戸惑う。


「えっ? 私……素敵って言われる何かをしたの?」


 ワインを飲んで、ふわふわした気分で色々と話した記憶はあるが、その先の記憶は曖昧で。


「記憶になければ、忘れてください」

「え〜、すごく気になるわ。教えてもらえないの?」


 ふふふっ、と含み笑いを浮かべるニーナを残念そうに上目遣いで見つめる。

 その仕草が足踏みをして、おやつをおねだりする愛猫の姿と重なり、ニーナの胸をきゅんとさせる。


「マイラ様は口調が変わりましたね。以前はよそよそしく感じましたが、今は親しみを持って話してくれると感じられて、嬉しくなります」


 カルラが柔らかい笑顔を浮かべている。横でニーナも何度も頷く。


「自分ではわからないけど、カルラが言うなら、私は少しでも成長したのかな?」

「はい、随分とお変わりになりました。素敵な令嬢になられましたね」


 カルラの言葉が、心の隅々すみずみに沁みわたる。

 マイラには侯爵令嬢として果たさなければならないことがある。

 いつまでも貴族社会から離れていてはいけないという思いも生まれ始めていた。


 そんなときに素敵な令嬢になったと言われ、自分に自信を持ってもいいんだよと、背中を押されたようで、胸の中が温かくなった。








 話に花を咲かせていたらノック音が響く。カルラが扉を開けると、訪問者と短い会話を交わした後、マイラに視線を向けた。


「マイラ様、カレンベルク侯爵様がお見えになりました」

「お父様が? どうぞ、お入りになって」

「うむ、失礼する」


 カルラは空になったスープ皿をトレイに乗せ、侯爵に一礼し、ニーナと共に部屋を後にした。


 侯爵はマイラと対面で座り、娘の顔を見る。


「体調を崩したと聞いたが、大丈夫か?」


 心配そうな表情で尋ねる父親の顔を真っ直ぐ見られない。


「えっと……体調を崩したと言うより……二日酔いになりました」


 マイラは顔を赤らめて、バツが悪そうにうつ向いた。侯爵の目が丸くなる。


「二日酔い? そなたはそんなに飲んだのか?」

「あのぅ、ワインをグラス二杯ほど……」

「ワイン二杯で二日酔いだと!?」

「……はい」


 マイラは怒られると思い、首をすくめて目をつぶるが、待っていても声がかからず、そっと目を開く。


 目の前の父はちょっぴり残念そうな面持ちでマイラを見つめる。


「そうか、アルコールが合わない体質か。そなたが成人したら、一緒飲もうと、そなたの生まれた年のワインを大事に保管していたが、無理そうだな」


 マイラが生まれ、成人したら、生まれ年のワインで祝ってやりたいと、その日を楽しみにしてきた侯爵は、あからさまに肩を落とす。

 落胆する父の姿が寂しそうだと感じた。


「少量のワインでしたら、飲めると思います。お父様が私のために、二十年も楽しみに待っていてくださったもの。一緒に味わってみたいわ」


 先程、ワインなんか二度と飲まないと誓ったのに、誓いを反故にしてしまった。


 生まれ年のワインで成人の祝いをするのも一度きりだ。なら、一緒に楽しむほうがいい。


「そうか、一緒に飲めるなら、こんなに嬉しいことはない。マイラが生まれた年はワインの当たり年でな、国内のワイナリーから発売されたワインを全種類、揃えてある。隣国の最高級品もあるぞ」


 侯爵はホクホク顔で○○ワイナリーの特徴はだな、✕✕ワイナリーの葡萄がどうのと説明を始めた。 


 父の発言に引っかかる言葉があり、ワイナリーの説明など頭に入らない。

 マイラは、父の言葉を反芻はんすうする。


(…………え? お父様。今、なんておっしゃいました? 国内のワイナリーから発売されたワイン、揃えたって聞こえましたよ……隣国の最高級品!? お父様、娘一人のために、一体何本集めたのぉ〜!?)


 ワインの本数を想像しただけで、具合が悪くなりそうだ。

 生まれ年のワインを味わいたいと言ってしまい、自分の発言を撤回したくてたまらないが、喜んでいる父を見ると、とても言えない。


 マイラは心のなかで激しく後悔していた。

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