第44話 愛のことば

 マイラはドレスを着せてもらい、髪を結ってもらった。今はお化粧をしてもらっている。


 青みがかったライラック色にリラ色のメッシュの髪色に似合う、淡いピンクの清楚なドレス。


 派手な色を好まなかったマイラのドレスは、淡く上品な色合いのドレスが多い。


 湯浴みで土埃から解放され、みずみずしいフローラルフルーティーの香りをほんのりと纏わせ、気持ちを落ち着かせたいところだが。


 サロンにフレーデリックがいると聞いた。


『僕があなたを守る』


 言葉通りにフレーデリックは拐われたマイラを助けに来てくれた。


(拐われて、どこにいるかも分からない筈なのに、フレーデリック様は駆けつけてくれた。どうやって私の居場所を特定できたのかしら?)


 ピンクベージュの口紅を塗り、お化粧が完成した。






 宮殿を離れて半年が過ぎた。

 フレーデリックにどう接すればいいのかと、身構えてしまう。

 宮殿で接していたようにすればいいのか、侯爵令嬢として礼儀を重んじて行動するべきか。


 考えれば考える程、分からなくなる。同時に胸が高鳴り、緊張感が増す。




 マイラは罪悪感を抱えている。あの日、両親が迎えに来て、感情に流されるまま宮殿を後にしてしまった。


 可愛がってくれた国王、福の生まれ変わりであるフレーデリック、親身になって向き合ってくれたカルラとニーナ。


 きちんとお別れの挨拶もせず、宮殿を去ったのだ。人の思いを踏みにじってしまったと、マイラは激しく後悔している。

 届くことはないが、毎日心のなかで謝罪をしている。自己満足でしかないと、理解していても。







 身なりが整い、フレーデリックと対面する。


 申し訳ない思いが波のように押し寄せる。フレーデリックに会うのが怖い。


(恩知らずと、思われているよね。呆れられているかしら? そう思われても仕方がないことを、私はしてしまったから)


 身体の震えがとまらない。うつ向き、腕を抱えて背を丸める。心から謝罪をしても、許されないだろうとマイラは思っている。


(きちんと謝罪したい。二度と会えなくなる前に……)


 両親から、王族に関わらなくてもいいと言われいる。

 もう、宮殿に行くこともない。

 王宮で行われる舞踏会にも参加しないだろう。

 社交界から離れ、領地で静かに過ごしていくのだから。





「マイラ様、準備が整いましたよ。参りましょう」


 侍女のコルティナが声をかけ、促されるまま部屋を後にした。



 廊下を歩く度に胸がドキドキしてマイラは困惑する。サロンの扉の前で立ち止まった。


 早く動く心臓の鼓動が身体に響き、ふるふると震える。呼吸も早まり、息苦しさを感じる。


 コルティナがサロンの扉をノックすると、すぐに扉は開かれた。

 マイラはうつ向いてギュッと目を閉じている。


(うぅ~、フレーデリック様の顔を見るのが怖い)


 サロンのなかからガタンと音がし、マイラはつられて音がした方向へ視線を移す。


 フレーデリックが立っている。ガタンと音がしたのは、フレーデリックが立ち上がったときにたてた音だった。


 フレーデリックと目が合うと、他の音を遮断するように鼓動の音が早く、強く、大きくなる。


 フレーデリックは立ち止まっているマイラの元へ歩みを進める。色変わりする瞳は瞬く度に色を変え、嬉しそうに笑みをたたえていた。


 マイラの緊張はピークに達し、カチカチに固まり、フレーデリックの様子が目に入らない。目立たないようにコルティナがマイラをつつき、マイラは我に返る。


「ふ、フレーデリック様、助けていただき、ありがとうございました。……その、その節は、挨拶もせず、宮殿を去るという不義理な行いをしてしまい、申し訳ございません」


 マイラはフレーデリックに深く頭をさげた。キョトンとして瞬いたフレーデリックはマイラの肩に手を置いた。

 マイラは驚き、顔を上げると、顔を曇らせたフレーデリックが口を開く。


「マイラ、謝罪をしなければならないのは僕たちのほうだ。フォルクハルトが、あなたを拐うという暴挙に出た。フォルクハルトが不審な動きをしているのは掴んでいたんだが、まさか、マイラを狙っていたとは……未然に防げず、申し訳ありません」


 フレーデリックは謝罪すると頭をさげた。

 王子が頭をさげている――――――驚いて息を呑む。


「フレーデリック様、王子が頭をさげてはいけません。頭を上げてください」


 マイラは慌てて言葉を紡ぎ、胸元で小さく手を横に振り、頭を上げてほしいと、手を小さく縦に上げる仕草をした。

 フレーデリックは言われた通り頭を上げるが、申し訳なさそうに目を伏せる。


「フレーデリック様は私を助けてくれました。命の恩人です」

「マイラ……」


 マイラを見つめるフレーデリックの顔がくしゃりと歪む。マイラは心配になり、眉尻がさがる。

 フレーデリックは背中を丸め、ふわりとマイラを抱きしめる。


「マイラ、僕はマイラを諦めたくない。あなたを愛しているんだ」


 フレーデリックの切ない声に、マイラの目が大きく開いた。

 ドクンと胸が鳴った瞬間、マイラのなかで少しずつ育っていたものが殻を破り生まれた。

 胸のなかを、くるりくるりと駆け回り、じんと、熱が広がっていく。


 マイラに生まれた感情が、血液に乗って全身を駆け巡っていく。


 好き……より強い想い、愛が生まれた。


(好きよりも、深く、強く揺さぶられる想い……愛……して……いる? 私は……フレーデリック様を?)


 ロジータを愛しいと思うものとは別な想いだ。ただ信じて、共に生きて行きたいと思えるのは。


(私はフレーデリック様の隣にいたいの?)


 胸の熱がより熱くなる。まるで焦がれるように。ようやくマイラは理解する。


(感情より、身体のほうが素直なのね。やっと……分かったわ)



 フレーデリックの汗とグリーンシトラスが混じり合った香りに、身体がソワソワする。

 触れ合っている場所から温もりが伝わり、突き動かされるような熱い想いが湧き出し、抑えきれない。


 言葉にして伝えるにはもどかしい程、愛しい想いが溢れてくる。感情に身を任せてしまうと、取り返しのないことを口走りそうで……


 マイラはフレーデリックの身体を押し返し、二人の間に少しの空間が出来た。


「マイラ?」


 呼吸を整えて、理性を働かせ、いつもの自分を取り戻す。


「色変わりする瞳で、私を映してくれますか? 蕩けるような笑顔で、私を包み込んでくれますか?」


 フレーデリックの身体が離れ、じっとマイラを見つめる。愛した人の瞳に自分が映る。頬が熱を帯び、赤く染まる。


 フレーデリックの身体が揺れる度に、アンバー、グリーン、淡いブルーに色が変わる瞳。


「いつまでも、あなたを見つめていたい。僕はマイラと生涯を共にしたいんだ」



 銀色の瞳から、一筋の線が描かれた。フレーデリックは頬に手を添え、親指でそっと涙に触れた。

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