第42話 帰還

 午後二時半を過ぎた頃。

 小屋の前で、馬がブルルと鼻を鳴らす。小屋の戸が開き、男が入ってきた。


 奥からマイラを拐った男が慌てた様子で出てくる。


「旦那ぁ、連絡がついて良かった。お早いお越しで何よりでさぁ。さて、ご所望の娘だ。約束は守ってくだせぇよ」

「ああ」


 ローブを羽織り、フードを目深に被り、旦那と呼ばれた男の顔は見えない。

 旦那と呼ばれた男は腰から巾着を取り出し、マイラを拐った男に渡す。男は巾着を開き、報酬を確認すると、ヒューと口笛を吹いた。


「確かに受け取った。さぁ、ねーちゃんを連れてってくれ」

「ああ」

「さて、報酬も貰ったし。じゃあな、ねーちゃん」


 男の姿が消えた。転移魔法で逃げたのだろう。



 旦那と呼ばれた男はマイラを品定めをするように視線を向けてきた。ライラックとリラ色の髪に、銀色の瞳。間違いないと頷いた。


「来い」


 マイラの腕をグッと引っ張り、立ち上がらせて小屋から出される。目の前に荷馬車が止まっていた。

 強引にマイラを荷馬車の荷台に乗せる。男も乗り込み、御者に合図を送る。

 御者は手綱を動かし、馬を歩かせた。


 旦那と呼ばれた男の他に三人の男がいる。持っている武器はマイラが見たこともないもので、用心棒として雇われたのかと、マイラは感じた。


 三人の男は冒険者で、旦那と呼ばれた男が、護衛として雇ったのだ。


 冒険者たちは鋭い目つきでマイラを見ている。まるで品定めをされているようだ。

 不躾な視線が不快に感じ、マイラはうつ向き男たちが視界に入らないようにした。


 荷馬車の荷台は馬車とは違い、振動が直に伝わってくる。小さな石に乗り上げただけで、身体中にズシンと響く。


(私はどこに連れて行かれるのかなぁ。そういえば、小学生だったか中学生の頃に歌った歌と同じ状況なのかなぁ……仔牛もこんな気持ちだったのかも)


 マイラは歌に出てきた仔牛に思いを馳せて暗い気分になる。


 荷馬車の振動で胃が揺さぶられ、気持ちが悪くなってきた。顔が真っ青になり、縛られたままの手を口に当てる。


 マイラの顔色が悪いと気づき、旦那と呼ばれた男は御者に荷馬車を止めるように指示を出す。


 抱えられるように降ろされたマイラは倒木に座らされ、落ち着くまで休憩することになった。


(座るより横になりたいわ)


 身体から揺れる感覚が抜けなくて、フラフラする。気持ち悪さが治まっても、また荷馬車乗らなければならないと思うだけでゲンナリする。


 男たちは火をおこし、お湯を沸かしている。その光景をぼんやりしながら見ていた。


 マイラの隣に旦那と呼ばれた男が座る。マイラが逃げないように見張るつもりなのか。

 変わらずフードを目深に被り、顔を見られたくないようだ。


 カップを持った男が近づいて来る。紅茶が入ったカップをマイラに差し出す。


「これでは飲めないわ」


 縛られた手首を見せつけ、紐を解いてとアピールする。旦那と呼ばれた男は手首の紐を解いた。


「逃げられると思うなよ?」


(この声……どこかで)


「あなたが乱暴に立たせたから、足をくじいたの。逃げたくても逃げられないわ」

「なら、大人しくしていればいい」


 足を挫いたのは嘘だ。咄嗟に口から出た言葉だった。走れないと油断してくれたら、何かのときに役に立つかもしれない。


(旦那と呼ばれた男の声……聞き覚えがあるような、ないような……)


「あっ!」


 マイラは思わず声を上げた。しまったと、両手で口を押さえる。


「何だ? どうした?」

「い、いえ、別に」

「そろそろ出発したいが、大丈夫か?」

「おかげさまで落ち着きました」


 旦那と呼ばれた男は冒険者たちに火の始末を指示し、出発する旨を伝える。冒険者たちは薪を一本ずつ水につけ、消火した。





 男はマイラの腕をつかみ、荷馬車に向かうが、マイラは男の手を振り払う。


「あなた、貴族でしょう? こんなことをしでかして、家は大丈夫なの?」


 旦那と呼ばれた男は鼻で笑う。


「あなたを、あのお方にお渡しすれば、万事うまくいくのでね、心配いりません」

「私をフォルクハルト様のもとへ連れて行くの? クレーメンス・アメルハウザー」

「なっ……」


 旦那と呼ばれた男はフォルクハルトの側近のクレーメンス・アメルハウザーだった。

 エルネスティーネがフォルクハルトに近付いてきた頃から、マイラに暴言を吐いていたうちの一人だ。


「今更フォルクハルト様に会っても、仕方ないわ。私を屋敷に戻して」

「そうはいきません。フォルクハルト様はあなたを妻にし、王太子となり、ゆくゆくはこの国の王となられるのだ」


 クレーメンスは夢うつつで呟いた。


(・・・・はぁ? 廃太子にされたのに、王太子になれる訳がないじゃない。私はフォルクハルト様の戯言ざれごとに巻き込まれたの?)


 マイラは脱力し、やるせない思いが胸に渦巻く。


(あり得ないわ……)


「そろそろ出発するぞ!」


 クレーメンスは冒険者たちに声をかける。


「出発して、どこに向かうんだ?」

「どこって、決まっているだろ! フォルク……」


 クレーメンスの言葉が途切れた。蛇に睨まれた蛙のように、動かなくなったクレーメンスを不思議に思い、マイラは同じ方向に視線を向けた。


 視線の先には、笑みを浮かべたフレーデリックが立っていた。


「何者だ!!」


 冒険者が警戒し、剣に手をかけている。


「冒険者はこの件に関わるな!! 関われば犯罪者と見なす」


 フレーデリックの鋭い目つきに冒険者たちはビクリと身体を揺らした。

 三人はアイコンタクトで状況を確認し合う。一人が首を振り、二人が頷いた。


「俺たちは、この依頼をおりる」

「賢明な判断だ。依頼料は僕が責任を持って払う」

「ああ、分かった」

「この件はギルドに報告してくれ。フレーデリックの名を出せば、ギルド長に伝わるはずだ」


 冒険者は息を呑む。


「あ……あんたが竜殺しドラゴンスレイヤーのフレーデリックか……」


 フレーデリックが冒険者と話をつけている間に、クレーメンスはマイラを捕らえようと腕を伸ばす。


「汚い手で、マイラに触るの、やめてくれないか?」


 転移魔法でクレーメンスの後ろに立ち、低く唸るように言葉を放つ。すぐさまフードを剥ぎ、クレーメンスの首に剣を突きつける。


「は?」


 クレーメンスは首筋に剣を当てられた状況を把握できず動いたため、皮膚が切れて血が流れる。


「お前が主犯か?」

「え? イヤ、あの、俺は、そのっ」

「私を拐った男に、金貨が入った巾着を渡していたわ」

「いひゃあ?」

「決まりだな」


 フレーデリックは剣を鞘に収め、マイラへと手を差し出す。


「マイラ、遅くなったが、助けに来たよ。こっちにおいで」

 フレーデリックはとろけるような笑顔でマイラを呼ぶ。


(本当に……私を助けに、来てくれた……)


 マイラは両手で口をおおい、目が潤む。

 フラフラと歩み寄り、フレーデリックに抱きつくマイラを右腕に座らせる。


 二人の顔が近づき、潤んでいる銀色の瞳と、まぶしそうに目を細めた色変わりする瞳がお互いの顔を映し、どちらともなく笑みがあふれる。




 左手でクレーメンスの襟元を掴んで身柄を確保している。

 二人を連れ、転移魔法でカレンベルク邸に転移した。






 ボリスは屋敷の前で佇んでいる。マイラが無事に帰って来るようにと、祈る思いで花畑を眺めている。


 突然、目の前に男二人とマイラが現れた。


 ボリスは驚愕きょうがくし、叫び声を上げて、腰を抜かしてへたり込んだ。

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