第38話 忍び寄る影

 ロジータに王妃様みたいと言われたマイラは、突然胸が高鳴り、戸惑う。

 頬や身体が急に熱くなり、意識がぼんやりとしてきた。








 戴冠したフレーデリックが王宮のバルコニーに立っている。

 即位したばかりの国王を祝おうと集まった民衆へ、手を高く上げると歓声が響く。

 フレーデリックが視線を向け、肩に手を回し、寄り添うような形になると、更に歓声が大きくなる。蕩けるような笑顔でフレーデリックの顔が近づき………


「……! ……ラ」

「マイラ!」


 マイラは我に返り、驚いて辺りを見回した。ロジータが作りかけの花冠を持ち、キョトンとしている。


(今のは……白昼夢!? 何だかとてもリアルだったけど……)


「ぼんやりしていたけど、大丈夫?」

「え? えぇ、大丈夫よ。バザーに出すハンカチの刺繍を終えて、気が抜けちゃったみたい」


 マイラはロジータが心配しないように、ほほえむ。


 キュルルルと小さく鳴る音がした。ロジータのお腹の音だ。ロジータは頬を赤くし、モジモジしている。


 そろそろ昼食の時間だ。


「ロジータ、花冠作りは中断して、お弁当を食べようか?」

「うん! お弁当食べたい!」

「花を触ったから、手をきれいにしましょうね」


 マイラはバスケットの上に置かれた包みを持ちあげる。包み紙を開くと、折り畳まれた小さなタオルが見える。


「これで手をきれいに拭いてね」

「何これ? 濡れたタオル?」

「そうよ。手の汚れを落としてから食事するの」

「ふ〜ん」


 濡れたタオルは日本では“おしぼり”と言われているものだ。

 こちらの世界では見たことがないが、手を清潔にしないと食中毒を起こす場合がある。


 サンドイッチは直接手で触れないように防水紙で包んだが、ロジータの手がサンドイッチに触れる可能性もある。

 触れても大丈夫なように、汚れと除菌を兼ねておしぼりを用意していたのだ。


 紅茶をカップに注ぎ、敷布の上に置く。ロジータは好きなサンドイッチを手に取り、防水紙をめくり、頬張る。

 頬張る姿も可愛いと、マイラはすっかりロジータにメロメロだ。


「ん! 玉子が甘くておいしい!」

「ふふっ、気に入ってもらえたなら、嬉しいわ」


 マイラはレタスとトマトのサンドイッチを口にする。シャキシャキしたレタスの食感とみずみずしいトマトの甘みと酸味が口のなかで広がり、思わず口角が上がる。


 摘みたてのブルーベリーとヨーグルトを一緒に食べると爽やかな甘さとブルーベリーの香りがヨーグルトの酸味に合う。砂糖を入れなくても十分甘味を感じる。


 食事を終え、ロジータは再び花を選び始めた。





 あの白昼夢は何だったのか? 国王になったフレーデリックの隣はもしかして……なんて思うのはおこがましすぎると、白昼夢を頭のなかから追い出すように頭を振る。


(どうしてあんなにリアルな夢を見たのかな? 寝る暇を惜しんで刺繍をしたから、疲れているのかも。今日は早めに休もう)








 マイラが領地で生活を始めて半年が過ぎた。ロジータのお陰で、ようやく自己主張ができるようになってきた。


 ロジータがいたから、兄夫婦に馴染めた。家族の温かさを知り、家族っていいなと思えるようになった。


 マイラの前世である茉依は子どもと接したことがない。

 親戚の集まりに連れて行ってもらったことがなく、いつも留守番で。

 親戚が訪ねてくると、部屋から出してもらえなかった。

 なので、幼い子どもと接する機会がなかったのだ。


 ロジータと初めて対面したときは、どう対応すればいいのか、分からなかった。


(挨拶って、大人と同じようにすればいいのかなぁ? どうしよう……なんて声をかければいいんだろう)


 マイラの困惑を敏感に察し、義姉の後ろに隠れてしまい、挨拶を交わせなかった。


 ロジータはしばらくマイラを避け続け、マイラと仲良くするようにと父親のボリスが言い聞かせても、聞く耳を持たない。

 母のリリーが避ける理由を問いかけても、黙ったままで。

 

 兄夫婦もほとほと困り果てていたある日、ロジータがマイラに近寄り、話しかけた。


 大人たちが凍りついた、婚約破棄の話だ。この会話こそ、マイラとロジータが初めて交わした会話だったのだ。


(あれはビックリしたなぁ、でも、気負うこともなく平然と答えられたから、良かったのかも)


 マイラは無意識にロジータを子ども扱いせず、対等に会話した。ロジータもそのことに気づき、マイラを気に入り、受入れた。


 翌日からロジータの行動がガラリと変わった。マイラのそばから離れず、自分の花畑に連れて行き、咲き誇る花の前で、花冠や首飾りを作ったりしていると胸を張る。


 二人の関係は叔母と姪だが、主導権を握ったのはロジータだった。

 毎日マイラを連れ回し、うさぎ小屋や厩舎へ赴き、使用人たちとおしゃべりを楽しむ。


 野菜を栽培している使用人に、成長具合を聞いたり、収穫時期など話題は尽きない。

 当然、マイラも輪の中に入らなければならない。おっかなびっくりで話ているうちに、誰とでもスムーズに会話が出来るようになっていた。


(荒療治だったけど、いつの間にか使用人たちとも会話が出来るようになり、私から声をかけることも出来るようになっていて。ロジータのお陰ね。感謝してもしきれないわ)


 花を選んでいるロジータと目が合うと、お互いに手を振り、ロジータは花へ視線を戻す。


 マイラは紅茶を飲み終え、カップの水分を拭き取り、バスケットにしまう。


 領地は自然が豊かで、優しくそよぐ風が心地よくて、穏やかな気持ちになる。


(穏やかに過ごせるなんて、領地ここに来て良かった。フレーデリック様に会えないのは、胸が締めつけられるほど、寂しいけれど。だけど今、領地ここで、私は必要なものを学ぶためにいるみたいに、感じるの)


 マイラは目を閉じて深呼吸する。








「ふぅ、たくさん摘んでしまったわ。お母様にお願いして、花瓶に生けてもらわなくちゃ。ねぇ、マイラも部屋に花を………………」


 ロジータはしゃべりながらマイラのいるほうへ振り向く。マイラがいるはずの場所には、敷布とバスケットだけが残されている。


「…………マイラ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る