第35話 誓い

 カルラはマイラの部屋で呆然と立ちつくしていた。


『お世話になりました』


 淑女らしいカーテシーをし、マイラは両親に支えられながら去って行った。


「どうしてなの?」


 カルラの問いかけに、返事はない。部屋の主がいなくなり、静まり返った部屋を見回した。

 テーブルには刺繍箱の上に刺繍枠に挟まれた刺しかけのハンカチが置かれ、クッキーの種類が書かれた紙が何枚も置かれている。


 カルラは無意識に刺繍枠に手を伸ばす。

 

 黒っぽい犬が前脚を揃えて座っている刺繍だ。

 

 この犬こそ、フレーデリックが言っていた前世の姿なのだろう。ハンカチを刺繍箱の上に置いて、紙を手に取る。


 クッキーの形が色々と描かれていた。肉球のクッキーまで考えるなんてマイラらしくて、クスリと笑みがこぼれた。


 フレーデリックに喜んでもらいたくて、クッキーのデザインをしていたのだろう。


 文字が書かれ、バツがついていたり、クッキーの横に材料と数字が書かれている。配合を考え、何度も書き直して決めたらしい配合には丸がつけられていた。








「書類も予定より早く片付いたし、マイラの部屋に行ってくる」

「あまり長居はされないでくださいね」

「分かった」


 いそいそと執務室を後にし、宮殿に向かう。宮殿に入ると、自然と歩みが早くなる。マイラの部屋に近づくにつれ、なぜか言いようのない不安が押し寄せる。


(何だ? この不安は。まさかマイラに何かあったのか?)


 急いでマイラの部屋へ行き、足が止まる。

 不自然に開け放たれた扉に、鼓動が大きく打ち始め、喉が鳴る。鼓動は早くなり、フレーデリックは恐る恐るマイラの部屋を覗く。


 扉に背を向け、カルラが立っている。部屋のなかを見回しても、いるはずの人物の姿がない。


「あれ……マイラは?」


 高鳴る鼓動はますます早くなり、声が震える。


「………………た」

「え?」

「マイラ様は……カレンベルク邸に戻られました」


 言い終えると両手で顔を覆う。気丈なカルラの肩が小刻みに震えている。


(マイラが……カレンベルク邸に戻った……だと?)


 鼓動が頭まで響いて胸がざわつく。目を見開き、呆然と立ちつくしていた。




「ただいま戻りましたぁ〜 あれっ? マイラ様は?」


 ニーナの声で我に返ったフレーデリックはきびすを返し、走り出した。

 ニーナはフレーデリックが慌てた様子で出ていったので驚く。


「まぁ! フレーデリック様が走って行かれたわ。どうし……」


 フレーデリックの姿を目で追い、振り向くと言葉が途切れた。ニーナの目に飛び込んできたのは、手で顔を覆い、泣いているカルラの姿だった。


 驚いたニーナはカルラをソファーに座らせ、隣に座る。


「いったい、何が起きたのですか? マイラ様もいらっしゃらないし……まさか」


嗚咽おえつを漏らし、言葉に出来ないカルラの背を優しく撫でた。

 ニーナは二人の取り乱す姿に、マイラは宮殿ここを去ったのだろうと察し、寂しそうに目を伏せた。








 フレーデリックは王宮にある国王の執務室の前で立ち止まり、力強くノックをした。

 ノックというより、やるせない思いをぶつけたのだ。

 扉が開かれ、押し入るように執務室に踏み入れたフレーデリックは、冷静な国王を目にし、カッとなる。


「父上!!」


 怒鳴るように声を張り上げたフレーデリックを、国王は冷たく見上げた。


「これ、ここでは陛下と言いなさい。血相を変えて、怒鳴り込んでくるとは王子失格じゃぞ」


 書類にサインをしていた手を止め、机の上で両手の指を組んだ。


 フレーデリックが取り乱した姿を目にするのは初めてだが、冒険者を経験し、竜殺しドラゴンスレイヤーの称号を持ち、騎士にも負けない体躯たいくで凄まれると、息子とはいえ恐怖を感じる。

 だが、国王はおくびにも出さず、冷静に対応する。


「マイラが、カレンベルク邸に戻ったと聞きました。本当ですか?」


 頭に血が登ったフレーデリックの声は更に低くなっている。


「ああ、本当じゃ」

「どうして!?」


 納得ができず、苛立つフレーデリックに、国王は眉間を揉みながら、ため息を落とす。


「マイラの両親が望んだことだ。マイラに記憶がなくても、新しい記憶を紡いでいけばいいと言っておった。卒業パーティーで一方的に悪役にされ、婚約破棄など、マイラは記憶をなくすほど侯爵令嬢としての誇りを踏みにじられた。もう、娘だけは王族と関わらせたくないと言われたぞ」


 王族と関わらせたくない。


 この言葉が侯爵にとって、どれだけ危険な言葉か、フレーデリックは瞬時に理解した。反逆と捉えられても仕方がない。


 忠実な侯爵に、ここまで言わせてしまったと、国王は苦悩の表情を浮かべた。


 全てはフォルクハルトがいた種だ。だが、王家も無関係ではない。マイラの記憶喪失は国中に噂として広がり、王家に不信を抱く者もいるという。


 王家として足下が揺ぎかねない事態になっている。


「では、マイラは……」

「諦めるしかあるまい。これ以上、ことを大きくしたくない。時が過ぎれば、収束するじゃろう」


 フレーデリックは唇を噛みしめる。


(マイラを諦める? フォルクハルトのせいで? 僕の想いを?)


 握りしめた拳に力が入り、爪が食い込み血が床に滴り落ちる。


「嫌だ!! 僕はあきらめない! 僕はマイラを愛している。マイラじゃなきゃ、嫌なんだ!!」

「ならば!!」


 温厚な国王が声を荒げた。フレーデリックは気圧けおされる。


「マイラを諦めたくなければ、貴族や民にそなたが次期国王だと、認めさせねばなるまい。マイラを妻にしたいなら、そなたが最大限の努力を払わなければ、道は開けないぞ!!」


 王家の存続がフレーデリックにかかっている。フレーデリックしか国を託せる人物がいないのだと、国王は厳しい言葉を放つ。


(僕が尽力すれば、マイラとともに歩む未来が開けるなら、僕は国と民のために尽くそう)


「陛下、僕は必ず貴族や民に認められる働きをします。マイラとともに、この国を治めてみせます」


 力強い眼差しでフレーデリックは誓いをたてる。国王も目を細め、頼もしいとばかりに頷いた。


(マイラ、待っていて。僕は国民に認められる男になり、堂々とあなたを迎えに行くから)

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