第31話 ファレノプシス・シレリアナ

 お茶会をお開きにし、マイラはカルラの手を借りて部屋に戻り、ソファーにへたり込む。


 目の前でフレーデリックが消えた。カルラが転移魔法だと教えてくれたが、目前で人が消えた衝撃が大きく、まだ放心状態が続いている。




 ニーナがココアを作ってきてくれた。マイラはココアを一口飲み、ホッと息をつく。


「マイラ様、落ち着きましたか?」


 カルラは心配そうに声をかけた。


「ええ、何とか。心配かけて、ごめんなさい」

「いえ、配慮をしなかったフレーデリック様が悪いんです!」


 カルラはフレーデリックに対し、怒っているようだ。


「私は魔法について全く知識がなくて……魔法について学びたいと思っているの」

「なら、フレーデリック様に教えてもらうのはどうでしょうか? 魔導師の肩書きもありますし〜」


 妙案だとばかりに、ニーナは両手を合わせる。確かにフレーデリックは優秀な魔導師だ。教えを乞うには適任だろう。


 だが、フレーデリックは多忙であり、教える時間などない。マイラの名前を出せば、フレーデリックは必死になって時間を作るだろうが、無理はしてほしくないとマイラは思う。


「フレーデリック様は王族として、必要な知識を身につけているの。邪魔はしたくないわ」

「あ……そうですねぇ」

「魔法について、何を学びたいですか?」

「魔法の属性が知りたいわ」

「それくらいなら、宮廷魔導師に教えてもらうほうがいいですね」


 カルラはあごに手を当て、宮廷魔導師のなかで誰が適任か、考えている。人見知りをしてしまうマイラには、女性の魔導師が良いだろうと、知り合いの魔導師にお願いしてみることにした。





 夕食時間になってもフレーデリックは食堂に現れなかった。国王が理由を尋ねると、執務がとどこおっており、食堂こちらに行けないと侍従に言われたそうだ。

 仕方がないと、国王はマイラに食べるように促し、二人で食事を終えた。






 翌日。

 目の下にクマを作り、疲れ切ったフレーデリックが食堂にいた。


「おはよう、マイラ」

「おはようございます。フレーデリック様。随分ずいぶんお疲れの様子ですが?」


 フレーデリックは乾いた笑いを浮かべる。


「あの後、侍従クルトが明日は自分が休みだからと、今日の午前中の書類まで持ってきて。夜中まで付きっきりで監視されて仕事をしたよ」

「まぁ……」

「午前中の分の書類が終わるのを見届け、クルトは帰って行ったが、もうね、全部終わらせてやるって、今日の分の書類を終わらせてきた」


 今日は自分も休みだと、フレーデリックは遠い目をして呟いた。




 午後。

 マイラはカルラとニーナとともに温室に出かけた。温室の扉を開けるとその先にも扉があり、数歩歩いて扉を開けた。


 扉が開いた瞬間、湿気と苔や植物の独特な匂いが鼻をかすめる。


「温室は湿度が高いのね」

「この温室はラン科の植物の生息地域を再現しているそうですよ」

「じゃあ、他にも温室があるの?」

「はい。王宮の敷地にもありますよ」


 宮殿から温室まで馬車で移動してきた。宮殿と王宮がある王家の敷地はどれだけ広いのだろう。想像がつかず、マイラは唖然とした。


「この温室は王妃様の故郷にある花を愛でるために建造されたそうですよ。王妃様は南国の王女様だったそうです」


 今は亡き王妃のために、国王が贈った温室で、二人は仲良く散歩し、花を愛でたという。


 温室の花や植物を眺めながら歩を進めると、木に着生した胡蝶蘭が葉を下に伸ばしている。

 細長い葉は暗緑色の葉に灰色がかった緑色が横縞模様に入り、ところどころに淡いピンク色が葉にのり、美しい。

 葉と葉の間から花茎を伸ばし、ピンク色の花をたわわに咲かせている。


「この花です」


 カルラが指をさす。花に近寄ると甘く上品な香りがする。


「優しい香りなのね。この花をスケッチするから、二人は散歩をしてきたら?」

「よろしいのですか?」

「うん、私はここにいるから、いろんな花を見てきて」

「では、お言葉に甘えて」


 カルラとニーナはそれぞれ好きな方向に歩き出した。


 インクと羽根ペンに慣れてきたとはいえ、スケッチするには鉛筆のほうが書きやすい。


(この世界に鉛筆って、ないのかな? スマホがあれば写真を撮れば済むのになぁ)


 前の世界で使用していた物を懐かしく思う。


 マイラが住む世界は、日本がある世界に比べて文明が発達していないように感じている。





 フレーデリックはケッセルリング王国で魔導具を開発しているという。

 魔法なのか魔力を使うのか、マイラには分からないが、作りたい物を形づくり、魔石が原動力となり、冷蔵庫や暖房器具などが開発された。


 新しい物好きな貴族たちがこぞって購入しているらしい。




 胡蝶蘭の花のスケッチも終わり、マイラは身体をほぐすように伸びをする。


「スケッチは終わりましたか?」


 声をかけられ振り向くと、カルラとニーナがいた。


「今、描き終わったわ」

「マイラ様も温室内を歩かれてみては?」

「んー、また今度でいいわ。もう戻りましょう」


 マイラたちは馬車に乗り、宮殿に帰って行った。




 数日後。

 カルラとともにローブをまとった魔導師がマイラの部屋を訪れた。


「宮廷魔導師のジルヴィア・コルネリウス様です」


 目深に被ったフードを後ろへずらすと、サラリと癖のないフロスティホワイトの髪が肩から胸元に落ちて来る。


 伏せられた双眸そうぼうがマイラに向けられると、ヴァーミリオンの瞳がマイラの銀色の瞳を捉えた。


「ジルヴィア・コルネリウスです」

「マイラ・カレンベルクです。よろしくお願いします」


 二人はカルラに促され、ソファーに座る。マイラは緊張しているようで、表情が固い。

 事前にマイラが人見知りをすると聞いていたので、ジルヴィアは柔らかい笑みを浮かべている。


「マイラ様は魔法の属性を学びたいとお聞きしました」

「はい。私は魔法の知識がありません。魔法の成り立ちや、属性によって何が出来るのか、知りたいです」

「わかりました。では、魔法とは何か、から説明しましょう」


 ジルヴィアは説明を始めようと口を開きかけた。


「あのっ、ノートに書き留めてもいいですか?」


 緊張して声が上擦うわずってしまい、マイラは恥ずかしくて頬が赤く染まる。ジルヴィアも驚き、目を瞬かせたが、恥ずかしがる様子が可愛らしく、柔らかい眼差しで頷いた。


「あ、すみません。ノートを取って来ます!」


 しゃんと背筋を伸ばして立ち上がると、ギクシャクしながらソファーから離れようとしている。カルラは見ていられずに、ノートと羽根ペンとインクを手にし、テーブルの上に置いた。


「あ……カルラ、ありがとう」


 マイラは座り、ノートを開く。

 ジルヴィアも説明を始め、マイラも集中して聞き、ノートに書き留めていく。


 カルラはマイラの人見知りの深刻さを思い知る。カルラたちも初対面からしばらくはギクシャクしているマイラを見てきた。


 クッキー作りのときも緊張し、悪役令嬢顔になり、料理人を怖がらせていたと思い出す。


 ジルヴィアは魔導師だ。コツコツと魔法の研究をしており、お世辞でも社交的とは言えない。


 二人の間に入り、物事が円滑に進むように立ち回ろうとカルラは決意した。

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