第29話 一喜一憂

 マイラに甘えて、ケーキを食べさせてもらったフレーデリックは幸せを噛み締めていた。


(ああ、イスが足りなくて良かった! マイラをひざの上に座らせているなんて、信じられない。茉依の膝の上に寝そべっていた頃には出来ないことが叶ったんだ!!)





 前世。

 茉依がソファーに座って本を読んでいると、福は膝の上に跳び乗り、寝そべってうたた寝を始める。

 たまに茉依の様子をうかがっていると、気づいた茉依が頭を撫でてくれた。


 無意識にしっぽが揺れて止まらなくて。


 何気ない日々が、如何いかに幸せな日々であったと気付いたのは、おぼろげだった前世の記憶がはっきりしてからだった。






 フレーデリックはマイラの飲みかけたティーカップを手にすると、飲み干してソーサーの上に置く。

 紅茶を飲まれたマイラの反応を探るように目を輝かせている。


(マイラの反応は? 驚くのかな? 頬を染めて恥ずかしがるかな?)


 ドキドキしながらマイラの行動を見逃すまいと、またたきもせずに見つめていた。マイラは考える素振りを見せる。


(あら、フレーデリック様が私の紅茶を間違えて飲んでしまったわ。ご自分の紅茶は近くにあるのに……ケーキも食べてしまったし、紅茶とお菓子を用意してもらわないと)


 鈍感力を発揮しているマイラにはフレーデリックの思惑が伝わらなかったようだ。




 空になった皿に視線を向けてから、フレーデリックに目線を合わせ、たずねる。


「何か食べたいお菓子はありますか?」

「・・・・・・?」


 フレーデリックは尋ねられた言葉の意味を頭の中で反芻はんすうし、ようやく理解できた直後に驚愕きょうがくした。


(はっ……反応なし!? えっ? 何? マイラにスルー……された?)


 今までやってきたことが一ミリも伝わってないと気付き、心が折れそうな衝撃を受ける。


(……えぇ……)


 頭の中が真っ白で、言葉が浮かんでこない。


(…………何で、伝わらないのかな? 頑張ったのに。……何だろう、涙が出そう)


 色変わりする瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。


「フレーデリック様?」


 キョトンとしているマイラを目にし、フレーデリックは我に返る。


「あっ、ああ。……ケーキが……食べたい、か、な……」


 最後の言葉は消え入りそうな声だった。カルラとニーナはフレーデリックの異変に気付く。


 先程までは上機嫌でニコニコしていたフレーデリックが哀愁あいしゅうを漂わせて項垂うなだれている。


 一生懸命アプローチしたのに、マイラに伝わらなくてしょぼくれているフレーデリックを不憫ふびんに思いながら、マイラが愛情を理解出来るまで待つしかないと、カルラはため息をついた。


「ニーナ、ケーキをお願い」


 ニーナは新しい皿を取り出し、ショートケーキを乗せてマイラの前に置く。


「フレーデリック様、どうぞ」


 ケーキが食べやすいように左手の近くに置いた。


(もう、食べさせてくれないんだ)


 フレーデリックは項垂れたまま黙っている。マイラにはフレーデリックの表情が見えないが、何となく元気が無いように感じた。


(あれ? さっきまで元気だったのに。多忙なお方だし、私を乗せているから疲れたのかな?)


 フレーデリックはシュンとした眼差しでマイラを見つめる。風が木の葉を揺らして通り抜けていく。


 星が瞬くように降り注ぐ木洩れ日が、フレーデリックの瞳の色を変えながらマイラに注がれ、マイラも瞳に惹きつけられた。


 ――――まるで宝石の瞳。


「フレーデリック様の瞳は宝石みたい。光の加減で色が変わる瞳は、ブルーやグリーン、アンバーやヘーゼルの光を放つ、イエロースフェーンに似ているわ」


 思わずため息が漏れるほど、美しい瞳。マイラの言葉に反応し、フレーデリックは目を見張る。

 たが、すぐに視線をらされてしまった。


「マイラ……茉依はさ、僕が福だった頃、どんなふうに思っていたの?」


 視線を逸らしたまま、尋ねる。


(どんなふう、か)


 視線を逸らしているフレーデリックを、マイラは真っ直ぐ見つめ、口を開く。


「福といて、楽しかった。福と過ごすうちに笑えるようになった。何よりも福の温もりが、私を必要としてくれることが、嬉しかったの」


 フレーデリックが驚いた様子でマイラに視線を合わせると花がほころぶように微笑んだ。


(たくさんの人を拒絶し続けていたのに、福は私を選んでくれた)


 一人と一頭は温かみのない家の中で、お互いを支えに生きてきた。茉依と福は温かく、愛情と強いきずなを育んでいた。

 



「茉依、僕は茉依を守りたかった。散歩中に向かって来た大きなモノから。茉依が無事であればいいと、立ち向かったけど、僕は非力だった」


 ポロッと涙がこぼれ落ちた。色変わりする瞳には溢れんばかりの涙がたたえられている。


「僕はあなたを守りたくて、人間に生まれた。でも、あなたは僕のことを、福としてしか、見てくれないのかなぁ……」


 切なげな声音で、辿々たどたどしく呟いた後、整った顔がくしゃりと歪む。


 フレーデリックの身体がゆっくりと動き、マイラの右肩にフレーデリックのあごが乗り、マイラを抱きしめる。


 フレーデリックの大きな身体にすっぽりと小柄なマイラの身体はつつまれ、密着した場所から体温が伝わり、マイラの心臓がトクンと跳ねる。

 

 マイラはフレーデリックの頭を撫でた。サラサラの黒髪に狐色のメッシュ。福の毛色に似ていて、懐かしくなる。


(私を守るために人として生まれたなんて……)


 抱きしめてくれるのは福ではなく、フレーデリックだ。福の記憶を持つ人間なのだと、改めて認識する。


 グリーンシトラスの香りが心地よくて、胸が熱くなり、心臓が早鐘を打つ。


「もう、離れたくないよ。僕にあなたを守らせて……」


 嘆願たんがんするような囁きと吐息が耳にかかり、マイラの身体はビクリと揺れる。力強く動く心臓の音がフレーデリックに伝わってしまうんじゃないかと、恥ずかしくなる。


「……お願いしますね」


 フレーデリックの耳元で囁くと、目を見開き、マイラの顔を見るために身体が離れる。


 しばらく見つめ合った後に頷いたフレーデリックはマイラを抱きしめる。

 嬉しさのあまり腕に力が入り、無意識にマイラをギュッと抱き締めた。


(ちょっ、痛い! 苦しい! やめてー!!)


 フレーデリックの背中を必死に叩いて訴えるが、ちっともゆるまない。


 気持ちが舞い上がったフレーデリックは背中を叩かれているのに気付かない。令嬢の力なんてたかが知れている。


 狂暴な魔物を相手にしてきたフレーデリックには痛くも痒くもない。


 嬉しくて、マイラの温もりを感じたくて、密着したいと強く抱き寄せる。


(逆に締まるって、どういうこと!? 息ができない! 誰か助けて!)


 マイラの顔が青ざめる。このままでは大変なことになると、助けを求めて手を振った。

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