第27話 木洩れ日の下で

「今日は天気がいいので、外でお茶を楽しみませんか?」


 カルラが提案してくれた。


「いいですね~! さっそく準備しましょう!」


 ニーナが即答し、準備のために人を呼ぼうと慌ただしく部屋を出ていく。何人かの使用人を連れてきたニーナは庭園用のイスとテーブルをマイラの部屋の近くにある大樹のそばに置いた。


 何年も使用されていなかったテーブルとイスをキレイにし、大樹に日差しが遮られる場所にセッティングする。





 庭園用のイスとテーブルはフォルクハルトとフレーデリックが生まれる前、国王と王妃が使用していたものだ。


 政略結婚だった国王と王妃だったが、大樹のそばでお茶会をし、交流を深め、愛情を育んだ。


 大樹は初夏になると淡黄色の小さな花を下向きに咲かせ、甘い香りをふんわりと放つ。この花の香りが好きだと王妃が愛した樹だ。


 数年後、王妃が懐妊し、出産直前までお茶会は続いた。


 時は満ち、フォルクハルトとフレーデリックをこの世界に送り出した王妃は、産後の肥立ちが悪く、床にせることになる。

 

 二人の王子はそれぞれ乳母に育てられている。




 王妃の余命は幾許いくばもないと医師から告げられ、信じられない思いで助けてほしいとすがった国王は、静かに首を横に振る医師の態度に呆然となり、膝から崩れ落ちた。


 王妃を失いたくない国王は神殿に赴き、只管ひたすら祈る。


 自分の命を王妃に分けてほしい。王子たちの成長を見守らせてあげたい。叶わないのなら、せめて王子たちを抱けるように一時的でも体力が回復しますようにと一晩中祈り続けた。


 新月で月の光がない夜空には星が一際ひときわ明るくまたたいている。やがて空が白み始めた。


 国王の地位を捨て去り、一人の男として妻の延命を願い続けた。慈悲を求める眼差しで女神像を食い入るように見つめる。


 穏やかな微笑みを浮かべている女神像が、男の目には悲しげな微笑みに映り、願いは叶わないと悟った。


 双眸そうぼうからとめどもなく涙があふれ出した。床に伏して嗚咽おえつする男を、女神像は静かに見守っている。






 王妃を見舞いに訪れた国王を迎え入れ、ベッドに横になったままの王妃は嬉しそう国王を見つめる。

 日に日にやつれていく王妃を見ると胸が痛む。


 王子たちは元気かしら? 早く元気になって、フォルクハルトとフレーデリックを抱きたいと、細くなった腕で赤子を抱き寄せる仕草をする。


 王妃の願いは叶わないだろう。


 せり上がる悲しみを悟られまいと、国王は笑顔で対応する。


 もうすぐ大樹の花が咲きそうだから、花の香りに包まれてお茶会をしよう。早く元気になってほしいと告げると、王妃は力なく笑みを浮かべて頷いた。







 夫が初めてお茶会をしようと言ってくれた。生きていたいと切実に思う。


 未だに抱いたことのない我が子を抱き、成長を見守りたい。

 大樹のそばで四人揃ってお茶会ができたら、どんなに幸せだろう。


 王妃の目から涙がこぼれ落ちた。思い描いた未来は泡沫うたかたの如く消えていく。




 大樹の花が開花し、王妃の部屋まで風が芳香を運ぶ頃、王妃の願いは叶うことなく、はかない人となった。


 王妃の棺には彼女が愛した大樹の花が敷きつめられたという。葬儀が執り行われ、国王は大樹の前に佇んでいた。





 初めて顔を合わせた異国の王女はつややかな黒髪と琥珀こはくの瞳が印象的で、心を奪われた。


 結婚式まで一年、ファーレンホルスト王国に滞在し、離宮で妃教育を受け、ファーレンホルストのマナーを学んでいた。


 初めて言葉を交わしたときはたどたどしい口調だったが、一年でしっかり話せるようになり、驚いたこと。


 まるで昨日のように覚えている。花の蕾が開くように笑う顔が眩しくて。王妃を愛していた。




 僅か五年で結婚生活が終了し、虚ろな目で大樹を眺めている。太陽を覆い隠したすす色の重い雲がポツリポツリと雨粒を落とし始めた。 冷気を含む風が吹き、それが合図のように雨が地面を叩きつける。

 


 国王の頬を濡らすのは雨なのか、涙なのか。執事が宮殿へと促すが、身じろぎもせず、大樹を見つめ続けた。


 愛しい王妃を亡くした国王は、大樹の下でお茶を飲むことはなくなり、王妃のお気に入りだったテーブルとイスの存在も忘れ去られていったが、今日、日の目を見た。







 日差しを遮る大樹の葉が風にそよぎ、サワサワと揺れると、木洩れ日がキラキラと降り注ぐ。まるで天然のシャンデリアのようだ。


 お茶会の準備が整い、マイラはイスに腰を下ろす。


 テーブルの真ん中にはケーキスタンドが置かれ、上段にはイチゴやマスカット、一口大に切り揃えられたオレンジがガラスの小皿に盛り付けられ、並べられた周りにはデンファレの花が一輪ずつ飾り付けられている。


 中段には小ぶりのショートケーキ、ガトーショコラ、レモンタルトが並ぶ。

 下段はカヌレとカラフルなマカロンが皿の白さを引き立たせている。


(わぁ、ケーキスタンドだ。本物を見るのは初めてだわ)


 前世では、画像を通して知っていたが、本物を目にする日が来るとは思ってもみなかった。

 可愛らしく配置されたお菓子とケーキスタンドに、目を奪われ、心が弾む。


 いつものお茶会よりスイーツの数が多いので、紅茶は砂糖を入れずにストレートで飲むことにした。


「マイラ様はどれにしますか?」


 ニーナが取り分けてくれるらしい。どれにしょうかと悩んだ末、ショートケーキに決めた。


「ショートケーキをお願いします」

「はい。かしこまりました。カルラさんはレモンタルトですね?」


 カルラの好物はタルトだ。チーズでもブルーベリーでも、タルトと名がついているスイーツは全て好きだと聞いている。


 ニーナはレモンタルトをカルラの前に置く。


 カルラの表情が輝いている。クールビューティーなカルラが少女のような笑顔でレモンタルトに釘付けになっている。


 感情によって表情が変わる。自然なことなのに、マイラには眩しく映る。


(私もあんなふうになれたらいいな)


 感情の乏しさを理解しているマイラの、ささやかな願いだ。


 ニーナはガトーショコラを選び、皿に乗せるとイスに腰掛ける。お茶会が始まった。


 フレーデリックがお土産にくれたケッセルリング王国の紅茶は爽やかで、ほんのりと甘さを感じさせる香りがある。

 口に含むとまろやかな渋味がスイーツの甘さを残さず爽快な味わいで、スイーツが進みそうだ。




 キラキラと木洩れ日が降り注ぐなか、おいしいスイーツと香りのよい紅茶で三人のおしゃべりは弾む。


「近いうちに温室に行きたいわ。カルラの好きな胡蝶蘭を見てみたいし、絵を描きたいの」

「絵ですか?」

「見るだけでは忘れちゃうから」


 カルラにハンカチを贈るために彼女が好きだと口にした胡蝶蘭を色々な角度で描いてデザインを決めようと思っている。


「……そうですね。今なら咲いていると思います。明日にでも温室に行きましょう」

「お願いね」


(これでカルラのハンカチに取り掛かれるわ。この前、ユリもスケッチしたし、どんなデザインにしようかしら)


 フレーデリックに贈るハンカチは福の顔を刺せば完成するが、今は針を止めている。かわいかった福の顔を再現したい思いが強くて進められないのだ。

 別な刺繍に取り掛かり、気持ちを新たにして福の顔を刺繍しようと決めている。


 完成したら、クッキーを焼いてプレゼントするつもりだ。





「今日は外でお茶会か?」


 後ろから声を掛けられたのと同時に腕が伸びてきてマイラは椅子ごと抱きしめられた。


「!?」


 何が起きたのか理解できないマイラは固まっている。


「誰だか分からないの?」


 声の主はマイラの耳元でささやく。甘さを含む声で、マイラの背筋にゾワッと粟立つようなものが走った。


(何?? 何が起きたの?)


 耳元に息がかかり、静かにパニック状態に陥って無表情になっているマイラに、いだことがある香りが鼻腔をくすぐる。


(この香りって……)


「フレーデリック様! おやめください」


 カルラが咎めるような視線を投げる。不穏な空気にフレーデリックは慌てて腕を解き、両手を上げて降参のポーズをとる。


「この時間は執務中ですよねぇ〜? どうされました?」


 キョトンとしてニーナが聞く。両手を下ろし、咳払いをしてマイラに視線を向けたフレーデリックは、握りこぶしを口元に当てたまま、口を開いた。


「父上がこれでもかと書類を増やしてくれて、目がショボショボするから気分転換にマイラの部屋に行ったら、外にいるマイラが窓から見えたんだ」


 フレーデリックはマイラに顔を近付ける。


「僕もまぜて」


 間近で色が変わる瞳に見つめられている。照れているような、懇願こんがんするような眼差しにマイラの心臓がトクンと跳ねた。


「ダメかな?」


 どうやらお茶会に参加したいらしいが、あいにくイスがない。イスを用意するには時間がかかる。


「すみません。イスがないので……」


 断るつもりで口を開いたマイラに、フレーデリックは笑顔を浮かべた。


「大丈夫だよ」


(うん? 大丈夫って……わぁ、何ごと?)


 フレーデリックはマイラを抱き上げ、イスに座る。

 マイラはフレーデリックの膝の上に座る格好になっている。右手で背中を支えられ、呆気にとられていると、色変わりする瞳は機嫌が良さそうに細められた。

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