第26話 寂寥

 フレーデリックは視察先での出来事やカルラの弟と手合わせをしてきたことなどをマイラに話して聞かせた。


 マイラも初めて知る騎士の訓練やカルラに弟がいたのかと驚いたり、興味津々でフレーデリックの話に耳を傾けている。


 和やかにお茶を飲んでいたら、ノックする音が聞こえた。フランカが扉を開けて、訪ねてきた人と話をしている。


「フレーデリック様、陛下が今すぐ執務室に来るように、とのことです」


 身体を揺らしたフレーデリックは、国王がなぜマイラの部屋にいると知っているのかと、内心驚きながら冷静を装う。


 マイラの顔を見てから、国王に視察の報告をするつもりだった。マイラとの距離が少し縮まり、いい雰囲気でお茶を楽しんでいたのに、残念でならない。


 カップの中身を飲み干して一息つく。甘い雰囲気をかもし出していたのが嘘のように、表情が引き締まる。


「もう少し一緒にいたかったが、タイムアウトだ。陛下に報告をしなければ。マイラ、また来る」


 フレーデリックは襟を正し、マイラの部屋を後にした。


 フランカとニーナは食器を下げに部屋を出る。


 部屋にはマイラだけが残された。


 騒がしかった鼓動も、高揚した気持ちも鎮まり、しんとしたなかで思い出す。




 静かな部屋は前世の茉依にとって日常だった。誰にも会わず、話すこともなく、マウスを動かす音だけがする部屋で、淡々と仕事をする日々をくり返す。何も疑問に思うこともなく過ごしてきた。

 



 なのに、今は無性に寂しい。

 

 先程まで優しい人たちに囲まれていたからなのか。マイラは頭を振り、寂しさを振り切った。


(フレーデリック様もお戻りになったし、刺繍の続きをしよう)


 刺繍箱からハンカチを取り出し、一針一針心を込めて、丁寧に刺していく。


 福が前脚を揃え、お座りをしているデザインだ。毛並みを表現した体はほぼ刺し終え、残りは顔だ。狐色の麻呂眉に凛とした目つき、笑っているかのような口元が鮮やかによみがえる。


(うん、この顔、この表情、懐かしいなぁ。今更だけど、私と福は異世界に生まれ変わったんだなぁ)


 福の顔を刺していこうとしていた手を止めて、考え込む。


(せめてマイラちゃんの断片的な記憶だけじゃなく、マイラちゃんと融合できていたら、空気が読めないのも緩和かんわされていたのかも。残念だわ)


 完璧な令嬢だったマイラは茉依の憧れの人だ。マイラに少しでも近づけるように、乗馬やダンスを頑張っている。


 人と接するのはぎこちないが、侯爵令嬢としての品位を身につけなければならない。

 乏しい表情をたおやかに表現出来るように練習をしているが、表情を作るのは難しいと感じている。


(いつか、心から笑えるようになるといいな)


 ささやかな願いは叶うだろうか。マイラはハンカチを刺繍箱の上に置き、マナー本を手に取り読み始めた。







 フレーデリックは国王の執務室の前で深呼吸をし、扉が開けられるのを待つ。

 扉が開き、執務室へと足を踏み入れ、扉が閉ざされた途端だった。


「この馬鹿者が!! 自分だけ先に帰って来るとは何事だ! 供をしてくれた者を置いてくるなど、もってのほかだ!!」


 穏やかな性格の国王の口から出たとは思えない怒鳴り声と気迫に、フレーデリックは目をつぶり、首をすくめた。


 忠義を尽くしてくれる臣下を大事にしている国王の怒りは凄まじく、厳しくフレーデリックを叱責した。


 マイラに会いたい一心で供を置き去りにしたフレーデリックの胸に罪悪感が広がる。


「これからは行動を起こす前によく考え、人の気持ちに寄り添えるようになりなさい」


 穏やかな声音で言われた言葉を、フレーデリックは心の中で何度もくり返す。


「僕が浅はかでした。申し訳ありません」

「フレーデリック、謝る人物を間違えているぞ」


 フレーデリックはハッとした表情を浮かべ、頷いた。




 王子とはいえ、長年国を留守にしていた。いきなり現れた王子の身勝手な行動は、臣下の心証を悪くしてしまう。


 これから長い年月をともに過ごし、国が栄えるように力を合わせていかなくてはならない。

 供をしてくれた者たちが登城したら部屋に集め、真摯に謝罪をしよう。


 フレーデリックの出した答えに国王も満足そうに頷く。執務室を後にしたフレーデリックは視察の成果を書類にまとめ、溜まっている書類に取りかかる。




 数日後。

 フレーデリックは視察の供をしてくれた者たちの登城を待ち、全員を会議室に呼ぶ。

 視察も無事に終えたはずなのに、フレーデリックからの呼び出しで、集まった人々は理由が分からず、困惑を隠せない。


「疲れているなか、集合してくれてありがとう」


 フレーデリックは一同を見回す。


「視察で供をしてくれたのに、そなたたちを置いて先に帰城してしまった。すまなかった」


 フレーデリックは謝罪を口にし、頭を下げた。

 ざわめきが起こり、皆は驚きと戸惑う。


「殿下、頭を上げてください」


 慌てて声を掛けたのは視察先の領主であるアスク伯爵だ。フレーデリックは申し訳無さそうに頭を上げてアスク伯爵を見る。


「僕は長いこと国を離れていた。数ヶ月前に戻った僕が、長く王宮で働いている皆のことを考えもせず、自分勝手に振る舞ってしまった」


 後悔を滲ませ、唇を噛む。


「ファーレンホルスト王国の王子として未熟者だが、間違ったことをしたら正してほしい。皆に世話をかけるが、この国を守り、さらに繁栄出来るように力を貸してほしい」


 決意を宿した瞳は皆に向けられた。


「殿下がそのように仰ってくださって、嬉しゅうございます。微力ながら応援しますぞ」


 アスク伯爵は感無量で応えた。

 視察に同行した人々の前で、真摯に向き合い謝罪をし、許しを請う。

 一同は謝る王子に驚き、狼狽えたり、がく然としていたが、心から反省していると気づき、謝罪を快く受け入れてくれた。


 信頼できる王子なら、全力で支え、王子とともにこの国をより良くしていこうと誓う者が続出する。フレーデリックと臣下たちの間に絆が生まれた瞬間だった。


 その旨を国王に告げる宰相の表情は穏やかだ。


 ぽっと出てきた第二王子に対して、王宮のなかで第二王子とどう接していいのか、戸惑う雰囲気があった。


 王子といえばフォルクハルトしかおらず、フォルクハルトはひょろっとした体格でわがままな性格の王子で、機嫌を損ねないように常に気を遣っていた。


 フレーデリックは背が高く、騎士のようなガッシリとした体型をしており、口数が少ない王子だ。


 王宮にいる人々はフレーデリックから威圧を感じ、怖がられていたのだ。

 無論、フレーデリックは威圧した覚えはない。怖がられていることにも気づいていなかった。


 今回の謝罪がきっかけとなり、フレーデリックの人となりを知った人々から誤解が解けていった。


「災いを転じて福となす、ですな」

「そうだな」

「小さかった殿下が、驚くほど大きくなって帰国しましたね。将来が楽しみです」

「儂の予想を遥かに超えて帰って来るとはな」


 やれやれと国王はため息をついた。

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