第25話 湧き上がる想い

 フレーデリックはマイラの部屋の前に転移魔法でやってきた。


 オルクスに土産を渡したらマイラのもとへ行こうとしていたのに、ひょんなことからオルクスと手合わせをすることになり、オルクスの実力を確認したらマイラのもとへ……が、ルークスの乱入により相手をせざる得なくなる。


 ルークスを適当にあしらってマイラのもとへと考えたが、ルークスの真剣な眼差しに、こちらも礼を尽くさなければと、真剣に手合わせした。


 久しぶりに剣を手にして楽しかったが、汗をかいていないか、土埃が気になり、クリーン魔法で清潔にしてからマイラの部屋の扉をノックする。


 扉の向こうにマイラがいる。


 早く会いたいとフレーデリックの心臓が騒がしくなり、扉が開かれるわずかな時間すら長く感じられて焦れったい思いに駆られる。


 扉が開き、侍女のニーナがフレーデリックの姿を認めると目が大きく開かれた。


「わわっ、フレーデリック様!? マイラ様、フレーデリック様がお見えになりました」


 ニーナの驚きと慌てた声に、マイラの胸はトクンと高鳴る。


 フレーデリックに贈るハンカチの刺繍はまだ完成していない。マイラは慌ててハンカチを刺繍箱に隠す。


 振り向けば視察でいないはずのフレーデリックが立っている。


 穏やかな眼差しを向けられてマイラの心臓は忙しく動きだす。


(フレーデリック様が帰るのは三日後のはず。なのに、どうしてここにいるの? なぜ胸がドキドキするの? 私、どうしちゃったんだろう)


「やぁ、マイラ。元気だったかい?」


 色が変わる瞳が嬉しげに輝いている。フレーデリックはマイラの手をとり、手の甲に口づけをする。

 洗練された動きに見惚みとれてしまう。王族としての作法が身についたのか、振る舞いが優雅だ。


 出会った頃のフレーデリックより大人びたようで。顔つきも精悍せいかんさが増し、大人の色気が見え隠れしている。


 フレーデリックのちょっとした仕草に胸が騒ぐ。


 いつの頃からか、前世では感じたこともない揺らめきに、マイラは平常心ではいられない。


 フレーデリックを前にすると、気恥ずかしくて、その場から逃げたくなる。


 逃げることはできないが。


「あの、視察は終わったの? 予定より早くない?」

「うん。視察は無事に終えたから、早くマイラに会いたくて転移魔法で帰ってきたんだ」


 キラキラした笑顔をたたえている。動くと光の加減で緑から黄色、琥珀色へと色変わりする瞳が優しげにマイラを見つめる。


(どうして私を見つめるの? 優しい瞳で映してくれるの?)


 心臓が強く鼓動を刻み、鼓動と一緒に身体が揺れる。頬が熱くなるのを感じながらマイラはフレーデリックの神秘的な瞳から目が離せない。


(フレーデリック様は私を真っ直ぐ見つめてくれる。何か言いたげな瞳は、何を伝えようとしているの?)


 フレーデリックの瞳に宿る想いが何なのか分からない。マイラの胸の中をぐるりぐるりとかき回されるような感覚と、ポロリとこぼれ落ちたモノが、胸の中で大きく弾けた。


「マイラ?」


 名前を呼ばれて我に返る。見上げるとフレーデリックが眉を下げて顔を近づけてくる。


 ぽたりと何かが手の甲に落ちた感触で、手に視線を向けると、水滴が乗っている。


「マイラ、どうしたの? 悲しいの?」


 心配そうな声色に、そっと目頭に指を当てた。指が濡れている。


(……涙? 私は泣いて……いたの?)


 無意識に涙をこぼしたマイラは、ぼんやりと指についた涙を見つめている。


 壊れ物を扱うようにそっと肩を引かれ、フレーデリックの胸に身体が寄せられた。


「マイラ、僕がいるよ。悲しいなら、泣いて、涙とともに全てを流してしまえばいい。僕はマイラを一人にはしない。あなたのそばにいる。僕は全てをかけて、あなたを守るから」


 フレーデリックのささやきに、マイラの目頭が熱くなって、我慢しようとしても、涙があふれてこぼれ落ちた。


(違うの。悲しい、じゃない。この胸にじんわりと広がるものは……嬉しい……だ。私は嬉しいの。私を見つめてくれる人がいることに。なのに涙がとまらない)


 マイラはフレーデリックの胸に身体を預け、初めて知った感情があふれて泣きじゃくる。


 そばにいる、全てをかけて守ると言われた。一人で生きて、寂しささえ感じずに生を終えるだろうと思い込んでいた。


 フレーデリックの言葉で孤独な思いがサラサラと崩れて消えていく。


 フレーデリックの大きな身体がマイラの華奢きゃしゃな身体を包み込むようにゆっくりと抱きしめる。


 ふわりとグリーンシトラスの香りがマイラの鼻先をかすめた。

 フレーデリックから聞こえる早鐘を打つ音とマイラの鼓動の早さが重なる。


 恥ずかしくて、嬉しくて。一度とまった涙がまた、あふれそうで。押し寄せる感情が何なのか、呑み込めなくて、心がざわつく。


(フレーデリック様がそばにいると言ってくれた。信じてもいい、のかな? ううん、信じたいの!)


 フレーデリックに包み込まれた身体をよじると、フレーデリックの身体はマイラから離れた。眼差しは心配そうなままで。


「あのね、私に会いたいって言ってくれて、嬉しかった? の」


 フレーデリックを直視できないのか、目を伏せているマイラの頬が赤く染まっていた。

 

 ことの成り行きを見守っていたニーナはなぜ疑問形なのかと首を傾げている。


 マイラの前世を知るフレーデリックはマイラの口から嬉しいという言葉が出てきて、驚きとともに感情が育っていると実感し、嬉しさが込み上げる。


 マイラが愛しくて抱きしめたい衝動に駆られて腕を伸ばしかけたが。


「フレーデリック様もお疲れでしょう? 紅茶を用意しますから、座ってお待ちください」


 今まで気配を感じなかった侍女長の右腕であるフランカがに声をかけてきた。

  

 伸ばしかけた腕を引っ込めて、悲しそうな目で頷く。フランカに行動を読まれ、制止されてしまい、ガクリと肩を落としてフレーデリックはソファーに座った。


 やや間が空き、甘い花の香りがフレーデリックの鼻腔をくすぐる。先程、抱きしめていた愛しい人がまとっている香り。


 視線を向けるとフレーデリックの隣にマイラが間をあけずに座っている。


 伏目がちのマイラはフレーデリックの袖口をそっとつまみ、顔を逸らす。耳と首筋がほんのりと赤く色づいている。


 フレーデリックは驚いたのか、何度か瞬いた。マイラが受け入れてくれたように感じ、頬がほんのりと染まり、口元が緩む。


(フレーデリック様と離れ難くてつい袖口をつまんでしまったけれど、どうしよう……フレーデリック様に、変に思われていないかしら?)


 今のマイラにはフレーデリックの様子が気になるが、確かめる勇気がない。紅茶が置かれるまで袖口を離せなかった。


 マイラの中で新たな感情が芽吹いたようだ。





 フレーデリックがソファーに座り、マイラは対面で座るべきか、フレーデリックの隣に並んで座るべきかと悩んでいた。


 向かい合うと恥ずかしくて顔が上げられないような気がして。だからといって横に座るのも躊躇ためらわれて。


(どうしたらいいのかな? 何でこんなことを思うんだろう?)


 突然湧き上がった感情の名を知らぬまま、フレーデリックのそばにいたいと強く思う。 

 無意識に歩き出し、気づけばフレーデリックの隣に座り、何故か袖口をつまんでいた。




 初々しい二人の姿に熱い視線を送っているのはニーナだ。愛読書の恋愛小説より胸がキュンキュンとして仕事が手につかない。


 フランカも注意したいが、想いが通じ合えたらしい二人の雰囲気を壊してしまうのも忍びないと、見て見ぬふりを決める。


 紅茶が置かれ、フレーデリックがお土産にくれた花を模したアイシングが乗った砂糖をそっと紅茶に入れた。


「その砂糖、まだあったんだ」

「可愛らしくて、普段使いがためらわれて。カルラやニーナとのお茶会で使っています」


(お土産だとしても、前世でも貰ったことがないプレゼントを、初めてくれた人がフレーデリック様だったもの。使わずにずっと手元に置いておきたいくらいだわ)


 一度沈んだ花が浮かび上がる。ライラックだ。ライラックの花びらは四枚だが、ときに一枚多い五枚の花びらを持つ花がある。


 五枚の花びらを持つ花をラッキーライラックと呼び、五枚花のライラックを見つけたら、誰にも知られずに飲み込むと、幸せが訪れると言われている。


 マイラのティーカップに浮かび上がったライラックの花びらは五枚だ。本物の花ではないが、マイラは願いを込めてライラックのアイシングを飲み込んだ。

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