第23話 乳兄弟

 今日からカルラは三日間休日なので朝は遅めに起きた。マイラにはニーナと臨時の侍女がついている。


 朝食を作り、ゆっくりと食べる。

 いつもは宮殿にある部屋で過ごしているが、三日も休みをもらえたので、侍女になってから初めて離宮に帰ってきた。


 カルラは離宮でフレーデリックとともに育った。カルラの母がフレーデリックの乳母で、フレーデリックとは乳兄弟の間柄だ。


 フレーデリックがケッセルリングに留学するまでカルラの母と弟の四人で暮らしていた。

 父は伯爵家の当主で近衛騎士団の団長でもある。

 休日になると離宮を訪れ、フレーデリックに剣術を教えたりしていた。





 今ではカルラはマイラの侍女になり、弟は騎士見習いとして騎士団で鍛錬たんれんを重ねている。


 母は宮殿の侍女長になり、皆をまとめている。離宮に住んでいるのは母のみで、フレーデリックの成人の儀が済んだら乳母の務めは終了となり、父の暮らす屋敷に戻ることになっている。


 遅めの朝食を食べ終えたカルラは紅茶を淹れてテラスで空を見上げた。


 ニーナの問いかけにマイラが戸惑う仕草が気になり、マイラの前世である茉依に思いを馳せる。

 






 



 茉依は別の世界で生まれ、幼少の頃から一人で過ごしてきたと聞いている。

 両親から愛情を受けることなく育ち、人との関わり方が分からずに生きてきた。


 感情が乏しいのは、自分を守るために防衛本能が働いた結果かもしれない。


 空っぽの心を埋めてくれたのは愛犬の福だと話していたが、福の生まれ変わりであるフレーデリックに対しても無表情で。


 毎日顔を合わせ、言葉を交わして数ヶ月になる。近頃、表情を緩めるときもあるが、硬い表情は変わらぬまま――


 温かな家族と過ごしてきた者に、孤独に生きてきた人の心の傷がどれだけ深いのか、推察はできない。

 



 フレーデリックも幼少の頃に、もの寂しげにぬいぐるみを抱きしめて部屋の隅に座りこむことが度々あって。


 その姿を目にすると、なぜか胸が締めつけられて鼻の奥が痛くなった。


 まるで誰かを待ち侘びているように感じて……


 いつもマイペースでヤンチャなフレーデリックが垣間みせる寂しげな様子に疑問を抱き、問いかけたことがある。


 フレーデリックの前世は犬で、向かってくる何かから茉依の盾になり守ろうとしたが、小さな身体では無理だったと悔しそうに呟く。


 茉依に会いたい、頭を撫でて抱きしめてほしいと、声を殺して涙をこぼす。

 慕う人を求めているフレーデリックに、かける言葉がみつからなくて。


 ただ、そばにいても慰めにもならないことが歯がゆくて、フレーデリックが慕う人はどんな人なのか気になっていた。





 膨大な魔力を持つフレーデリックは魔法を学ぶために一人でケッセルリング王国へ旅立ち、魔法学園を首席で卒業し、帰国した日に運命の出会いを果たした。


 卒業パーティー当日にマイラ・カレンベルクとして目覚めた茉依は元婚約者であり、元王太子の策略に巻き込まれ、ずいぶんひどい扱いを受けたらしい。


 だが、フレーデリックにとっては僥倖ぎょうこうだった。


 婚約破棄を告げたフォルクハルトに、反論していた言葉遣いに聞き覚えがあったフレーデリックは、人々が割れた空間にぽつんと佇む小柄な令嬢を見つけた。


 兄の婚約者だったマイラ・カレンベルクだ。


 彼女こそが、幼い頃からそばにいたいと願い続けた茉依の生まれ変わりだと、気づけたのだから。




 フレーデリックがマイラに想いを寄せているが、肝心のマイラは気づいていない。


 いつか、フレーデリックの想いに気づく日が来ると信じている。


 青空の下でカルラは二人の幸せを願う。





「カルラ」


 名前を呼ばれ、現実に引き戻されたカルラは声の主に驚く。数日後に戻ってくるはずのフレーデリックがテラスに立っていたのだ。


「フレーデリック様、お戻りになるのは数日後でしたよね?」

「視察が予定より早く終わってね。先に帰ると告げて転移魔法で帰ってきた」


 フレーデリックは自慢げに胸を張る。


 カルラはフレーデリックがケッセルリング王国の魔導庁に名を連ねている魔導師であることを思い出した。普段は魔法を使わないから忘れてしまうが。


「視察で供をしてくれた皆は?」

「予定日には帰ってくるよ。僕は先にお暇するって、ちゃんと伝えたから大丈夫だよ」


 色変わりする瞳を細めて無邪気に答える。


 自分本位に行動するクセを直せたら、王子として申し分のない人物になると思うと、残念でならない。

 後で国王からカミナリを落とされるだろうと、カルラはため息をついた。


「マーゴットは仕事?」

「そうよ」

「お土産を渡しに来たんだ。カルラの分とマーゴットにも渡してくれる?」


 フレーデリックはバッグから箱を取り出し、テーブルの上に二つ置いた。


「まぁ、ありがとうございます。フレーデリック様、飲み物と軽食をご用意しましょうか?」

「ああ、頼むよ。転移魔法を繰り返したからお腹が空いているんだ」


 カルラはポットを持ち、テラスから厨房へ移動する。イスに腰かけたフレーデリックはテーブルに肘をつき、懐かしそうな眼差しを向ける。


(ここは何一つ変わらないな。あの頃のままだ)


 ケッセルリング王国から帰国して初めて離宮を訪れた。

 赤ん坊のときから離宮で暮らしていたが、乳母であるマーゴットはフレーデリックとカルラに惜しみなく愛情を注いでくれた。




 三歳の頃、カルラの弟、オルクスが生まれ、オルクスの世話をするマーゴットに、愛情をひとりじめされたと感じたカルラはオルクスに嫉妬心を抱いていた。


 機嫌が悪く、いつも口をへの字にしていたカルラに、フレーデリックは寄り添いながらオルクスの相手もしていた。


 オルクスがハイハイをしだした頃、カルラに向けて手を伸ばし、カルラが手を取った瞬間に無垢な笑顔で「ねっね」とたどたどしく発したオルクスに、カルラの嫉妬心が消え去り、かわいいという感情が溢れだして。


 その日を境に、カルラはオルクスが可愛くて仕方がなく、世話を焼きすぎた結果、オルクスは立派なシスコンに育ってしまい、今ではカルラの悩みのタネになっている。


「お待たせいたしました」


 コトリと皿が置かれた音でフレーデリックは我に返る。

 皿にはトマトとレタス、ハムとキュウリとチーズの二種類のサンドイッチとオムレツ、粉ふきいも、パセリが添えられている。

 紅茶をフレーデリックの前に置く。


 カルラはポットをテーブルに置いて椅子に座り、紅茶を一口飲む。


「ぼんやりとされていましたが、お疲れですか?」

「いや、何だか懐かしくてね、オルクスが生まれた頃を思い出していたんだ」

「ずいぶんと昔のことを……」


 フレーデリックはサンドイッチを食べ始め、会話が途切れた。

 先程までは鮮やかな青に染まっていた空に雲が流れてきて日差しをさえぎる。


 心地よい風がフレーデリックの前髪を揺らす。真ん中で分けられた前髪は黒髪に狐色がメッシュのように入っている。


 クセのない髪はサラサラとしていて、風が通るたびに少しずつ色変わりする瞳を隠していく。


「ごちそうさま。おいしかった」


 軽食を完食して紅茶を飲むフレーデリックにはケッセルリング王国へ旅立った頃の面影はない。


 騎士のようなたくましい体格に高身長、蠱惑的な顔立ちは、男の色気を感じさせて。


 今はまだ人前に立つことはないが、いずれは舞踏会などに姿をみせる日が来るだろう。


 眉目秀麗びもくしゅうれいなフレーデリックの姿を目にすれば、国中の令嬢たちは色めき立って大騒ぎになるのが目に見えている。


「早くマイラ様とくっついてしまえばいいのに」


 グフッとむせる音が聞こえた。


 カルラの思っていたことが無意識に言葉として紡がれていたらしい。


 顔を真っ赤にしたフレーデリックは吹き出した紅茶をハンカチで拭きながら狼狽うろたえる。


「いっ、いきなり何を……」

「……しまった。思わず口をついて出てしまったわ」


 愛想笑いを浮かべて手で口を隠したカルラに気まずさを感じ、視線を逸らしたが、顔は赤いままだ。

 マイラと心を通わせたいフレーデリックだが、空気が読めないマイラには想いは伝わらない。


 前世の黒柴犬のときより距離が遠くなった気がして寂しさが募るが、考えないようにしている。

 

「さて、オルクスのところへ行こうかな。オルクスにも土産があるんだ。じゃあね」


 フッとフレーデリックの姿が消えた。カルラは転移魔法を初めて目にしてあっけにとられる。


「今までいた人が消えるって、心臓に悪いわね」


 そうつぶやいて苦笑いを浮かべた。

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