第22話 クッキーを作ろう

「マイラ様、こちらへ」

「はい」


 料理長にクッキーを作る場所に案内された。台の上には小麦粉や砂糖、バターに卵とクッキーの材料が用意されている。


 マイラは材料を計り、ボウルにバターを入れて泡立て器で混ぜる。バターがなめらかになったら三等分にした砂糖を入れてバターになじませるように混ぜる。


 混ぜる動作は力がいる。腕が痛くなってきたが、顔には出さずに黙々と混ぜている。最後の砂糖を入れて混ぜる。


 やがてバターが白っぽくもったりとしてきたら卵黄を入れて混ぜる。とにかく混ぜる。


 小麦粉を入れて木ベラで切るように混ぜて、ボウルの面にあるバターをすくい取り小麦粉に寄せて切るように混ぜていく。


 バターと小麦粉が馴染んだら一塊にして生地を休ませる。一口大の大きさになるまで転がしながら生地を伸ばした。


「この先の作業はお任せください。刃物でケガをしたら大変です」

「そうですね。マルク料理長、お願いします」


 マルクは慣れた手つきで生地を切り分け、天板に並べていく。石窯に天板を入れて焼き上がるのを待つ。


 甘い匂いが厨房内に漂い始めた。マルクは石窯の中にあるクッキーの焼け具合を確認し、取り出す。


 焼きあがったクッキーの縁はきつね色に染まり、高熱とともに甘く香ばしい匂いを放つ。


 匂いにつられて料理人たちは、気づかれないようにクッキーに視線を送っている。


「手慣れた感じでしたが、クッキーを作ったことがあるのですか?」


 マイラの手つきに感心していたカルラはそっと耳打ちする。


「うん。前世ではクッキーをよく作ったわ。ある程度の料理も作れるよ」


 マイラもカルラに耳打ちした。カルラは意外そうな表情を浮かべたが、日本の料理とはどんな物なのか、興味が湧く。


 どうやらクッキーが冷めたらしい。


「マルク料理長、クッキーの味見をしてもらえませんか?」

「おぉ? よろしいのですか? では、お言葉に甘えて一枚いただきます」


 マルクは天板からクッキーを一枚取り、口にした。サクッとした歯ごたえに口の中でホロホロと崩れてバターと卵の甘く香ばしさが鼻を通り抜ける。


「これは……大変おいしいです! 我々が作るクッキーと同じ材料なのに、口あたりが全く違う」


 マイラはバターに空気を含ませるために混ぜ続け、空気を含んだバターに小麦粉を入れ、切るように混ぜたことで空気を潰さずに生地が作れた。ホロホロと崩れるのは空気のおかげだ。


 マルクの発言を聞いた料理人たちは居ても立ってもいられなくなり、マルクのもとに集まってきた。


「私たちも食べてみよう」


 マイラとカルラはクッキーをつまみ、口にする。


「うん。おいしくできたわ」

「……とてもおいしいです!」


 カルラの目が輝いている。マイラはカルラが嬉しそうに食べてくれたので、胸がくすぐったくなる。


「もう一枚いいですか?」

「ふふっ、気に入ってくれたのね。どうぞ」


 カルラが手を伸ばしたとき、天板を置いた台の周りに料理人たちが集まって来ているのにカルラは気づく。


「ひっ!?」


 驚いて小さな悲鳴とともに伸びかけた手が止まったが、スッとクッキーを一枚手に取るとマイラをちらっと見る。


 カルラの眼差しに気づいたマイラは料理人たちが台を取り囲んでいることに息を呑み、瞬きをくり返す。


 クッキーを前にして、ソワソワしている料理人たちの熱烈な視線を感じ、空気が読めないマイラが場の雰囲気を察したようだ。


「皆さんも食べてみて、感想を聞かせてください」

「「「はい!!」」」


 待ってましたとばかりに、一斉に手が伸びる。クッキーを口にした料理人たちからはうまい! と声が上がり、たくさん作ったクッキーはあっという間に完食された。


 料理人は目を閉じて余韻に浸る者や何度も頷く者と、反応は十人十色だ。


 肝心の感想はマルク料理長とほぼ同じだった。満場一致の感想をもらい、マイラはハンカチにクッキーを添えても大丈夫だと自信が持てた。


(この生地の砂糖を控えめにしてイチゴジャムを乗せて焼いてもおいしいかも)


 自信がついたからか、クッキーの種類を考える余裕ができた。フレーデリックが視察を終えて戻る前日にクッキーを作ろう。


「マルク料理長、皆さん、今日はありがとうございました。また厨房をお借りすると思いますが、よろしくお願いします」

「マイラ様ならいつでも大歓迎です! また味見をさせてください!」


 料理人の一人が言うと、厚かましいぞと肘で肩を突かれ、どっと笑いが起こる。


 料理長を始め、料理人たちは仲がよさそうだ。王族の食事はこの厨房で作られている。マイラも毎日食べている。


 作ってくれる料理人の人となりを知ると、伝えたかった言葉が自然と口をついて出る。


「毎日、おいしい食事をありがとうございます」

「そう仰っていただけると、励みになります」


 マルクはコック帽を取り、胸に手を当て一礼すると、料理人たちも一斉に帽子を取って揃って一礼した。






「マイラ様のクッキーはとてもおいしかったです。陛下もフレーデリック様も喜ばれると思いますよ」


 厨房から部屋に 向かって歩いているとカルラが笑顔で言う。厨房で料理人たちのクッキー争奪戦を目の当たりにしてマイラは目を丸くして固まっていたが、作ったクッキーで食べた人が笑顔になるのを初めて目にし、嬉しさと気恥ずかしさが込み上げる。


(あんなに喜ばれるなんて、思いもしなかった)


 表情が乏しいマイラだが、嬉しそうな気配がカルラに伝わり、カルラも嬉しく思う。


「お帰りなさいませ」


 部屋に戻るとニーナが紅茶を用意してくれた。


「クッキー作りはいかがでしたか?」

「上手くできたわ」

「マイラ様のクッキーはとてもおいしかったの。料理人たちが食べてしまって、二枚しか味わえなかったわ」


 カルラの言葉でニーナの眉は下がり、ぽつりとつぶやく。


「……え、私もクッキー食べたかった」


しょんぼりと肩を落としたニーナの姿にマイラとカルラは顔を見合わせ、しまったと顔を歪めた。


「ニーナ、ごめんね。今日は練習だったし本番はたくさん作るから、ニーナにプレゼントするわね」

「本当ですかぁ? わぁー、楽しみです!」


 プレゼントしてくれると知ったニーナは満面の笑みを浮かべた。

 お茶の時間が終わり、カルラが片付けようと腰を上げかけたのを制し、座らせる。


「あのね、カルラとニーナは好きな花とかモチーフとかあるかな?」


 いきなり質問された二人はきょとんとしている。

 突然すぎたかなとマイラも戸惑う。二人にもハンカチを贈りたいので好きなものを知りたくて質問したが、言葉が足らず、意図が伝わらなかったらしい。


 マイラは焦りで頭が真っ白になり、続ける言葉が浮かばない。気持ちと言葉が空回りするようで。


「あの、バラだったりユリとか、動物なんか……」


 しどろもどろで話すマイラの意図を汲んだカルラが少し考えるそぶりを見せる。


「胡蝶蘭が好きです。香りが好きなので」

「胡蝶蘭って、香りがあるの?」


 マイラが思い浮かべた胡蝶蘭は白くて立派な贈答用の胡蝶蘭だ。


「香りがある胡蝶蘭の花は小さいですが、甘い香りや柑橘系の香りがあり、花色もブルーやピンク、黄色や赤とありまして。私は淡いピンク色の胡蝶蘭が好きです」

「宮殿の敷地にある温室で胡蝶蘭が見られますよ。今度行ってみましょうか? ラン科の植物が多く植えられているのできれいですよ」

「胡蝶蘭は白い花だけじゃないのね。小さくて香りがある胡蝶蘭かぁ……」


 見たことがないので不思議そうにつぶやく。


「私はユリが好きです。花姿も美しいですし、香りも良いので。マイラ様のお好きな花はなんですか?」


(え? 質問返しされてしまった。好きな花かぁ……思いつかないや。花に興味がなかったし……)


 表情を固くしたマイラに、カルラはマイラの心中を察した。生い立ちを聞く限り、花にも興味がなかったのだろうと。


「さて、そろそろ仕事をしなければ。マイラ様は刺繍の続きをされますか?」

「うん」


 カルラは片付けを始めた。ニーナとともに食器を下げに部屋を出た。



 ワゴンを押して歩くカルラの表情が曇る。


「マイラ様、いえ、茉依様はどれだけの孤独を抱えて過ごしてきたのでしょうね」


 カルラはぽつりとつぶやいた。

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