第20話 それぞれの思い
フレーデリックは悩んだ末、クルトの思いを優先することに決めた。
クルトにはダンスの練習を一日おきにすると告げた。
クルトとしては二日おきが身体に負担がかからないのではと考えていたが、頑固な面もある主が、自分の思いを汲み取ってくれたので、一日おきの練習でもいいかと納得した。
今まで不満が募っていて注意して見ていなかったが、フレーデリックを観察してみると、ダンスを踊るフレーデリックは
見守っている先生も頬を染めてうっとりとしている。クルトも自然と目が離せなくなった。
マイラと踊るフレーデリックは甘い雰囲気を醸し出していて、ガラス細工を扱うようにマイラをリードしている。
マイラに向ける眼差しが優しく、表情も柔らかい。はにかんだり、頬を染める姿に、クルトは主の見たこともない表情に驚いたが、フレーデリックはマイラに想いを寄せているのだと、ようやく察知した。
ぎっちりと詰まったスケジュールをこなし、休憩時間を削ってまでダンスに時間を割いたのは、ひとえにマイラと一緒にいたいという、フレーデリックの一途な想いがそうさせていたのかと思い至る。
好きな人ができると、人はこんなにも変わるものなのかと胸が熱くなった。
以前は一時間経つと、すぐに執務室に追い立てていたクルトも、今では少々時間が過ぎても何も言わなくなった。
周りはフレーデリックのアピールに気づいているのに、肝心の
エルネスティーネが現れる前のマイラは令嬢の
「そういえば、以前のマイラ様は乗馬が得意だったと、聞いたことがあります」
ニーナの何気ない発言に、マイラは刺繍の針をとめる。
(マイラちゃんって、身体を動かすのが好きだったのかしら?)
「乗馬って、馬に乗るのよね? あんな大きい馬に乗るの?」
マイラは馬車を引く馬に乗っている姿を頭の中で浮かべ、恐ろしさに身震いする。
「違いますよ。乗馬には乗馬用の馬がいます。馬車を引く馬とは違い、もう少し小さい馬がいるんですよ」
日本が存在する世界には、茉依が知らないだけでたくさんの品種の馬がいる。茉依が知る馬はレースで走るサラブレッドと動物園にいるシマウマくらいだろう。
福を飼う前だった。
休憩しようとお菓子と飲み物を用意して何気なくテレビをつけた。
ニュースを見ていたとき、由緒あるレースを制したと、金色のたてがみをなびかせ、人馬一体となって先頭を走る栗毛馬を映し出していた。
生物に興味がなかった茉依がきれいな馬だと釘付けになった、たった一頭の馬を思い出した。
「マイラちゃんが馬に乗れるなら、私も乗れないといけないかな?」
カルラとニーナは顔を見合せ、困惑の色を浮かべた。
「よかったら、馬を見に行きますか?」
「そうね。見てみたいかも」
乗馬用の馬がいる厩舎へと足を運び、カルラが馬丁に話を通し、おとなしい馬で
「マイラ様、乗ってみますか?」
馬丁は気軽に声をかけてきた。マイラより体高が高い馬に乗るのは腰が引けたが、大丈夫ですよと笑いながら言われ、何事も経験してみなければと頷いた。馬の左横に台が置かれ、マイラは台の上に立つ。
「左手で手綱と馬のたてがみをつかんでください」
「たてがみをつかんだら、馬が痛いんじゃない?」
「大丈夫ですよ。左足を
(ええぇ、そんな一気に言われても……)
マイラの思惑と違い、すっと身体が動き、気づいたら馬に乗っていた。
(あれっ? すんなり乗れたわ)
「ほぉ、上手く乗れましたね。右足を鐙にかけてください。できたら馬を動かしますので」
マイラは右足を鐙にかける。
「できたわ」
「じゃあ行きますか」
馬丁が手綱を引っ張ると、ポクリポクリと馬が歩きだした。馬の脚運びでマイラは揺れを感じたが、
「マイラ様、うつ向いていないで前を向いてください」
マイラは視線を向けると馬丁は振り向いてニッと笑う。思い切って顔を上げると、いつもの景色と違う。
馬上で見る景色は高く遠くまで見渡せ、視野が広がった感覚に、マイラは自然と目を見開き、見慣れない情景を焼きつけるように眺め続けた。
いつも穴が空いているように感じていた胸が、なにかでいっぱいになっている。
銀色の瞳からひと粒の涙がこぼれ落ちた。
(胸がいっぱいなのはなぜ? どうして涙が?)
ゆっくり馬場を一周し、台の前に戻ってきた。降り方を教えられ、馬から降りると、馬の首筋をポンポンと叩く。
「乗せてくれて、ありがとう」
話しかけると、馬は優しい目をマイラに向け、ブルルと鼻を鳴らした。
「馬に乗ってみてどうでしたか?」
ニーナに尋ねられ、マイラの表情が和らぐ。カルラはマイラに少しずつ感情が育ってきていると感じ、いつか弾ける笑顔を見せてほしいと思う。
「なんでかな? 胸がいっぱいになったの。またあの子に乗ってみたいわ」
「陛下に乗馬の許可をもらっては?」
「そうね。お願いしてみるわ」
乗馬体験をした日の夕食を食べ終え、食後の紅茶が出された。紅茶に手をつける前に姿勢を正し、国王に向き合う。
「あの、陛下にお願いがあります」
緊張気味に切り出したマイラを国王は飲んでいた紅茶を置いた。
「うむ? 願いとは何だ?」
「あの、私、乗馬を習いたいです」
国王もフレーデリックもマイラの発言に目を丸くした。
身体を動かすことが不得手で、体幹を鍛えるための運動を懸命にこなし、ようやくダンスが踊れるようになってきたマイラが、乗馬を習いたいと言ってきた。
「えー、マイラ? 今、乗馬を習いたいと聞こえたんじゃが……」
「はい。乗馬を習いたいです」
「……マイラ、どうした? 熱でもあるのか?」
心配そうに身を乗り出し、マイラのおでこに手を当てる。
(ええぇ、なぜそんな反応されるの?)
「えっと、あのね、マイラちゃんは乗馬が得意だったと聞きまして……マイラちゃんみたいには出来なくても、馬には乗れるようになりたくて」
確かに以前のマイラは乗馬が好きだった。妃教育の合間に気分転換だと馬に乗り、おやつのニンジンを与えに行ったり、宮殿にある厩舎によく顔を出していた。
今のマイラに乗馬を許可してもいいのだろうか。万が一怪我でもしたらカレンベルク侯爵に申し訳がたたない。
国王は悩んだが、マイラの意志を尊重すると決めた。
「馬は頭がよく、気配に敏感で感情も豊かだ。馬と心を通わせ、乗馬を楽しみなさい」
「はい、ありがとうございます」
数日後、マイラのもとに乗馬服が届けられた。乗馬服に着替えたマイラは厩舎へと急ぐ。
マイラに乗馬を教えるのは引き馬をしてくれた馬丁だった。
「マイラ様の乗馬を指導します、ガラント・シュヴァルツと申します」
「マイラ・カレンベルクです。よろしくお願いします。シュヴァルツ先生」
「マイラ様の相棒は引き馬で乗ったオーフェルヴェックです」
ガラントはオーフェルヴェックの顔を撫でていると、気持ちよさそうに目を閉じている。
プラチナブロンドのたてがみが美しい栗毛馬の顔には
ガラントとオーフェルヴェックには絆がある。マイラもオーフェルヴェックに信頼してもらえるようになりたくて、馬と信頼関係を築くにはどうしたらいいのかガラントに質問し、答えるをくり返していたら乗馬の時間が終わってしまった。
結局オーフェルヴェックには乗れなかったが、馬を知る機会に恵まれ、有意義な時間を過ごした。
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