第19話 ダンスはゆっくりと

 フレーデリックの提案で、新たにダンスの先生を迎え、レッスンが始まった。


 フレーデリックは騎士のようにたくましい体型で背が高い。マイラは茉依と同じくらいの身長だ。

 生前の茉依の身長は百五十五センチだったので、マイラも同じ位だろう。


 マイラはこの世界の女性としては小柄なほうだ。フレーデリックと向き合うと、マイラの目線はフレーデリックの鳩尾辺りになる。


 かなり身長差があるが、はたしてダンスは踊れるのだろうか? 


 マイラとフレーデリックは手を取り合う。大きくて骨ばったフレーデリックの手に、マイラの心臓がドクンと鳴った。


(え? どうして心臓がドクンとなるの?)


 マイラはフレーデリックを見上げた。優しい眼差しを向けられていたことに気付き、戸惑いを感じる。


(前世ではこんな眼差しを向けられることが無かったから、いつまでも慣れなくて、どうしたらいいのかしら?)


 演奏が始まり踊り始めた。

 フレーデリックがさり気なくリードしてくれるが、マイラの足の運びかたがぎこちない。


 焦りからか、何度もフレーデリックの足を踏んでしまったことでマイラはパニックになり、一曲踊っただけで足が笑い、へたり込みそうになる。


(やっぱり私にはダンスは無理だよぅ……)


「フレーデリック様、あの、何度も足を踏んでしまって、ごめんなさい」


 申し訳なくて、フレーデリックの顔が見られない。マイラはうつ向いたまま謝罪をする。フレーデリックはダンスの先生に視線を向けると、先生は首を横に振る。


「マイラ、今からゆっくりと踊ってみよう」

「え?」

「ゆっくりと動いて、足の運びかたを覚えてみよう」


 うつ向いていたマイラは顔を上げ、フレーデリックを見上げる。穏やかな瞳は色を変え、笑みをたたえている。大丈夫だからねと、伝わってくるようで。


「……お願いします」


 フレーデリックの手を取り、一歩一歩、確かめるように足を動かしているマイラは真剣そのものだ。ゆっくりだが、間違えることなく踊り終えた。


「ちゃんと踊れたのかな?」


 自信なさげに呟くと、上目遣いでフレーデリックの様子をうかがう。


「ああ、ちゃんと踊れていたよ。何度かゆっくり踊った後に、徐々にスピードをあげて、踊ってみようか」


 休む間もなくマイラはゆっくり踊る。マイラのダンスに付き合うと言ったが、フレーデリックも多忙だ。色々と調整して一時間だけ、時間が取れた。

 フレーデリックが多忙なのはマイラも理解している。なので一秒も無駄にはできない。踊り終えると、すぐ踊り始めるをくり返す。


 あっという間に時間が過ぎ、フレーデリックは名残惜しそうに執務室に戻っていった。


 マイラは一旦休憩し、カルラを相手にダンスのレッスンを始めた。ゆっくりと踊ったので、足の運びかたなど、コツをつかんだらしい。少しスピードをあげて踊ってみた。


「マイラ様、スピードを上げても踊れていますよ」

「本当?」


 無表情が少し和らいだ。これもフレーデリックが提案してくれたおかげだ。踊り終えると、先生の細かい指導が入り、ダンスの練習が終わった。



「お帰りなさいませ」


 部屋に戻るとニーナが迎えてくれた。練習の後だからと、アイスティーを用意していたようだ。

 オレンジの果汁が入ったアイスティーは、無意識に緊張してしまうマイラの心を癒やしてくれる。オレンジの香りで硬くなっていた身体も力が抜けて心地よい疲れを感じる。


「いい香りね。リラックスできるようで、好きだわ」

「オレンジの香りは緊張を和らげてくれる効果があるんですよ。ダンスの練習で張り詰めた心を癒やしてくださいね」

「ありがとう」


 オレンジティーを飲みながら頭の中でダンスのステップを思い描く。


(フレーデリック様の足を何度も踏んでしまった。痛かっただろうに。おくびにも出さないで、私を気遣ってくれた)


 胸がじんわりと温かくなった気がした。


(ん? どうして胸が温かく感じるの?)


 マイラが傷つきたくないと、作り出した心の殻を、内側から壊して芽吹こうとしている感情に、気づいていない。



 ダンスの練習は順調に進んでいる。毎日フレーデリックと踊り、先生に細かい指導を受けている。

 一時間だけだが、マイラとダンスで触れあえるので、フレーデリックは嬉しくて仕方がない。


 マイラはダンスのことで精一杯で、フレーデリックの様子は目に入っていない。


 カルラも一生懸命頑張っているマイラの様子を温かく見守っている。


 そんな状況で口角は上がっているが目が笑っていないフレーデリックの侍従は、分刻みで執務をしているのに、無理やり時間を作りだしたダンスの練習この時間がもったいないと、黒い思いをそこはかとなく漂わせている。


 踊り終え、フレーデリックが執務室に戻る時間が来た。


「フレーデリック様、練習につきあってくれてありがとうございます」

「お礼なんかいいよ。僕も気分転換ができるし、マイラと一緒に過ごせて、嬉しいんだ」


 ほんのりと頬を染めたフレーデリックを目にした先生は、二人は初々しくて素敵だわと、ほんわかとした思いで見守る。


 早く執務室に戻りたいと苛立つ侍従の視線を二人から隠すように先生はさり気なく移動し、次のレッスン内容を伝えた。

 




 フレーデリックは勤勉だが、何かに気を取られるとフラッと姿を消す。何度も振り回されてきた侍従は人目のあるところでは控えているが、フレーデリックと二人になると強く諌める。


 フレーデリックも自分が悪いと自覚があるので、素直に聞き入れているが、言い過ぎではと思うこともある。


 親子で酒をたしなみつつ、フレーデリックは侍従に諌められたことを愚痴ってしまったことがある。


 国王である父も身に覚えがあるらしく、氷を入れたブランデーグラスをゆっくりと転がし、氷が溶けゆく様を見つめ、口を開いた。


 そなたを思っているからこそ諌めてくれる。家臣が何も言わなくなれば、王として見限られたということだ。悪いところを指摘してくれる家臣は少なく貴重な存在だ。その侍従を大事にしなさい。いずれはそなたの右腕となるかもしれないぞと言われた。


 侍従は毎日ダンスの練習に付き合う時間を不満に思っている。

 執務や帝王学、王族のしきたりなど、学ぶための時間を削れないため、昼食時間と一息つく時間を削ってダンスの練習時間に当てている。


 執務に支障は出ていない。侍従はなぜ不満に思うのか、フレーデリックには理解できなかった。


(一度、侍従クルトと話し合わなければ……)


 ダンスの練習を終え、執務室に戻るとクルトが紅茶を用意してくれた。出された紅茶を一口飲んでカップを置く。


「クルト」

「はい」


 名前を呼ばれたクルトはフレーデリックの前に立つ。


「僕に不満を持っていないか?」

「へ? 何をいきなり……」


 クルトはキョトンとして返したが、フレーデリックは冷静に言葉を紡ぐ。


「毎日、ダンスの練習中にお前の不満がヒシヒシと伝わってくるんだ」


 クルトは驚いて目を見開く。快く思っていないことを顔に出していないはず。なぜ気づかれたのかと、クルトはつばを飲み込んだ。


「顔には出ていないが、気配で分かる。何が気に入らないんだ?」


 気配と言われ、クルトはぐっと口を真一文字に結ぶ。その唇が震えている。不満をすべて吐き出してほしいと思う。


「私は、フレーデリック様に、きちんと休憩をとって欲しいのです」


 くしゃりと顔を歪めたクルトは思いを打ち明ける。


「フレーデリック様は執務に帝王学、しきたりなど、長い年月をかけて覚えていくことを、途方もない速さで習得しようとされています」


 フレーデリックはクルトの言葉を聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けている。


「次から次へと覚えていかなければならない状況では休憩が必要です。休んで気持ちを切り替え、新たに学ぶことが大切です。昼食も流し込むように食べ、すぐ執務に取りかかるのでは、身体に負担がかかります。私はフレーデリック様のお身体が心配です。たかが一時間と思うでしょうが、積み重なれば膨大な時間になり、疲労も蓄積します」


 クルトは話し終え、じっとフレーデリックを見つめる。主の身を案じていると分かる澄んだ瞳をしている。


 クルトの思いが痛いほど伝わってきた。この思いを無下にすることはできない。


(ダンスの練習を減らすか? だが、マイラと一緒にいられる時間が減るのはつらい)


 クルトの思いか、自分のわがままを優先するか、フレーデリックの中で天秤がゆらゆらと揺れ続けた。

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