第18話 七色の瞳

 フレーデリックがマイラの部屋にいると知られ、国王から王宮にある執務室に至急来るようにと連絡を受け、フレーデリックは名残惜しそうにマイラの部屋を後にする。


 執務室に入った途端、陛下から雷を落とされた。

 王族としての自覚を持てと、延々と説教をされ、フレーデリックの行動次第で国が繁栄するか、最悪な場合、滅亡への道をたどるかもしれない。しっかり頭に叩き込んでおけと強く言われた。


 フレーデリックが留守にしていた間に滞っていた仕事の遅れを取り戻すまで、執務室から寝るとき以外は出てはならぬと、厳しい沙汰を言い渡される。


 王族として生まれた今世は、生きていくために重んじる事柄がいくつもある。


 国の頂点に立つということは、ファーレンホルスト王国の人々の命を預かることだ。

 他国と友好な関係を築き、皆が安心して暮らしていける国にしなければならない。


 フレーデリックは王子であり、類稀たぐいまれなる魔導師だ。フレーデリックの行動と発言は、この国のみならず、他国へも少なからず影響が出る可能性がある。慎重に行動しなさいと、宰相からも釘をさされた。


 膨大な魔力を持ち、高度な魔法を駆使するフレーデリックは、他国には脅威を感じる存在なのだと、ようやく理解し、衝撃を受ける。


 ケッセルリング王国に向かった直後は、何も考えずに、ただ、胸の中にあるの正体を知りたくて、友人に相談に乗ってもらおうと軽い気持ちで国を出た。こんなに大事になっているなんて、思いもしなかった。


 フレーデリックは己の行動を猛省し、執務室にこもり、遅れている仕事を通常に戻すために、寝食を忘れ、仕事に没頭していた。


 二日ほど徹夜して仕事をした成果が実を結び、滞っていた仕事は解消された。フレーデリックは部屋に戻り、着の身着のままベッドへ倒れ込み、泥のように眠る。


 夜明け前に目が覚めたフレーデリックはシャワーを浴び、バスローブ姿で紅茶を淹れた。

 部屋にはフレーデリックだけだ。バスローブ姿でくつろいでも誰にも文句は言われまい。


 堅苦しい服装のまま眠ってしまったので、身体中が固まってしまったような感覚に、身体を動かしてほぐす。


(魔導師の肩書をもつ者が玉座についたら、周辺の国は警戒するだろうか? 僕は争いたくないし、友好的につきあえるといいのだが。宰相とよく話し合わなければ)


 フレーデリックには考えなければならないことがたくさんある。国王の後継としてファーレンホルスト王国の内情と周辺国の情勢を意識しなければならない。


 フォルクハルトの後遺症や王女の婿にと望まれたこと。

 王女を溺愛しているケッセルリング王はきっと諦めないだろう。何かしら言いがかりをつけ、王女と結婚に持ち込もうとはかりごとを巡らす可能性もある。


 そしてマイラのこと。


 マイラを想うだけで、胸の中から温かいものが湧き上がる。前世では守れなかった。今度こそ、守りぬくと誓う。

 

 マイラから麻の葉柄に込められた想いを聞き、フレーデリックはランプに惹かれた理由がようやく理解できた。


 福だった頃、茉依がバンダナを巻いた後に、かっこいいとか似合っていると言ってくれて、笑顔で頭をなでてくれた。

 それが嬉しくて、尻尾が忙しく動いて仕方がなくて。


 茉依が大好きだった。


 一緒にいて、嬉しくて、楽しくて、茉依の気配を感じられたら、それだけで満足だったし、ケージの中で大人しくしていた。


 ふと寂しくなりキューンと鼻を鳴らすと、茉依は仕事の手を止めて来てくれた。

 寂しくなっちゃったのと、話しかけてくれて頭を撫でて甘やかしてくれた。


(今の想いは前世のときとは違うんだな。マイラは僕のことを、どう思っているんだろう? 福の延長としてか? 人として見てくれているのか?)


 感情が乏しいマイラに、思いの丈を伝えても、曖昧あいまいになるだけだと、フレーデリックは思う。


(まずは僕を一人の男として、認識してもらわないとね)


 またたくと色が変わって見える瞳はマイラだけをとらえる。





 数日ぶりに食堂に姿を現したフレーデリックは、先に来ていたマイラの正面に座った。


「おはよう、マイラ」


 朝の挨拶を交わすフレーデリックはとろけるような笑顔を浮べた。


「!? おっ、おはようございます」


 マイラは背筋をしゃんとして、少し驚いた様子で瞬く。


(気のせいかな? フレーデリック様の背後にキラキラした花が咲きほこって見えたような……)


 フレーデリックはテーブルに肘をつき、両手にあごを乗せて、無言のまま、マイラを見つめ続けた。

 フレーデリックの瞳は光を反射し、虹彩の色が変わる、七色の瞳の持ち主だ。まばたいたり、光の加減でコロコロと色が変わる神秘的な瞳。


 整った顔立ちで、長いまつげに縁どられた神秘的な瞳は人を惹きつけ、惑わす。

 フレーデリックに見つめ続けられ、マイラは目が離せないでいる。


(きれいな瞳ね。表情は変わらないのに、瞳の色が変わるとフレーデリック様の雰囲気が変わるようで……って、どうして凝視ぎょうしされているの? 私、どこか変なのかしら?)


 マイラは髪の毛を整えたりドレスもおかしくないかと、確認している。


 見つめられて髪型やドレスを気にする素朴なマイラが愛おしくて、フレーデリックは穏やかに目を細める。


 髪もドレスも、別におかしいところはないようだ。部屋を出る前に姿見で確認もした。

 フレーデリックに凝視されている理由が思いあたらない。

 

(理由もわからずに見つめられると、何となく、気まずいわ)


 常に一人だったので、他人の視線すら気づかなかった前世の記憶を持つマイラには、フレーデリックの熱を帯びた視線すら伝わらない。



 国王が食堂に入ってきた。


「陛下、おはようございます」

「父上、おはようございます」

「おはよう。マイラ、フレーデリック」


 三人で朝食をいただく。


「マイラ、体幹をきたえているそうだが、順調か?」


 壊滅的なダンスを披露し、ダンスの先生から匙を投げられたマイラは、体幹を鍛える先生から指導を受け、筋肉のバランスを整え、安定感が身についてきた。


 ヒールの高い靴にも慣れてきた。体幹を鍛えつつ、ダンスの練習を再開しても大丈夫だろうと先生から提案されたが、当分は体幹を鍛えるほうに集中したいと、ダンスを避ける口実を作る。


「はい。先生は体幹を鍛えながらダンスの練習を再開したらどうかと、言われましたが、もっと鍛えてからダンスの練習をしようかと……」

「なら、僕がダンスの練習につきあうよ! リードは任せて。一緒に練習すれば、お互いの癖もわかるし、息がピッタリ合うようになるよ!」


 マイラが言い終わらないうちに、フレーデリックは身を乗り出してダンスの話に食いついた。

 マイラとダンスの練習なんて、距離を縮めるまたとないチャンスを逃したくない。


 異様に乗り気なフレーデリックに、国王は思うところがあるようだが、フレーデリックの意見に賛成する。

 押し切られる形で、ダンスの練習が決まってしまったマイラは口を引きつらせていた。


(ダンスの練習を先延ばしにするはずだったのに、どうしてこうなった?)


 無言で口角を引きつらせているマイラをよそに、二人の間で話はどんどん進んでいく。


「フレーデリックは運動神経がいいからな。フレーデリックに合わせていたら、ダンスのコツもつかんで上達するじゃろう」

「父上、任せてください! マイラがうまく踊れるようになるまで、つきあいますから」

「うむ。ダンスが踊れないのは、貴族として致命的だからな。皆を惹きつけるようなダンスを教えてやりなさい」

「はい!」


(皆を惹きつけるダンスって、どんなんなんだ? この世界はダンスが重要視されているのかなぁ?)


 ダンスとは縁のない異世界で生きていたマイラには到底理解できるものではなかった。


 朝食を終え、部屋に戻ったマイラは刺しかけの刺繍を取り出し、ふと思い出す。


 日本人の茉依のとき、本屋で見つけた刺繍の本をめくると美しい世界が広がっていた。

 刺繍に魅了された茉依は刺繍を始める。夢中で刺していると、あっという間に時間が過ぎていく。

 初めて完成させた刺繍は、つたないものだったが、刺していけばいくほど上達していった。


 ある日、茉依の唯一の楽しみだった刺繍が両親に知られてしまった。


 こんなもの、金の無駄遣いだと、刺繍道具を取り上げられ捨てられてしまった。


 絶望感が漂う茉依に、両親は満足そうに笑い、茉依の部屋を出ていった。


 以来、茉依は趣味もなく生きてきた。楽しいことも嬉しいことも感じないまま。


両親あの人たちに道具を捨てられて以来、刺繍をしなかったけど、刺繍が刺せるって、とても楽しいわ。陛下も、やりたいことがあれば、何でも取り組んでみなさいと言ってくださったし。今はまだ刺繍しか思いつかないけれど)


 次は何をしようかと、考えるだけで楽しくなる。


 もう、やりたいことを諦めなくていい。マイラはようやく地に足がついたように感じた。

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