第15話 婿に来ないか?

 国王の部屋に訪ねるまで時間がある。フレーデリックは第三王子と第四王子を連れ、大浴場へ入る。


 壁や天井は白い大理石で、壁に取り付けられている照明の色は柔らかい昼光色だ。

 大浴場には大理石で作られたドラゴンの口から湯が注がれている。三人で背中を洗い、ゆっくりと湯に浸かる。


 第四王子は八歳だ。ヤンチャで兄である第三王子も手を焼いている。


 大浴場からあがり、王子たちを部屋に送りとどけ、かつて使用していた部屋に入る。


 部屋の中は十二年過ごしたままになっていた。


 本棚にはよく読んだ魔法に関する書籍が並べられ、机の上には遠い東の国の伝統柄だというランプが置いてある。


 正六角形の中に植物の葉を模した紋様に心惹かれ、購入した。

 夜になるとランプをつけて読書をしたり、勉強をしていた。ランプをつけたまま眠りにつくことも。


 この部屋を後にしたのはわずか三ヶ月前だというのに、懐かしいと感じるのは、ファーレンホルストで怒涛どとうの日々を過ごしたからか。


 フレーデリックのファーレンホルスト王国での生活は帰国した日から波乱万丈だった。


 卒業パーティーで前世の飼い主と出会い、魅了魔法を強力にかけられたフォルクハルトを解放するために、慎重に時間をかけて魅了魔法の解除を行ったが、フォルクハルトには後遺症が残ってしまったようで経過観察が必要だ。


 犬猿の仲だった双子の兄だが、元の状態に戻せなかったことに悔いが残る。


 マイラ・カレンベルクには前世の飼い主である茉依の意識がある。マイラの記憶と茉依の記憶という膨大な情報量と、蓄積したストレスでマイラの身体は悲鳴を上げた。


 高熱が続き、普通の食事がとれるようになるまで、一ヶ月は要した。

 寝込んだマイラが心配で、そばにいたくて、頻繁にマイラの様子を見に行く。


 マイラの気が休まらないと、国王から面会謝絶を申し渡され、マイラの姿を目にするまで、気が気でない日々を送っていた。


 ファーレンホルスト王国の後継になるための教育に、貴族の派閥を把握し、国の経済状況と、短期間で頭に叩き込んでいる。


 加えてケッセルリングの魔導庁へ定期的に訪れ、魔法関連の仕事もある。


 忙しいなか、ケッセルリングに訪れたのは、胸の中にある感情を友人に相談するためだった。

 今日は友人と会えずじまいだったが、明日こそ友人に会い、解決できたらいいと思う。





(そろそろ陛下の部屋に行かなければ)


フレーデリックは立ち上がり、部屋を出た。


 国王の部屋を訪ねると、国王が満面の笑みで迎えてくれた。


「ほれ、ぼんやりと突っ立っとらんと早く座りなさい」

「はぁ」


 国王の私室ということもあり、調度品は格調高いものばかりだ。上質な魔石を使用した照明が部屋の中を明るく照らしている。


 壁には王妃の肖像画が飾られていた。紺色の髪に紫色の瞳が優しく陛下を見守っているように感じる。


 王妃の娘である王女も紺色の髪に紫色の瞳の持ち主だ。王妃より勝気な面立ちだが、王妃と同じように凛とした品格を醸し出している。


 高級で知られている赤牛の皮で作られた椅子に座ると、座り心地の良さに毎回驚かされる。


 フレーデリックは上機嫌の国王に、なにかを察した。


(あまりいい予感はしないが、何事もないことを祈ろう)


 ところどころ美しくオパール化したペトリファイドウッド製のテーブルには数種類のワインが用意されている。準備が整い、国王は人払いの合図を出す。


「フレーデリック、酒は飲めるか?」

「はい、いただきます」


 フレーデリックの返事に頷くと、国王が手ずからグラスにワインを注ぐ。


 乾杯とグラスを控えめに掲げたフレーデリックはワインを一口飲み込むと酸味と渋味で口の中に違和感が生じる。


 成人して間もないフレーデリックには早すぎる上質なワインだ。


 一気に飲み干した国王はしかめっ面をしているフレーデリックに、目尻にシワを寄せ口角を上げた。


「こんなに早く、そなたとワインが飲めるとはな。嬉しいぞ、フレーデリック」


 国王陛下はワインを注ぎ、グラスを回し香りを楽しんだ後にグイっと飲み干す。


「陛下、ワインを飲み始めたばかりの僕には、ハードルが高いワインです」


 困惑を隠しきれないフレーデリックの様子がおかしいのか、国王は笑いをこらえきれなかった。ひとしきり笑い、涙を拭いて、大きく息をついた。


「やはり、フレーデリックはいいな。長年一緒に暮らし、話し相手になってもらっていたが、そなたが帰国してからは寂しくてな……」


 国王の視線はグラスに向けられ、その目には物寂しさが漂う。フレーデリックは国王の心境を察し、言葉を紡げず、二人の間に静寂が訪れた。




 十二年前にフレーデリックは単身でケッセルリング王国に訪れた。初めて対面したときのフレーデリックの表情を国王はよく覚えている。


 一人で異国に来たというのに、何事もないように平然とした少年に、驚きを覚えた。


 立場を重んじ、年下の王子たちを立てていたが、いつの間にか対等な立場となり、二人の王子と王女はフレーデリックに懐き、兄のように慕い始めた。


 第三側妃に可愛がられ、フレーデリックも側妃を慕い、側妃の子の部屋を頻繁に出入りし、赤子の王子をあやしたり、おしめを交換したり、弟のように可愛がる姿に、王子ら三人も加わり、第三王子の部屋はにぎやかだと第三側妃は嬉しげに報告してくれた。


 母が違う兄弟の仲がいい家など、なかなかないだろう。王子たちはフレーデリックを中心に絶妙なバランスで仲を深めていった。


「なぁ、フレーデリック」


 国王の一言で静寂は破られた。声に反応するように顔を上げたフレーデリックに、陛下はしっかりと目を合わせる。


「そなた、婿に来ないか?」


 思いもしない言葉が飛び出し、フレーデリックはビックリし、身体を硬直させた。


 二人は無言のまま、お互いに視線を合わせている。どれだけ時が過ぎただろうか、不意に陛下は視線を外した。


「突然、こんなことを言って驚かせてしまったな」


 国王はグラスを持ち、ワインを一口飲んだ。フレーデリックも甘口のワインを飲み干し、グラスをテーブルに置いた。


「以前から、考えていたのだ。王女の婿に、そなたがほしいと」

「そう言われましても……」

「王女はそなたを愛しておる。フレーデリックは王女をどう思う?」

「……」


 王女に想いを寄せられているとは気づかなかった。どう思うと聞かれ、頭に浮かんだのは王女ではなく、マイラの姿だった。


 ガゼボで所在無さげな姿や、無意識におでこに口づけしたときのぽかんとしていた顔を見て激しく動揺したあの日。


 熱に浮かされ、救いを求めるように伸ばされた手を握ったとき、安心したように涙をこぼした姿が切なくて、胸が痛くなった。


 マイラの前にいると、前世で慕っていた感覚とは違うような、妙な違和感が浮かんでは消えていく。

 同時に心臓が慌ただしく動き出す。胸が波打つような感覚に、どうしていいのか分からなくなる。


(僕は……マイラの婿になりたい……)


 急に視界が晴れた気がした。


 マイラが前世の飼い主の生まれ変わりだから、そばにいたいと思っていた。


 でもそれは間違いだと、ようやく思い至る。


(この胸に宿る想いが愛というのなら、僕はマイラを愛している)


 胸にくすぶっていたモノが潮が引くように消えていく。泉のように湧き出す想いが顔に出ないように、気を引き締める。


「陛下、僕は婿になれません」

「なぜだ? そなたは第二王子だろう? 国を継ぐわけでもないのに」


 確かに後継ぎではないので、好き勝手にさせてもらっていた。しかし、状況が変わってしまった。フレーデリックはしばらく沈黙し、意を決して口を開く。


「身内の恥を晒すので心苦しいですが、兄は廃太子されました。僕は国を継ぐために教育を受けているところです」

「なんと!!」


 国王は驚愕し、言葉に詰まってしまう。


「陛下には大変可愛がっていただき、感謝しています。王家の皆様にも家族のように接していただき、家族の情を知ることができました」


 フレーデリックはここらでおいとましたほうがいいと判断し、国王に暇の挨拶を述べようと、視線を合わせた。


 狼狽を隠しきれない国王は無意識に立ち上がり、フレーデリックの肩を掴み、揺さぶる。


「廃太子だと? いったい、ファーレンホルストでなにが起こったのだ!!」


 国王は力の加減ができないようで、騎士のような筋肉質の身体がガクガクと揺れる。


「陛下!」


 フレーデリックの声で我に返った国王は肩から手を離し、顔にあてる。


「すまない、酔いすぎたようだ。もうお開きにしよう。明日、改めて廃太子の件を聞かせてくれないか?」

「……分かりました」


 フレーデリックは陛下に一礼し、部屋を出て、長い廊下をゆっくりと歩いていく。

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