第12話 とまどい

 茉依とマイラの邂逅かいこうの後、茉依はファーレンホルスト王国の歴史や法律、貴族の常識とマナー、物の価値を学んでいる。この世界で貴族の令嬢として生きていくうえで必要な知識だ。


 マイラの記憶があるが、異世界から転生した者として、まっさらな状態でファーレンホルスト王国、隣接する国のことを学びたいと思いに駆られた。


 前世では、たくさんの国、言語、多様な人間たちがいた。この世界も同じように成り立っているのか、知りたくて。


 国王に申し出たら、快く承諾してくれ、教師を手配してくれた。


 茉依は学ぶことが好きだ。学生時代の成績は常に上位をキープしていた。


 新しい世界に触れ、夢中になって学んでいる。砂が水を吸うように覚えていく様は、教師も面白いらしく、教えがいがあると満足げだ。


 成績が良かった茉依でも、苦手なものがある。身体を動かすことだ。

 茉依は何もない所でつまずいて転ぶくらい、運動神経が鈍い。


 ダンスや乗馬を得意としていたマイラの身体に宿っても、鈍さは改善されなかった。


 着慣れないドレスとヒールの高い靴で、おぼつかない足取りで歩くマイラを、カルラとニーナは転ばないかとハラハラした思いで見守る。


「ドレスに慣れるまで、ヒールの無い靴で過ごされてはいかがですか?」


 大怪我をするよりはと、カルラは提案する。


「うん。お願いします! この靴だと足を捻挫しそうだし、転んで打ち所が悪かったら、最悪な事態になりそうって思って、怖かったの」


 マイラ自身、不安を感じていたらしい。下がっていた眉尻が元に戻り、安心したようにほほえむ。

 カルラはヒールのない靴をすぐに手配をし、新しい靴を届けてもらった。受け取ったマイラは早速履いて歩いてみる。


「歩きやすい! この靴なら安心だわ!」


 苦痛だったハイヒールから解放された喜びで無意識にスキップをしている。

 本人はスキップをしているつもりだが、スキップとは程遠い動きを披露している。

 ニーナはマイラの怪しい動きに目を丸くして固まっている。

 カルラはスキップになっていませんよと、突っ込みたい気持ちをグッとこらえた。




 学びの場で唯一、気分が重くなる分野……ダンスである。貴族のたしなみであり、優雅に踊れば称賛を浴びるダンスが、踊れないのだ。


 ダンスの先生は手拍子を打ち、マイラもテンポに合わせるように動くが、動きがぎこちなく、手拍子と動きが噛み合わず、すぐに止められてしまう。

 先生は見本を見せるためにゆっくりと踊ってくれるが、流れるような動作がどうしてもできない。足がもつれて転ぶこともあり、先生とともに深いため息をつく。


「マイラ様のダンスは皆が見惚れるほどだと、お聞きしておりましたのに……」


 ダンスの先生はあからさまに失望している。


「婚約破棄以前のことは覚えていないの。私、記憶を失くしてから、別人になったと言われているわ」


 マイラの身体に宿る魂は茉依だ。別人なのだから、嘘は言ってない。


 先生と話し合った結果、ダンスの練習は中止し、体幹を鍛えましょうと提案され、別の先生に教えてもらう運びとなった。


 ダンスが中止となり、喜ぶが、貴族にとってダンスが踊れないのは致命的な問題だと気づいていない。


 カルラとともに部屋に戻ると、お茶とケーキが用意された。マイラが椅子に腰を掛けるとカルラとニーナも座った。


 人とコミュニケーションが取れないマイラはカルラとニーナにお願いして、一緒にお茶の時間を過ごしている。


 お茶の時間は立場を忘れ、おしゃべりを楽しむ。ぎこちないマイラに、カルラとニーナは負担にならない程度に話しかけ、会話が続くように気にかけてくれる。

 

(主従関係だとしても、カルラとニーナは私を気にかけてくれる。誰かに気に留めてもらえるって、嬉しいことなのね)


 温かい紅茶を口にし、マイラの心も温かいもので満たされていく。


 この世界は体験したことがないものばかりであふれている。


(福の飼い主だった縁で自分は恵まれた生活を送っている。いつか、日本で培った知識が役に立つようであれば、惜しみなく協力しよう)


 





 机に山のように積まれた書類に囲まれたフレーデリックは、椅子の背もたれに身体を預け、天井を仰ぎ、おでこに腕を置いている。


『マイラは僕のものだ! 誰にも渡さない!!』


 この言葉に嘘偽りはない。ただ、胸がチリチリするが、理解できない。もどかしい思いに、頭が支配される。


「あぁ、もう。何だこれは!」


 突然声を張り上げたフレーデリックに驚いた侍従の身体が小鳥のようにピョンと跳ねた。


「フレーデリック様、どうされました?」


 顔色をうかがい、侍従は恐る恐る声をかける。声をかけられて我に返る。


「あ……いや。何でもない」


 何ごともなかったように書類に目を通しサインをする。黙々と同じ動作を繰り返し、書類の山が消えた頃、侍従が紅茶と焼菓子を用意してくれた。

 紅茶に口をつけ、不意にあの日を思い出す。


 騒然とした卒業パーティー会場からマイラを連れ出し、宮殿のガゼボに案内した。

 所在無さげにしていたマイラの顔が動き、バラに目を留める。柔らかい表情を浮べた顔は茉依とは別人なのに、かつて自分に向けられていた表情にそっくりだった。


『福は凛々しい顔立ちで美男子だねぇ』

『茶色い麻呂眉がお似合いですねぇ』

『ん? イチゴが欲しいの? 生クリームのついてない部分を切るから、待っててね。半分こして食べるイチゴはおいしいね』


 茉依は遊んでくれたり、優しく抱きしめてくれた。給餌やケージの掃除中も必ず話しかけてくれた。


『ご飯はおいしい? 残さず食べていい子だね』

『あのね、福くんの尻尾は左二重巻きなんだって。クルクルフサフサ尻尾で可愛いね』

『福は温かいねぇ。大好きだよ』


 大好きと言う茉依の優しい視線と柔らかな声、滲み出る雰囲気で思いが伝わり、嬉しくなる。犬の身であっても、言葉の意味は理解できる。


 あの頃の嬉しさとは違う嬉しさを感じる今は、マイラを真っ直ぐ見つめられなくて。


 マイラを前にすると、運動もしていないのに、鼓動が早くなり、胸にこみ上げるもので苦しくなる。


 マイラを見つめていることに、マイラが気づきそうな気配を感じたらさり気なく目を伏せ、やり過ごす。フレーデリックの熱を帯びた視線に、場の空気が読めないマイラは気づいていない。


 朝の挨拶は交わすが、話しかける話題が浮かばなくて、無言で食事を詰め込む日々が続いている。


(この感情は何なのか? アイツなら知っているだろうか?)


 フレーデリックはおもむろに立ち上がり、机から離れた。


「ちょっとケッセルリングに行ってくる」

「はい!?」


 侍従に目もくれず、軽い口調で告げるとフレーデリックは執務室を後にした。


「……ちょ――――っ!! フレーデリック様! 散歩でもするように、気軽にケッセルリング王国に行かないでくださいよ! 書類はどうなるんですか!?」


 侍従の叫びはフレーデリックには届かなかった。

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