第9話 怒涛の一日が終わる寸前で一波乱
マイラの宮殿生活が決まった。右も左も分からない世界だから、安全に暮らせる環境はありがたい。
時間はかかるかもしれないが、マイラの記憶を受け入れ、茉依はマイラとして生きていくと決めた。福の生まれ変わりである、フレーデリックもいる。
(福の生まれ変わりがそばにいる。心強いというか、安心できる……のかなぁ? むしろ……)
一抹の不安は拭えないが、混乱を防ぐために今は考えないようにした。
「フレーデリック、マイラを部屋まで送ってほしい」
国王はマイラを気遣い、フレーデリックに申し付ける。一人で部屋に帰すのは忍びなかったのだろう。マイラも部屋にたどりつけるか心配だったので、心遣いに感謝した。
「はい、父上」
フレーデリックは席を離れ、マイラのもとへ歩いてくる。
「では、部屋まで送ろう」
頷こうとしたら、急に目線が高くなった。いつの間にかフレーデリックにお姫様抱っこをされている。
「!!」
「!?」
「では、父上。失礼します」
嬉しげに双眸を細めたフレーデリックに、国王は呆気にとられたが、声をかける間もなく、フレーデリックは食堂を後にした。
あっという間の出来事に、マイラは反応すらできず、されるがままになっている。
廊下にはフレーデリックの靴音が響く。長い廊下には壁照明が取り付けられ、人が近づくと明かりが灯るようになっている。
壁照明の光は、温かみが感じられる昼光色をしており、ほんのりと廊下を照らす。
マイラは呆然としたまま、フレーデリックにお姫様抱っこをされ、運ばれている。
マイラがいた部屋についた。ノックすると、扉が開いた。中にいた侍女が目を丸くして両手で口を覆っている。
部屋の主が王子にお姫様抱っこをされて帰って来たのだ。驚くのも無理はない。
フレーデリックは部屋の中に入り、マイラをソファーに降ろした。
マイラは無表情のまま、身を固くしている。思考も停止しているようだ。
「マイラ、今日は疲れただろう? ゆっくりと休んでね」
フレーデリックはそう告げると、マイラの頬に手を当て、おでこに口づけを落とした。
おでこから唇が離れ、マイラを見つめた。目を大きく見開いたマイラと目が合うと、ハッとした表情を浮かべ、色変わりする瞳は動揺を表すように泳いだ末、伏せられた。
「あ……えっと、あの、おっ、おやすみ」
頬を赤く染め、手の甲で唇を隠し、恥じらう素振りでそそくさと部屋から立ち去った。
目を大きく見開いたまま、マイラは微動だにせず何が起こったのか思い起こす。
(………………今、何が起きた? おでこに柔らかいものが触れたような……)
(柔らかい? 触れた? フレーデリック様が頬を赤らめて……)
(赤らめた? 柔らかいものって、もしかして、くっ、くっ、くちびる〜!?)
心臓が胸を震わせて鼓動を強く打ちつける。早鐘を打つように心臓が動き、動揺して身体もふるふると震えている。
(ええぇ〜、嘘でしょ? 嘘だよね? 誰か嘘だと言って!!)
おでこにキスをされるなんて、前世で体験したこともなかった。お姫様抱っこだってそうだ。
壊れものを扱うように大事に運ばれ、ソファーに降ろされた。
おでこにキスをされた後、フレーデリックと目が合うと、色変わりしながら忙しく泳いでいた瞳は頬が赤く染まると伏せられた。
思いもよらない出来事が起きた。事実を認めると、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
「うわあああぁー」
マイラは顔を真っ赤にし、激しく首を振り、両手で顔を隠した。マイラの声に反応した侍女は慌ててマイラのもとに駆けつける。
「いかがなさいましたか?」
侍女は心配そうにマイラに声をかける。誰かの声に驚いたマイラは、侍女の存在に初めて気がついた。
(えっ!? 人がいたの? 侍女さん……だよね? うわぁ、もしかして、おでこのアレ、見られていたのぉ〜?)
目撃者の存在を知り、マイラの胸はさらに高鳴る。体中の血が沸騰するんじゃないかと思えるほどの熱を感じた。
「い、い、い、いえ、別に」
マイラは恥ずかしくて、目を逸らしたまま、ぶっきらぼうに返事をした。
(やだ、もう、何でこんなことになるの? 恥ずかしい! 穴があったら入りたい)
侍女はマイラの気持ちを知ってか知らずか、冷静に振る舞う。
「湯浴みの準備が整いましたが、お入りになりますか?」
侍女に聞かれたが、とっさに言葉が出てこない。首を縦に何度も振り、入浴する意志を示す。
湯浴みをする前からのぼせ気味だ。身体に残る熱に、混乱しながら浴室へ入る。
湯浴みは心地よい温度のお湯と優しい香りに包まれ、
湯上り後に侍女は魔法で髪を乾かし、肌触りのいい寝間着を渡してくれた。
部屋に戻ると、喉を潤す飲み物が用意されている。人の感情も空気も読めないマイラでも、手厚くもてなしてくれていると、感じた。
グラスに口をつけ、飲み切るとほぅっと息をつく。冷えた飲み物が身体中に沁みわたり水分を補ってくれる。
ぼんやりしていると、侍女が口を開いた。
「マイラ様、そろそろ就寝の時間です」
「もうそんな時間なの? いろいろと、お世話になりました。ありがとうございました」
マイラはお礼を述べ、頭をペコリと下げた。令嬢が侍女に頭を下げる。この世界ではありえないことだ。
だが、マイラの前世は日本人だったので、習慣で頭を下げてしまった。
「いえ、お礼など……」
侍女も令嬢が頭を下げて、お礼を述べたので戸惑うが、戸惑いを隠し、マイラに一礼し部屋から出ていった。
マイラはふかふかのベッドに入り、ふと思う。
ひっそりと生きていたアラサー女が、美しい侯爵令嬢に生まれ変わっていた。
それだけじゃない。愛犬が王子様になっていた。
小さな体だったのに、背が高くがっしりとした体格に、黒柴の色合いを髪の毛に持ち、凛々しい顔つきは
(低めな声が心地よくて。私を見つめる瞳は福とは少し違うような……)
マイラはいつしか眠りについていた。
フレーデリックは足早に部屋に戻ると、扉の前で赤く染まる顔を両手で覆い、しゃがみこんだ。
(やっと茉依に会えたのに、一緒にいて嬉しくて、心が安らぐはずなのに、いざ目の前にすると、どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう?)
フレーデリックは胸の高鳴りに戸惑いを感じていた。前世でも今世でも体験したことがなく、どうしていいのか、分からないでいる。
おでこに口づけしたのも、無意識に身体が動いていたのだ。無意識にそんなことをしてしまい、マイラの前で
十八年という年月。会いたくて、会いたくて、探し続けた飼い主の生まれ変わりに会えたのに、夢に描いた
(この胸の高鳴りは、何? 胸がいっぱいで、息が絶え絶えになる、この変な感じは……)
捕らえそうで捕らえられない思いに、もどかしさを感じるフレーデリックは、吐息を漏らす。
色変わりする瞳には艶やかさを宿していることにフレーデリックは気づいていない。
突然扉をノックする音が響く。フレーデリックは音に驚き、身体がビクリと動いたと同時に扉が開いた。
「えっ!?」
扉で身体を押されたフレーデリックはつんのめり、床の上に崩れ落ちた。
「失礼しま……? ふぇっ!? フレーデリック様? どっ、どうなさいましたか?」
侍従は床の上にうつ伏せで倒れているフレーデリックの姿に驚き、素っ頓狂な声を上げた。
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