将来の夢

「人生の終わりがわかっていれば。」


僕は幼少期から常々、そう思ってきた。

終わりさえわかっていれば、毎朝毎晩学校に行くかどうかも、物を取捨選択するのも、気になるあの子に話しかけるかどうかでさえ自然と答えが浮かび上がってくる。


学生の頃はそうやって悩んでいるだけでも、自らを輝かせ、前進していると感じることができた。悩んでいる姿は大人を喜ばせ、自己表現と承認欲求を満たすことにもなったからだ。悩むことはあの頃の特権だった。小学校、中学校、高校、大学。幸い僕は恵まれたことに、何ら疑問を抱くことなく自身の努力次第で、次々と学術の場をステップアップさせることができた。

将来何がしたいか、そのためには何をどうすべきか、周りが真剣に考えて悩んでいる時に僕は、その本質を故意に見落としたまま、勉強をし続けた。良い成績、良い学校はそのまま安心に繋がった。


「将来の夢は?」


人生の節目節目で投げかけられるこの質問が、ずっと大嫌いだった。いつまで続くかわからない人生に期待や夢を持って、突然くる終わりのときに後悔するのは馬鹿馬鹿しいと反発する心を飼っていた。

だが、それらは僕を誰もが夢を持っているはず、という呪縛から守ってくれた。

品行方正で申し分ない成績を保ち続ける僕に、必要以上に干渉してくる人はいなかった。山崎真斗やまざきまさと−美術部顧問だった教師−を除いて。


悩んでいる姿を見せて−正確には悩んでいるふりをして−ただ僕は正しく大人しく、待ち続けた。

日々、技術も医療も進歩しているのだから、大人になれば−大学生を終える頃には−事前に寿命を知ることなど容易くできる世界を誰かが作ってくれるだろう、と。

そしてそれがわかった時こそ、僕の本当の人生計画を始まるのだと信じて疑わなかった。


しかし、大学4年生の春。

いまだ人生の終わりなど、誰も知る由もないまま世界も僕も目まぐるしく動きを続けていた。


同級生が就活をしているのに倣い、僕も同じように、多くの就活生から人気のある会社を中心に志望した。

これまでの勉強と同じように、傾向と対策を分析し、いわゆる御社が求める人物像になりきっていくつかの内定を得た。

どれもこれも大企業で、家族はもちろんこれまでの友人や同級生も何故か誇らしげにしてくれた。だから僕はまた、考えることを辞めて安心に浸った。


「このまま入社すると、苦労するぞ。絶対。」


山崎真斗は、ただ1人僕に忠告した。


「大丈夫ですよ。適当にうまくやりますから。」


僕は唯一の思いやりを、汚れた体を洗うかのように流した。


2年後、僕は今会社を辞めて何もせず、洗濯物を眺めながらベッドの上に転がっている。


自分の寿命を「180万」と決めて。


奇しくもこれが、僕がはじめて僕の頭で考えて決断したこととなった。


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