夏
転校生
正午。
近くの小学校のチャイムが聞こえる。やっと午前中が終わった。ぼんやりと依然としてベッドに転がったまま、小学生の頃のことを思い出す。とにかく目立ちたかった、あの頃を。傍らではラジオパーソナリティが、初恋についてのお便りを読んでいる。なんてことのない平和な午後の始まりに身を沈める。
僕は小学生の頃、毎年転校生だった。
そう、本当に毎年。毎年律儀にお別れと初めましてを繰り返す。
理由は父親の転勤。
今となっては、わかるつもりだ。一年おきに、部署替えや社宅の取り壊しなどに見舞われて一番大変だったのは父親自身だろう、と。ただ、大人の事情など何も見当が当時の僕は、明るく活発な少年、という仮面を被ったまま少しずつ荒んでいった。それは進級すればするほど、僕の中に深く暗い影を落としていった。
「
そう言ってから、満面の笑みを作る。これが僕の鉄板の自己紹介だった。長いセリフや気取ったものは悪目立ちしてしまう。ではどうしたら例え短い期間でも、みんなに好かれることができるか、みんなの記憶に残ることができるかと考えて、辿り着いた定型文だった。満面の笑みも、もちろん重要なポイントだった。
そうすれば必ず最初の休み時間には、僕の周りを取り囲む輪ができた。
「どこから引っ越してきたの?」
「習い事は何してるの?」
「今日の昼休み、鬼ごっこしようよ!」
初対面のクラスメイトたちは、口々に僕に話しかける。僕はもちろんわかっていた。そのなかには、僕に純粋に興味がある子と転校生に話しかけてあげる優しい自分が好きな子、なんとなく流れに置いていかれたくなくて輪に加わっている子がいることを。そんな輪の隙間からは、決まって満足そうにこちらを見つつ、教卓の荷物をまとめる担任の口元が見えた。それを見ては、彼らの問いに笑顔で卒なく答えながら「大人って、何もわかってないなあ」なんて思っていた。
僕は自己紹介以外にも、もちろん努力を惜しまなかった。勉強、図工、音楽、体育、家庭科に至るまで全て85点を目指した。
なぜ85点なのか、そう聞かれたら答えは簡単だ。90点以上は、出来すぎて面白みがなく子どもたちの鼻についてしまう。そして80点以下は、不得意が目につくようになるため、教師陣からほっといても大丈夫な子のポジションを得られない。そこで、何でも出来て頼れるけれど、程よく弱点もあって憎めない良い奴になりたい僕としては、85点を目指すのがベストだった。こうすれば、教師から嫌われて保護者面談で母を困らせることもなかったし、転校生が陥りやすいクラスでのいじめの標的になることもなかった。僕はこうしていち早くクラスに馴染み、快適な転校生ライフを送れていると自分自身に暗示をかけることに必死だった。
前のクラスや家を思い出さない、今のクラスにも踏み込みすぎず、程よい距離感の人間関係を築く。そうすることで寂しさから自分を守っていた。そして、ひいては春が来るたびに、転校ばかりで申し訳ないという顔をする両親を守っていた。
目が覚めると、ラジオパーソナリティは変わっていて、太陽は1日の終わりに向けて傾いていた。物思いに耽っていたからか、随分懐かしい夢を見た。
小学5年生の時に同じクラスになった女の子。なんとなくそれまでの経験から、春になったらまた引っ越すだろうということがわかっていた僕は、彼女に何も伝えられなかった。いや、伝えられなかったどころではない。いつも被っていた仮面さえ、うまく被れていなかった。彼女の前で、僕はただの小学5年生の無愛想な男の子で、彼女の微笑みに返すことすら出来なかった。いつも側から斜に構えて、余裕の笑みでクラスメイトや教師に接する僕を見ていた彼女はきっと、僕に自分だけ嫌われているのだと思っただろう。僕の方といえば、彼女に全く逆の思い、初めてでどうしたらいいかわからない思いを抱えていたというのに。
ベランダに干していた洗濯物を取り込むために、数時間ぶりに立ち上がった。体は重く、頭は落ちてしまいそうなほどに揺さぶられている感覚がする。窓を塞ぐようにして置かれたベッドから、ベランダまでは手を伸ばせばすぐ届く距離にある。僕はすぐに外れてしまう網戸に気をつけてベランダに出る。夏の空気が体に触れる。どうしてか、夏のそれだけは、毎年必ず幼少期や学生時代の幸せな思い出を呼び起こす。特に夕方は良くない。僕はあまり吸い込んでしまわないように息を止めて、洗濯物を回収する。
しかし夏のそれに触れる以上に、手に取った洗濯物の感触で、気持ちが折れる。確かに、風に煽られたタオル等は、感覚を空けずに密接していた。嫌な臭いが鼻をかすめる。要するに、乾き切っていない。
なんだか僕は、僕のことがとても惨めに思えた。生乾きのタオルをカーテンレールに吊るして、またベッドに転がった。ラジオは、昔流行っていた懐かしい曲を流していた。
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