悲日常

 蝉の声がけたたましく鳴き叫ぶ夏休み前の終業式。退屈なそれを終えると、えみは教室で帰りの準備をする友達へと声をかける。


「ねえ、ねえ。明日渋谷で遊ばない」


「お、いいな。乗った!」


「それじゃあさ、ゲーセン行って、カラオケとかして、あのクレープ屋でクレープ食べようよ」


彼女の言葉にケンタとりかが真っ先に賛同の声をあげた。


「お前達……夏休み初日にいきなり遊ぶ約束はないだろ」


「そうよ。いくら休みだからっていきなりすぎるわ」


それに呆れた様子でトオルとかおりが苦笑する。


「トオルとかおりは遊ぶの嫌なの?」


「別にそういうわけでは……」


「わたしも遊ぶのが嫌って事じゃないわ」


えみが不満げな顔で尋ねると二人は困った様子で呟く。


「なら決まりでいいじゃん」


「ってことで明日は渋谷行き決定~」


その言葉を聞いたケンタが笑顔で言うと、りかもにやりと笑い約束は完了する。


その後いつものように五人で学校から最寄り駅へと向かい電車に乗り込む。


「それじゃあ、また明日ホームで! 楽しみにしてるからね」


家がある町の駅へと到着するとえみはそう言って四人と別れる。


「おう、またな」


「明日は遅刻なしだからね」


元気よく手を振るケンタと、そう言って笑うりか。


「じゃあ、明日」


「またね」


トオルとかおりも笑顔で彼女の背を見送った。


ホームに降り立つとえみは明日が楽しみだと胸を弾ませながら帰路につく。


翌日えみは目覚ましの音で意識を浮上させると慌てて準備をする。


「おはよう」


「あら、夏休みに入ったばかりなのに今日は早いのね」


階段を駆け下りると朝食の準備をしている母へと声をかけた。母親が驚いて不思議そうに聞いてくる。


「今日は皆と渋谷で遊ぶ約束してるんだ」


「遊ぶなとは言わないけれど、宿題も忘れずにちゃんとやるのよ」


「分かってるって。そんじゃ、行ってきます」


「朝ごはんは?」


「ホームで待ち合わせなの! 急がなきゃ。ご飯はコンビニで買って食べるから大丈夫」


慌ただしく出かける準備をする娘の姿に母が呆れた様子で見送った。


「……えみ今日は誰と遊ぶって?」


「友達よ。いつものメンバーじゃないかしら?」


新聞を広げて見ていた夫が尋ねると、それに妻が答えて料理を作ることに戻る。


「……」


彼が何事か言いたげな顔をしたが、黙って新聞をめくり次のページを読み進めることに戻った。


その頃、家を飛び出したえみは走って最寄り駅へと向かう。


「はぁ……はぁ……間に合った!」


ホームへと到着すると設置されている時計の時刻を見て安心した顔で溜息を零す。


「……皆はまだ来てないのね」


ホームの中を見回すが見慣れた顔はどこにもなかった。


「えみ~。おはよ!」


「おっす」


背後からかけられた声に振り向くと笑顔で手を振るりかと、元気よく挨拶するケンタの姿が。


「えみが先に来てるなんて、珍しいこともあるもんだな」


「おはよう、えみちゃん」


トオルとかおりも笑顔で歩み寄ってきた。


「おはよう。てかなんで皆制服なのよ。夏休みなんだから私服で良いじゃない」


「仕方ねえだろ。これしかなかったんだから」


「制服姿で遊ぶのも今だけかな~って思って」


「服を選ぶのが面倒だったからな」


「わたしもたまには学生っぽいこともいいかなって」


四人が口々に答える言葉にえみは再び口を開く。


「だったら何で私に言ってくれないのよ。制服できてあげたのに。あ、さては皆して私をのけ者にしようとしたのね」


「そんなわけないだろ。あ、ほら電車が来た」


怒る彼女の様子をなだめるようにトオルが言うと電車がホームに入って来る。


えみはしかたなく怒りを治めて電車へと乗り込んだ。


「それで、今日はまずどこから行こうか?」


「適当でいいんじゃない」


えみの言葉にケンタが答える。


「そんな適当プランは乗れません~」


「ケンタに聞いたのが悪い。俺はどこでもいいからお前等に任せる」


彼女が嫌味っぽく言うとトオルがそう話す。


「うちはやっぱりクレープ屋さんに行きたい」


「朝からクレープはないでしょ。まずはゲーセンに……っ」


りかの言葉にかおりが答えているとぐらりと電車が揺れた。


「何?」


その途端空中に放り出される感覚と天井が回って見えてえみは驚いて目を見開く。


「「「「えみ!」」」」


皆が必死に手を伸ばしている様子が見えたが、そこで彼女の視界は黒く塗りつぶされた。


「「「「えみ」」」」


「はっ……」


皆の必死の呼びかけにえみは意識を浮上させる。


「あ、ごめん。私寝ちゃってた?」


「も~。驚かさないでよね」


「昨日ちゃんと寝れたのかよ」


心配そうな皆の顔を見て慌てて謝ると、その姿に安堵した様子でりかが笑い、ケンタが呆れた様子で話す。


「マジごめん。それより乗客いつの間にか私達だけになっちゃってるね」


「お前が寝ている間に皆いなくなった」


「だから今はわたし達の貸し切り状態だよ」


再度謝ると周囲にいた乗客が一人もいなくなり、がらんとした電車の中に自分達だけがいる状況に目を瞬く。


トオルが説明するとかおりも言って笑った。


「それより、渋谷に着いたよ」


「早くしねえと、時間なくなっちまうぞ」


りかとケンタの言葉にえみは慌てて椅子から立ち上がると、電車が発車してはまずいと駆け足で降りる。


「あれ、渋谷ってこんなに静かだったけ?」


ホームに降り立ったえみは人っ子一人いない状況に疑問を抱く。


「さあて、まずはゲームセンターにでも行きますか」


「賛成~」


りかがはしゃいだ様子で駆けだすとケンタもその後について行った。


「ほら、えみ何してるの。早くいきましょう」


「置いてくぞ」


かおりがそう言ってえみの背中を叩くと駆け出す。トオルも小さく笑うと走っていった。


「ま、待ってよ~」


慌てて四人の後を追いかけ駅を出ると閑散とした街の中へとやって来る。


いつもだったら渋滞状況のスクランブル交差点も人も車もいなくてえみは不気味に思った。


「ねえ、こんなに人がいないなんておかしいよ」


「そうね。いつもならもっとたくさん人が歩いてるのに」


えみの言葉にかおりも不思議そうな顔で呟く。


「せっかくだから探検してみないか?」


「賛成」


「まったく。お前等は……」


瞳を輝かせて言ったケンタの言葉にりかが真っ先に賛同する。そして二人は駆け足で交差点を渡っていった。


その様子に呆れながらも、こいつ等だけにはできないと思ったのか、トオルも黙ってついていく。


「わたし達も行きましょ。置いてかないでよ」


「ま、待って~。一人にしないで」


かおりが言うと皆の後を追いかけ駆けだす。こんな不気味な場所に一人きりにされたくなくてえみも慌ててついて行った。


「まずはゲーセン」


「いつもなら人が一杯いるのに……」


ケンタが言うと自動ドアを開いて中へと入る。


いつもなら家族連れやカップルや友達同士で遊びに来ていて、人でごった返しているのに、耳が痛くなるほど静まり返った室内にえみは気味悪がった。


「まるで映画の中みたい。えっと何だっけ? 主人公達以外の人がいなくなった未来都市の話」


「そういえばそんな映画あったわね」


りかの言葉にかおりが懐かしいと言わんばかりの口調で呟く。


「ゲームとかにも似たようなのあったぞ」


「あのホラーゲームか。あれは怖かったな」


ケンタが言うとトオルもホラーゲームを思い出しぶるりと体を震わせた。


「で、でもそんなの映画やドラマやゲームの中の話じゃない。実際にそんなこと起るわけないよ」


「まあ、そうだよな」


「私も認めたくないけど……じゃあ、この状況をどうやって説明するのよ」


現実に起こるはずはないと今の状況を受け入れたくない彼女の言葉に、ケンタも頭をかきながら困った様子で黙り込む。


かおりも認めたくはないがといった感じだったが、目の前に広がっている光景を見ながら尋ねた。


「それは……ほ、他のとこにも行ってみよう」


「そうだな。この辺りだけなのか他の所もそうなのか、確かめないといけないよな」


「それじゃあ探検再開」


今の状況を説明できるはずもないが兎に角否定したいえみがそう提案する。


トオルも頷き賛同するとりかが元気いっぱいに右手を突き出し探検が再開された。


駅前から離れて渋谷のメインストリートへとやってくる。いつもなら人込みで気分が悪くなるほどの場所が、石ころ一つ落ちていない寂れた様子にえみの顔色は悪くなる。


「うそ……」


「なあ、本当に人がいないみたいだぜ」


「そうみたいね」


呟きを零し呆然と立ち尽くす彼女へとケンタが言う。かおりも認めざるおえない状況に小さく頷いた。


「本当にここにはうちらしかいないのね。じゃあさ、遊びたい放題じゃない」


「お前な。この状況でよくそんなこと言えるな」


りかが笑って言うと、トオルが呆れて溜息を吐き出す。


「ねえ、もう帰ろう。何だか怖くなっちゃった」


「……そうね。そろそろ帰らなきゃね」


「だな、何時までもここにいちゃいけない」


えみの言葉にかおりが頷くとケンタも静かな口調で話す。


「でもさ、こうやってみんなで会えてよかったよね」


「ああ。そうだな」


りかが言うとトオルも相槌を打つ。そんな彼女等の様子など気にしている余裕もなく、えみは早鐘のように鳴る鼓動を聞きながら恐怖と必死に戦いそれを振り払おうとしていた。


そうして慌てて駅まで戻って来るとホームに電車が止まっていたのでそれに乗ろうと思ったのだが、行きは気付かなかったその姿が異常な事に気が付き足を止める。


電車の一部が脱線しているようにホームの外へと飛び出していて、近くのコンクリートの上へと寝そべった車体の窓は粉々に砕け散っている。


「なに、これ……」


「今日はえみちゃんと会えてよかった」


「渋谷探検も楽しかったな」


呆気に取られてホームで立ちつくすえみをすり抜け、電車に乗り込みながらケンタとりかが言った。


「こうして皆で会えるって貴重よね」


「探検はともかく、誰もいない渋谷なんて珍しい体験ができたな」


「っ……ちょっと皆?!」


かおりとトオルも話し合いながら電車に乗り込む。


その様子に信じられない思いでえみが声をかけるが、彼等が降りてくる様子はない。しかたなく彼女も電車の中へと入っていった。


「ねえ、待って。この電車に乗り込んだって帰れないわよ」


「大丈夫だよ。だってうち等はここからきたんだから」


慌てて声をかける彼女へとりかがそう言って笑う。


「ねえ、今日の皆おかしいよ。どうしたの」


「……えみ。今日はお前に会えてよかった」


「わたし達はもうえみの側にいてあげられないけど、でもいつも見守ってるから」


えみの言葉に四人は顔を見合わせると意を決した様子で頷き、ケンタとかおりが真面目な顔で話した。


「俺達はずっと友達だ。だからえみも俺達のこと忘れないでいて欲しい」


「うちらはここでお別れだけど、でもえみは生きて、生き抜いて。大人になって結婚しておばあちゃんになるまでこっちに来ちゃだめだからね」


「なに言ってるの? 皆……」


トオルが言うとりかも静かな声で語る。皆の言葉の意味が理解できなくてえみは困惑した顔で見つめる。


「「「「えみ、さよなら」」」」


「っ……待って。どこに行くのよ。きゃっ!?」


四人が笑顔で別れの言葉を述べる。慌てて近くにいる彼等の側へと駆け寄ろうと走った。


しかし何かに足が躓きその場にしゃがみ込む。


『只今発生しました人身事故の影響で緊急停車いたしました。皆様車掌の指示に従いゆっくりと非難を開始して下さいませ』


「……」


気が付くと騒然とした電車の床にしゃがみ込んでいて、ぼんやりとした頭にアナウンスの声が聞こえてきた。


『~♪』


その時えみの携帯の着信音がなり母親の名前が表示される。


「……もしもし」


『えみ、まだ駅にいるかしら? さっきお父さんから聞いたんだけど、昨日あなたが通学で使う電車が脱線事故にあったって。それでね……えみ驚かないで聞いてちょうだい。りかちゃん達がその事故に巻き込まれて亡くなってしまったって、新聞に載ってたそうなの』


電話に出た彼女は小さな声で答える。そこに慌てた様子で捲し立てて喋る母の声が聞こえてきた。


『今すぐ帰っていらっしゃい。皆の葬儀に出るでしょ』


「うん。分かった……ちょっと時間かかるけど、ちゃんと帰るから」


母親へと毅然とした声で答える。電話ごしの母には分からなかったがこの時えみは大粒の涙を流していた。


その後電車から降りたえみは歩いて最寄り駅まで戻り、無事に家へとたどり着く。


皆の葬儀が行われている間彼女の涙はとどまることを知らなかった。


 それから何年か過ぎ去ったがえみは夏が来るたびにあの日の事を思い出しては後悔する。


皆と過ごした最後の夏休みを。そして日常とは常に同じように訪れることはないのだとあの時知ったのだ。


しかし天国へと旅立った友達の言葉を常に胸に響かせて、えみは生き抜くだろう。死んでほしくないと願う友達のために。


そう、あの日人身事故の衝撃で、座席から放り出されて死んでいたかもしれない自分を皆が助けてくれたのだから、助けられた命がある限り生き抜こうと友達の墓標に誓った。


それから彼女はその時その時を大事に過ごすようになった。大人になり結婚して子供が生まれるとえみは我が子に「友達と遊べるのが当たり前だと思ってはいけない、だから今のこの瞬間を大事にしなさい」と言う。


もう二度と会えなくなる日がいずれ来るのだから、自分が後悔しないように、今という時が再び訪れる日はないのだから……と。


「また明日」


そう言って明日確実に会えるということがどんなに幸せなんだろうということに気付いたら、きっと今の瞬間がとても素敵な一日に変わるのだろう。


少なくともえみは自分の子どもにはそうあって欲しいと願っている。母の様に後悔して生きていくことのないようにと思いを込めて。

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悲日常 水竜寺葵 @kuonnkanata

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