7 灯り


 半端に開けた窓から車の走り去る音が聞こえはするが、虫の鳴く音は聞こえてこない。好きだからこそ毎日聞くのは躊躇われる。幸福だと信じて疑わなかったあの頃を思い出して、その幻想から逃れられなくなる気がした。少し値が張ってでもこの市街地寄りのマンションに住むことを決めたのは、淡々と決められた枠の中で日々を送るためだった。


 何度か寝返りを打っては眠る作業に専念したが、今日は全く眠気がこない。一旦諦めてゆっくりと起き上がり、両手を広げて伸びてみる。力を抜いてもたれ掛ったヘッドボードは思いのほか冷たくて、思わず肩をすくめた。


 そろそろ話すべきか。本来は別に隠すこともない、面白味のない過去だ。


 悠理は月明かりに照らされる手元を見て、すぐ隣で眠る無防備な寝顔を見つめる。酷く泣いていたので目元が赤くなっていた。起きている時よりも幾分幼く見える寝顔は可愛いが、やはり隠された瞳に私を映して欲しいと思う。髪をそっと撫でつけても起きる素振りはない。少し痩せて、薄幸を覗かせる表情は儚く美しいと思う。私の手でいつでも散らせてしまいそうな脆さが、たまらない。出会ったころより綺麗になったと思うのは、そうさせたのは自分だという充足感も含まれている。

 他人に期待も執着もしなくなったのに、歪んだ独占欲はあるのが私らしい。


 亜純は葛藤している。その先に何が見えるかは私にもわからない。私と言う存在が今後の人生においての経験値となれば良いとは思っている。ただ少しだけ、同じ感覚を共有してくれたなら、思い残すことなど無い。

 巻き込む人物は決して誰でもよかった訳じゃない。私が選んだ、最後の我儘。



    ***



「いー天気!」


 私は堪らず、開け放った助手席の窓から外へ向かって叫んでいた。色濃くなった緑の匂いが窓から勢いよく入ってきて顔にぶつかってくる。それがまた心地いい。

 真っ青で雲ひとつない空は高く、青々しい草木達がそれに負けじと車道の両脇を埋め尽くしている。ざわざわと風になびく木々が道路の真上まで枝を伸ばしており、緑の影と太陽のコントラストが鮮やかなトンネルを作る。狸がアスファルトと林の境目をのそのそと歩いていて、その光景に地元の田舎道を思い出しては懐かしむ。レンタカーを運転する悠理も気持ちよさそうに微笑んだ。


 今日の外出は私が提案したものだった、夏だし遠出したいと。

 悠理も二つ返事で了承してくれ、早速ネットサーフィンをすると車で二時間程の温泉地で催される祭りを発見した。祭り太鼓やその地で伝わっている独特な形をした神輿を担いで温泉街を練り歩いたり、一般人も参加して踊れる大群舞などを行うらしい。昨年開催時の動画を見る限り出店もそこそこあって面白そうだった。小さい温泉街で行われる祭りは、昔ながらのゆったりと楽しめる、人情溢れる祭りだそうだ。

 心配していた天気は驚く程の快晴で、気温も高くTシャツでもじんわりと汗ばむほどだった。本格的な夏がやってきたのだと実感する。


「チェックインしたら、少し歩いて出店でご飯食べよっか」


 サングラス越しに視線を寄越した悠理の運転はとても上手で、帰り道の運転を任されている身としてはプレッシャーを感じる。サングラスが似合う横顔に、添えるようにハンドルを握る手が綺麗で、また好きな一面を見つけてしまったと思った。


「ね、ちゅーして。ほっぺで良いから」


「え、後続車居るよ」


「誰も見てないよ。眠くなってきたからお願い」


「どんな甘え方」


 頬にキスをすると、悠理はわざとらしく覚めたと笑った。


 無事に宿へと到着し、チェックインを済ませて外へ出る。遠くのほうから祭り特有の太鼓と掛け合う声が聞こえてきて、祭りの空気を吸いたいと気が逸りつい早足になる。早い、と悠理の手が先に行く私の手を掴むとそのまま繋ぐ。

 車内でキスをしてからは周りの目を気にするつもりは無くなった。それは悠理も一緒らしく、絡められた腕は離されない。


 昼間の祭りは幼い子供たちが動き回って生き生きと笑顔を振りまいていた。

 出店の一つでやきそばとビールを買って路肩に座り「乾杯!」とプラスチックのコップを合わせる。普段ならはしたないと思われる行為も、祭りとなれば多めに見られるものだ。保護者たちは立ち並ぶ出店の端に座る私たちなんかに見向きもしない。はしゃぐ子供たちを眺めビールのんびりとビールを口へ運ぶ。


 出店を眺めながら、私は子供の頃に行った祭りを思い出していた。

 実家の近くで毎年行われる大きな祭りは、一本道の両脇に露天が出ていてどこまでも続いているような気がしたものだ。貰ったお小遣いではせいぜいくじ引きが三回出来る程度で、どの店でくじを引こうか迷った。結局どこで引いても大した差は無く、ガラクタばかりを掴まされたけれど、それでもわくわくした。

 りんご飴をいつも買っていたっけ。中学生の時は好きな子が来ていないかと探したこともあった。


 この温泉街の祭りはあの頃の祭りと雰囲気が似ていて、一直線に伸びた坂道沿いに出店が並んでいる。少し寂れた建物たちと、自然に囲まれた出店のカラフルな暖簾と、行き交う人々の笑顔。田舎の祭りは哀愁もあって好きだ。

 悠理も同じく小さい頃を思い出していた様で、当時は知らない子にも積極的に話しかけて一緒に盆踊りをしたり、とにかくはしゃぎ過ぎて怒られたことなどを話してくれた。盆踊りの規模や特色も、その地区の町内会などによって違うので面白い。


「昔はなぁ、家の近所で遊ぶのが毎日楽しくて仕方なかった。町内に子供たちが沢山居て、毎日公園に行けば誰かが居て。沢山喧嘩もしたし泣いたりしたけど、あんなに感情をむき出しにして人と関われたのはあの頃だけだったかも」


「私もね、中学くらいまではうるさい位元気で、能天気に毎日楽しくて幸せだなぁと思ってた」


 過去を偲ぶように視線を彷徨わせて微笑む悠理の横顔は、とても綺麗だった。


「本当?悠理って小さい頃からしっかりもので我慢してきた子じゃないかと思ってた」


「ううん、正反対。我慢なんて一切しないしする必要もなかった。周りの人たちが大好きで、毎日毎日笑顔ではしゃいで過ごしてたかな。いじめも無縁だったし、底抜けに明るかったから悩みなんてこれっぽっちも無かった気がする。そのころは周りに恵まれていたからね」


「なんだか想像つかないわ…どうして、今はその頃と正反対になったの」


 自分で言っておいて、しまったと思った。はっと視線を上げると、悠理は一瞬躊躇うように目を伏せた。けれどすぐに顔を上げて私の目を見つめると、一つ一つ言葉を紡ぐように話しはじめた。悠理の過去を。今の悠理を作ってきたものを。

 私はこのタイミングで聞いてしまったことを後悔したが、悠理はいいのよ、と笑って続けた。


「私ね、年子の兄が居るんだ。昔から優しくて面倒見も良くて、私をとても可愛がってくれていた。そんな兄が猛勉強して偏差値の高い私立高校に合格して、通い始めた頃。兄は優しいけど少し人見知りで、口数が多い方ではなかった。だから友達にキツいことを言われても笑って流そうとする人だった。そんなところが同級生から疎まれたのかもしれない。気づけば兄はいじめの標的になってしまっていた」


 ぽつぽつと、悠理が語りはじめる。

 歩道の縁石に座って話す内容は、全くこの場に相応しくなかった。それでも、だからこそ、私は相槌を打つのも忘れてその情景を思い描いていた。




    *




 兄は、徐々に元気が無くなっていった。

 いじめの主犯格にあたる子の親が、地元で有名な市議会議員だった。学校側はそれもあって対応に踏み出してはくれなかった。うちの母も何度も学校へ足を運んでは訴えたけど、調査中や対応中などと躱されて状況は悪くなる一方で。結局は二年の秋に高校を中退することになった。

 母も気丈にふるまっていたんだけど、弱って部屋から出なくなった兄を見て胸を痛めていた。父は仕事人間で殆ど家にいなかったから、どんどん家の中の空気は悪くなるばかりだった。

 幼い頃はよく一緒に遊んだし、迷子になった私を一生懸命探して見つけてくれたり、出かけるときには心配だからと付いてきてくれたり、本当に頼もしい兄だった。


 おばあちゃんが生きていた頃は、遊びに行ってはその近所の子たちに混じって遊んだりしていた。父はその頃まだ仕事の休みが取れていて、暗くなる前には両親が笑顔で迎えに来てくれて、四人で仲良く帰った。あの頃の虫たちのわんわんと五月蝿い音と、夕日が照らす朱色の風景は、今でも夢に見る。

 おばあちゃんも素敵な人で、いろんなことを教えてくれた。料理から裁縫から…当時は何一つちゃんと出来なかったけど、よく出来たといつも褒めてくれた。おばあちゃんっ子だった。小学六年の時に祖母が脳溢血で急逝したときは、あまりのショックにずっと泣き喚いていた。そんな私を心配し、落ち着くまで毎日そばに居てくれたのは兄だった。自分も辛かったはずなのに、本当に妹想いの優しい兄だった。


 兄に私はべったりで、学校で困ったことがあれば直ぐに相談したり、慰めてもらったりしに部屋に行った。そのたび嫌な顔せず話を聞いてくれて、気にするな、と声を掛けてくれたりした。そんな兄が私は大好きだった。

 その兄が段々と笑わなくなり、話しかけても上の空で聞いてくれなくなって、少しずつ距離ができていったのは丁度思春期の頃。その時に兄をきちんと気にかけていれば、思いやることが出来ていれば、少しは変わったのかもしれないと今でも思う。あの時の私は何でも思うように物事を進められると高を括っていた。大した苦労もせず、優しい環境に甘えていた。自分の話を聞いてくれなくなった兄に苛立ち、兄の様子が変わったことより構ってくれなくなったことに焦点を当てて兄を非難した。

 あれだけ支えてもらった恩を忘れて、引きこもっていく兄が嫌いになり、そのうちうっとおしくなった。

 順風満帆な学校生活を送っている自分から見て、なぜ兄がそうなってしまうのか理解できなかった。いじめられていると知ったときには兄との距離はすっかり広がり顔を合わせても殆ど話すことはなくなっていて、今更優しい言葉を掛けるなんて、当時の自分には出来なかった。兄に対してとってきた酷い態度の数々、心が正直に謝ることを拒んだ。ガキだった。


 私が高校に進学した後も家の中の空気は変わらず、母も憔悴していった。その重苦しい空気が辛くて、兄の居ない食卓で母と二人でご飯を食べて、すぐに部屋に引きこもっては友人に愚痴を言う毎日。

 母は私だけは大丈夫だと思っていたのだろう。学校の話を聞かれるといつも楽しいことばかり出てくる私の話を、毎日嬉しそうに聞いていた。元気が無くなっていた時も、私がそう話せば母が笑うので、当時の私はそれが自分の役割なのだと思い明るい話をした。

 ただ、私も高校に入学してからは女同士の争いやいざこざに巻き込まれるようになって、中学までの様に毎日楽しいとは思えなくなっていた。大学受験も控え、勉強と部活、そして交友関係や男女関係に悩まされる普通の高校生になっていた。それでも母には毎日明るく振舞っていた。私のことで悩ませたく無かったし、母は私に理想のすべてを期待しているように見えた。


 そして私の溜まったストレスの発散先は、最悪なことに兄だった。兄に冷たい態度をとって、家の中では女王様の気分で居た。母には気づかれないように、陰湿に。

 弱い人間は誰かを踏み台にしなければ自我が保てない。本当に愚かで残酷なことを平気でやってのける。わたしもその一人だった。


 だが兄は私が冷たくしようが暴言を吐こうが一切言い返すこともなく、優しいというか弱い部分は変わらなかった。私の散らかしたものを片付けたり、私が避けていたのに感づいていて、私が寝る支度を終えて部屋に入ったのを確認してからこっそり部屋を出て風呂に入ったりするようになった。それがまた私の嗜虐心を煽った。

 そうして繰り返される日常は、ある日あっさりと幕を閉じる。


 高校二年の秋、紅葉が綺麗な季節だった。

 とても優しい兄だったのに、神様は理不尽で残酷だ。私は理不尽で残酷な救いようの無い屑だ。

 ある日、私が学校から帰ってくると、置き手紙があった。

 色々と迷惑かけてごめんね。隆二を連れてお父さんとお母さん、出かけてくるね。あなたは強いから、きっと大丈夫。

 その書置きを最後に、両親は行方不明となる。

 次の日の朝になっても、両親はおろか兄も帰っては来なかった。階段を下りて、しんと静まり返った居間にぽつんと座る。動揺していた、何かあったのではないかと不安で何も手に付かなかった。誰かに相談しようにも祖父母はなくなっており頼れる親しい親戚は居ない。

 結局当時の担任に相談し、警察に捜索願を届けることになった。

 届け出た翌日の昼ごろ、昼休みに友人達とご飯を食べているときに担任が血相変えて私を呼びに来た。覚悟はしていた。

 職員室の中の応接間に入ってすぐに、それが家族の遺体発見の一報であったと知った。


 山中で車内に排気ガスを引き込んでの自殺だった。

 傍らには大量の睡眠薬が落ちており、その薬は母が通っていた心療内科で処方されたものであることが解った。母は重い鬱病に悩まされていたのだ。全く知らなかった。

 兄も鬱気味だったが、母のほうが病状は悪かったのだと後で知った。

 そして兄、隆二の身体には殴られたような痣が散見された。可能性としては誰かから暴力を受けていたのであろうということ。

 父は仕事で夜中しか家に居なかった。眠っている間に妙な物音で目覚めたことなど無い。

 そう考えれば、母しか暴力をふるえる人間はいなかった。兄は私にだけでなく、母からも、理不尽に攻め立てられていたのだ。

 目の前が真っ暗になる、激しい眩暈が私を襲う。

 そして何度も思う、兄は本当に死にたかったのか、母に着いていって、死のうと言われて素直に受け入れたのか?昔は違った、そう考える度吐き気が止まらない。馬鹿だ、そうさせて追い込んだのは間違いなく自分なのに、なんて残酷なことを。打ち消してもとめどなく溢れる考えは、兄が私にのこした最後の反撃だったのではないかとも思った。そう考える自分が何より恐ろしかった。

 そこまで弱っていた、限界だった兄に対して続けてきた仕打ちの数々。

 父は何故一緒に死んだのか。

 父はそんな家庭事情など知らなかったのではないか。

 空っぽになった心のまま、放心状態で殆ど面識の無い親戚の手伝いに任せて葬儀は始まる。見た目は綺麗な死に顔の三人の遺体が並ぶ。言葉が出なかった。

 参列した学校の友人たちからは哀れみの視線を受けた。

 兄の通っていた高校の制服を着た学生も数人訪れたが、バツが悪そうに終始うつむいたままで、香典を置いてそそくさと立ち去る者もいた。

 母の友人や父の会社の人間もつらつらと弔辞を述べては私に一礼して哀れみ去っていく。

 私はそれをただ漠然と見ていた。いや、眺めていたという方が正しいか。

 そこには何の感情も持てなかった。

 それよりも、家族が私だけを置いて死んでいったことが悔しくてたまらなかった。

 父が死んだ理由がわかったのは式が終わってひと段落した時だった。

 事業に失敗し、多額の借金を背負っていたということ。仕事が忙しくなったのは独立したからだと思っていたが、借金の返済に忙殺されていたのだ。

 結局手におえなくなり、自分の生命保険と引き換えに命を絶った。

 その証拠に、父には多額の死亡保険が掛けられていて、受取人は全て私になっていた。恐ろしかった。そこまで重大な出来事が家族に起こっていたことに全く気づかなかった。親戚に手伝いのお礼金を出して、借金を返済しても私立大学にしっかり行ける額だった。

 今までずっと恵まれていたのは、単に私が知らなかっただけ。本当は何も恵まれちゃいない、自分の価値観で物事を図っていただけで、本当はとんでもなく金銭も心も困窮していた家族。何があっても、家族という後ろ盾があればどうにかなると思っていた。それがお金に変わって一人この世に遺された。毎日笑って過ごす日々は、まやかしの如く消え去った。

 一度くずれたものは元には戻せない。


 葬儀が終わったあと、ようやく涙が出てきた。私は本当に一人ぼっちになってしまったと、だだっぴろい家の隅っこで泣き喚いた。けれどだれも助けになど来てはくれなかった。大丈夫かと慰める声も、いつも楽しそうでいいわねと褒める声も。昔はそばにあった筈の、父の大きな温い手も。

 全部無くなってから、漸く気づいた。私こそ死ぬべき人間だったのに。


「虫の音を聞くと、あの頃を思い出す。楽しかったあの頃、両親と兄とおばあちゃんの家族みんなで、仲良くわいわいはしゃいでいた幸せな日々を。だからあの音は、好きだけど、苦手」



    *



 湯に浸かり夕食を終えて外へ出ると、宿の前では振る舞い酒が配られていて、日本酒を頂く。

 口の中にじわりと広がる和の味と、どんどんと心臓に響く太鼓の音が祭りの雰囲気をより盛り上げていく。

 私と悠理は手を繋いで、祭り太鼓を叩く屈強そうな男達を見ていた。


「凄い人だね!昼間と大違い!」


「ね、私もこんなに凄いお祭りだと思ってなかったから、びっくり!」


 喧騒の中互いの声が聞こえるように声を張ってはいるが、二人の顔には笑顔が浮かぶ。道中買ったビールを飲みながら、きゃいきゃいと騒いで歩く。この祭りの象徴である鬼のお面を頭の後ろ側に付けて、宿の浴衣を着て、足元は貸し出してもらった下駄を履いて。カランコロンと鳴る下駄は終始楽しそうにリズムを刻む。仮装イベントも行われていて、有名なアニメのコスプレをしている人や、人気キャラクターをダンボールで作って被っている人がいて、その滑稽さに思わず笑ってしまう。


 心地よい夜だった。しゃんしゃんと楽しげな演舞の曲が鳴り響き、酒に酔った大人たちは満面の笑みでその場を行き交う。ごった返した歩道はすれ違うのも大変で、祭りの一本道の路肩には提灯のオレンジ掛かった灯りが祭りを彩っている。


「気持ちーね、私ここのお祭り好きかも」


「私も。亜純がいてくれるから、余計に楽しい」


 頬にキスをされ、私もキスを仕返した。だれも見ていない。こんなに大勢の人間がいるのに、二人だけの特別な時間が流れているような錯覚を覚える。腕を組んで、思い切り甘えて寄り添う。こうして過ごす時間の尊さを、私たちは知っている。


「ねぇ、そろそろ大群舞一般の部始まるみたい!」


「よっし、ビール一気飲みしよ!」


「…っはー!よし、飲んだ、踊るよ!悠理早くっ」


 悠理の手を強く掴んで走り出す。人にぶつからないように注意しながら駆け出す。踏み出す足の一歩一歩が何故だかスローモーションの様にゆっくりと感じる。酔っているからだけではない。大切な時間だと脳が認識しているから。

 車道全体が演舞のランウェイになっていて、その一本道をゴーカートの様に進んでは折り返して戻ってくる。どんどんと楽しげな太鼓の音と、前後で踊るどこかの宿のスタッフが盛り上げようと声を上げる。それに合わせて拙く踊る。路肩には沢山の人々が踊りを見学していて、時折ビデオカメラを構えている人もいた。その視線を受けながら一周し、戻ってくる頃には簡単な踊りが板についてきて、互いにちょっかいを出し合いながら回っていく。


「よっよいのよい!」


「ひゃっ!お尻触るな!」


「あはは!亜純なにその声!!」


 腹を抱えて笑い合う、こんなに楽しくて心躍るお祭りは何年ぶりだろうか。大人になってから、こんなにはしゃいだことも無いな、と私は思った。


 田舎道は先が見えない一本道で、ぼんやりとした温かい灯りは私と悠理を包み込む。人々の笑顔と熱気がそれに呼応するように膨らんでいく。まるで夢の国のように思えた。普段の生活している場所とはかけ離れた、時間にも仕事にも追われることの無い、幻想的な浮かんだ世界。夕日色の終わることの無い世界。


 そういえば、悠理がそうだったように、私の近所にもたまに遊びにやってくる男女二人の兄弟が居た。名前は忘れてしまったけど、女の子は活発で元気な子で、兄の方は大人しそうに見えたけども運動神経が良くて、鬼ごっこしたらすぐ捕まえられたっけ。私はその何個も年上の男の子に好意を寄せていた。優しくてカッコ良かったから、会うたび好きだなぁと思っていた気がする。もう覚えていないけど、小学校の中学年に上がる頃には町内で遊ぶ回数も減って、その二人とも会わなくなっていた。

 ただ、その二人も悠理と同じ様に、夕方になれば両親が迎えに来ていた。母の腕にしがみつく女の子と、それを見つめる母の優しい瞳。父と息子は何も言わずに歩いていく。夕日に向かって溶け込むように歩いていく、そんな後姿を思い出して、悠理もあんな感じだったのではと思った。


 感傷的にさせる灯り。温かくて切ない、そんな不思議な灯り、色。

 その色を一身に受け、私たちは踊り騒ぐ。じんわりと汗がにじむが、額の汗を手の甲で拭うともっと騒いでやろうと心が騒ぐ。

 この時間が、一生続けばいいのに。

 ただ今は全てを投げ出して、悠理が隣にいる幸せをかみ締めた。


 時刻はまだ九時。祭りはまだまだ続いていく。



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