3 煮え切らない
バーを出た私たちはコンビニで適当に酒を購入して、近隣にあるホテルに入った。
ベッドの上で軽く飲みなおす。そうして酩酊を増した浮ついた脳みそを多幸感で満たすようにそのまま抱き合った。
もうそうなることが決まっていたかのように、私たちは互いを求めた。強烈な快楽に思考が流され、何度も情欲が沸き上がってはそれを満たすように、呼吸すら逃したくないと食らいつくす。久しぶりに感じた人の体温は暖かく、私の中にあったがらんどうを埋めてくれたようにも思えた。
丑三つ時を過ぎた頃。心地よい疲労感と微睡の中、悠理の滑らかな肌に刻まれたものに視線を向ける。
二等辺三角形のような図形の中に、黒い点が一つある。よく見るとダリアの花のような模様が刻まれていて、まるでフラスコに入れられた宝石のようだった。でもフラスコの入口は無く、ぴったりと閉じられている。
そんなタトゥーが悠理の二の腕に刻まれている。
手を伸ばしてダリアの模様に触れると彼女は笑って「もう随分前に入れたの」と言った。
今度は私の内腿へと手が伸びてきて、薄くついている自傷痕をなぞる。
感情を抑えるように、何度も剃刀で切込みを入れた過去。今は暗い所でかろうじて解る位の跡になっている。
「これも、随分前よ」
「ふふ、お互い傷物だ」
撫でつける手は止まない。薄らと笑みながら、恍惚ともとれる表情を浮かべて。湧き出すような色気に当てられたように、どろりと自分の心が溶けていく。頬に触れ、引き寄せ、唇を奪う。
まるで悪魔と契約をしたみたいだな、と思った。
***
「ん…」
ピピピ、とけたたましく鳴り響くアラームの音に、浮上した意識が酷い頭痛を感知して訴えてくる。身体もひどく怠くて鉛のようだ。あぁ、当然か。
何とか上半身を起こして枕元のパネルをいくつかタッチする。漸く音が止まると、隣にいた悠理が寝返りをうってこちらを見上げた。
「おはよう、眠い」
「うん、それに怠い」
ベッドに潜った私はすぐさま悠理に抱き込まれ、彼女の肌に耳をつける。
「ねぇ、私のこと好き?」
「好き。亜純は私が好き?」
「うん、好き」
「両想いだね」
強請るように甘えてみれば、悠理ははっきりと肯定はしないものの嬉しそうに微笑んだ。私はちくりと痛む胸に気づかないふりをして、甘えついでに重い感情を零す。
「やっぱり、付き合ってくれないの?」
「私はすぐに居なくなるから。だから、亜純は私に縛られずにいろんな人と遊んでね」
「…どうしていなくなるの?」
「まだ秘密だけど、いずれ話すね。誰にも言ってないから、言うのは亜純が初めてだよ」
「…わかった」
突き放すくせに、同じ口で私を特別だと悠理は言う。
この時私はまだ〝大切な人のために長生きしよう〟と思い直して貰えるかもしれない、と期待していた。だから今はまだいいと思った。関係はまだ始まったばかりなのだから。
それでも湧き上がってくる私の感情は、もっと必要とされたいという欲からくる寂しさだ。これを飼い馴らせるかという不安は過ぎる。
私が居ても彼女を変えたり、楽しませることが出来ないのだろうか。
それ以前に、彼女が私のことを必要としてくれるのだろうか。その不安の方が大きかった。
「私、必要とされないと辛くなりそう」
ぽろりと漏れた本音に、悠理がふっと笑う気配がした。
「亜純がそうされたいのなら。私は亜純が必要。でもそのうち、私が必要とする〝必要〟がなくなるかも」
私にはその言葉の本質がわからない。ただ悠理が居なくなった後に私が憂うことを気に掛けてくれているのはわかる。
それがわかるだけでいいか、どのみち行きつく最後の答えは変わらないのだ。
「すき、悠理」
このもやもやとした先の見えない道のりを、私は進むと選んでしまった。
勢い任せの行動を後悔しないように、悠理の心臓にもう一度耳を当てて鼓動の音を聴く。感情を宥めすかす。
素肌が触れ合う熱と心地よい心音に離れがたくなりつつも、何とか目をこすって顔を上げた。
チェックアウトの時間が迫っている。
***
「じゃぁ、またね」
「うん、また連絡する」
いつものように笑って手を振る。いつものように笑って手を振り返される。
そうして悠理と街中で別れ、真っ直ぐ自宅に帰った後、少し休んで身支度を整えてからまた家を出る。行先は友人宅。地下鉄で一駅、なんなら歩いても行ける距離にその友人は住んでいる。
「さとみ、ごめんね早く来ちゃって」
「いいよ。あがって。お昼食べてないんでしょ?」
私の疲れた顔を一瞥し、呆れたように息を吐いた。ショートボブはいつもきっちりセットされていて、クールな友人の雰囲気に似合っている。流している長い前髪はまつ毛に乗って、瞬きのたびに少し揺れた。いつも彼女がつけている香水がふわりと香る。その全てに、なんとなく現実へ戻ってきたような心地になった。デザイナーである彼女はもちろん、その彼女を取り囲むもの全てが洗練さているようで心地よい。
テーブルには一輪挿しの花瓶にダリアが飾られており、目を奪われる。あのフラスコの宝石を思い出しつつ、クリーム色のソファーに腰を下ろすと「準備するから座ってて」と言い残して彼女は台所へと姿を消した。
さとみには、私がまた厄介ごとを抱えてきたとわかったのだろう。
昼食はシチューだった。優しい味とこんがり焼いたフランスパンの相性は最高で、思わずおかわりを要求してしまう。元気じゃん、と笑われながらも平らげて、代わりにと食器洗いを買って出た。洗い物を片付けている間にコーヒーを淹れてもらい、ソファーに二人で腰を下ろして一息つくと、私は悠理とのことを話し始めた。
最初は軽い相づちを打ちながらのんびり構えていたさとみだったが、だんだんと目が据わってきて、話し終わる頃には相槌も打たずに無言になる。またろくでもない女に引っかかったなと咎められているのが視線からひしひしと伝わってきて、思わず苦笑いで返した。
「まったく、本っ当に懲りないわね」
「…返す言葉もありません」
「はぁ…。まぁ言わずもがな、すごく難しい関係だと思う。恋愛のくくりでいいのかも正直わからない」
「うん、それは私も思ってる」
「亜純、次の恋愛こそは幸せになるって言ってたでしょう?なんで歴代一位と言っても過言じゃなさそうな凶悪な女にいってるのよ。しかも話を聞く限りだと、その悠理って子は相当食えない女ね。亜純の気持ちを分かったうえで良いように利用しているとしか思えない。亜純もそれは分かってるよね。そんなところにわざわざ飛び込む必要なんてないじゃない。色々とまともじゃない。深入りしない方がいい」
真正面から正論をぶつけられて、大人しく頷く。確かにその通りなのだ。それでも悠理の言葉一つ一つに高尚な意味があるのだと感じてしまうし、辛いとわかっていても彼女を知りたいと思ってしまう。タチが悪い、まるで麻薬だ。理屈ではわかっているのに、一度火のついた想いはなかなか消えてはくれないのだ。
「理屈では分かってるんだけどね。あーもう、なんでそういう人ばっか好きになるかなわたし…」
「前世で相当女泣かせたんじゃない?因果応報かもよ」
「怖い事言わないで。はぁ、でも毎回こんな話に付き合ってくれてありがとう」
「いいのよ、毎回面白がって聞いてるから」
さとみはにやりと笑ってみせるが、その目はいつも優しい。毎回同じ様なことを繰り返す私をうんざりしつつも、見放さないでいてくれる。
「もう…また進展があれば話すね。もしかしたら自分が変われるきっかけになるかもしれないと思うから、もう少しだけ頑張ってみる」
「止めても無駄だってことはわかってるからいいよ。けど、本当にダメになりそうなら無理矢理引きはがす。もう昔みたいな亜純は見たくない」
「ごめんね、全く成長できてない」
「卑下しない。少しずつ変わってきてるよ、昔の亜純は必要以上に自分自身を傷つけてたけど、今は違うでしょ。もっと自分を大切に、ね」
この甘えん坊め、と呆れながらも頭を撫でてくれるさとみが大好きだ。彼女が恋人だったらさぞかし幸せなのだろうと思うが、生憎私たちの間に恋愛感情が生まれたことは無い。
はっきりと意見を言ってくれる友人というのは少ない。だからこそ大切だと思う。
「あー、さとみって付き合ったらスパダリになりそう」
「なりそうじゃない、なるのよ」
笑い合いながら、どちらが早く恋人をつくれるかなんて軽口をとばしつつ、時間は過ぎていく。
外は、雨が降り出していた。
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