その横顔をみていた (改稿版)

 

「そうだ、木田ちゃんは誰か気になる人とかいないの?」

 

 専門学校の帰り、ファストフード店の地下一階でクラスメート数人と昼飯を食べていた時の事だった。女子のひとりがそう言った。

 僕はその言葉を聞いて(また始まった……)と思った。

 と言うのも、これがいつもの話題なのだ。みんなと来たら1にも2にも恋愛、恋愛。楽しくないわけじゃあないけれど、それしか話題はないのかねって思う。

 木田ちゃんと言うのは、僕の1つ年上の男の子だ。年上に「子」なんてって思うかもしれないけど、木田ちゃんはなんていうか……年下気質なのだ。どちらかと言うと気が弱くてしおらしく、でも変にアグレッシブな所があって。ちょくちょくみんなの、特に女子のおもちゃとして可愛がられている。

 昼飯を食べながらの単なる日常会話だ。この後みんなでカラオケに行ってワイワイ騒ぐ、それまでの繋ぎ。突っついた所で、面白い話なんてそうそう出てくるわけがない。それはたぶんみんなの共通認識だった。だけど……。


「あの……僕、沢村さんの事が気になってて……。」


 木田ちゃんの思わぬ言葉に、みんなが一斉に好奇の目を向けた。漫画だったら「ざわっ」という効果音がついたに違いない。

 沢村さんというのは同じクラスの20代の女の人だ。目鼻立ちがはっきりとしていて華やかな顔立ち、そしてそれが映えるような少しエキゾチックなメイク。身長は僕の肩くらいだろうから、160センチ前後か。服装はいたってシンプルで、あまり派手な色や露出のある服を着ているのは見た事がない。穏やかな人で成績も良く優等生タイプなのかと思いきや、不意に狙いすましたかのようなタイミングでくだらない事を言ってみんなを笑わせる。

 みんなが彼女に一目置いていて、そしてそれを彼女自身分かっているんだろうなぁと僕は思っている。ほんの半年ほど前まで高校生だった僕には、沢村さんはとても大人な女性に映った。彼女はすでに成人していて実際大人ではあるんだけれど、そういう表面上の年齢じゃなく、精神的に “大人”に見えたんだ。もしかして、木田ちゃんもそういう所に惹かれたんだろうか。


 みんなは食事の手を止めて、まるで芸能レポーターのように木田ちゃんに次々に質問をぶつけた。

「好きになったのはいつ頃?」

「見た目? 性格?」

「あの人彼氏いないの?」

「そういえば仲良さそうに話してるよね。脈ありそう?」

「ねえねえ、いつ告白するの?」

 とまぁ、それはそれはすごい勢いだ。

 木田ちゃんはそれらひとつひとつに、困った笑顔を浮かべながら丁寧に答えていった。

 僕は木田ちゃんやみんなを適当に茶化しながら、ぼんやりと沢村さんの横顔を思い浮かべていた。

 僕の記憶の中の沢村さんは……煙草を吸っていた。場所はどこだったかよく覚えていない。

 手に持っていた箱はピアニッシモ、いやバージニアだったと思う。彼女はそれを弄びながら、学校では見せないような気だるげな表情を浮かべていたんだ。 

 これは僕以外の誰も……たぶん木田ちゃんですらも見た事がない、沢村さんの姿だ。

 歓声と笑い声。ここは禁煙席だけど、みんなの熱気はまるでタバコの煙のようになって、僕たちを包み込んでいた――。


「お昼さ、なんであんな事言ったの?」

 その日の帰り、電車の中で僕は木田ちゃんに問いかけた。

 京王線の各駅停車は幸い空いていて、僕達はゆったりと座る事が出来ていた。今は僕たち二人だけ。みんなとは新宿で別れた。

「だってさ、みんな面白がるなんて分かってた事じゃん?」

 木田ちゃんは僕の問いに、お昼の時と同じで困ったような笑顔を浮かべながら答える。

「うーん……そうですよね。入学してからああやってしょっちゅうみんなでご飯食べてますけど、みなさん色恋話、好きですもんね。」

「だろ? 『やった、面白いおもちゃ見つけた~!』みたいな感じだったぜ?」

「あはは。それはそれで僕としてはいいんですけどね。」

 と、木田ちゃんは小さく笑いながらそう言うと、不意に表情を曇らせた。

「でもまさか……あんな感じになるとは思ってなかったです……。」

 僕には、木田ちゃんのその言葉の意味が痛いほどによく分かるのだった。


 実はあの後、木田ちゃんはみんなから、特に女子から「あの人はやめた方がいいよ」と強く忠告を受けていたのだ。

 どうやら彼女達の中で沢村さんはすこぶる不評らしい。曰く、沢村さんはすごく「ウマイ」女性に見えるんだそうだ。「みんなに良い顔をしているようで、実は自分の利益になる人間しか周りに置かない」とか、「あのメイクやファッションは、先生からの評価を上げるためにやってるんだよ」とか。ねたそねみがかなり入っているような気もするけれど、沢村さんのあの横顔を思い返すと、あながちウソとも言い切れなかった。


「あの人と僕が釣り合わないっていうのは分かるんですけど……。でもまさか、あの人があんな風に見られていたなんて思いもしなかったので……。」

「あぁ……うーん……そうだよなぁ……。」

 次の言葉を探すも見当たらない僕と、何か考えこんでいる様子の木田ちゃん。

 電車は桜上水さくらじょうすいに到着し、ただでさえ少ない乗客は急行に乗り換えようと降りてしまって、今この車両に残っているのは指で数えられるくらいになっていた。顔を真っ赤にして寝ているスーツ姿の酔っ払い。音楽を聴きながら面倒そうにスマホをいじっている女の子。離れた所には携帯ゲームを熱心にプレイしている学生たち。

 いっそ話題を変えてしまおうか。そんなことを考えていると、「あの……」と、木田ちゃんが口を開いた。

「さっきの質問の答えなんですけど……。」

「え?」

「なんであんな事言ったんだーってやつです。」

「ああ……。」

 そう言えばそんなことを聞いたんだったと、僕は思い出した。

 すると、木田ちゃんは少し俯き加減で話し出した。

「僕、好きな人に告白ってしたことないんです。

 ……あ、今までも好きな人はいたんですよ? いたんですけど、どうせ告白しても無理だよなぁって最初から諦めていたというか……。

 でも、沢村さんは今までの人と違うんです。諦めようって何度も思ったんですけど、どうしても諦め切れないんです。」

「うん。」

「なのに、いざ沢村さんに言おうと思っても、どうしても一歩踏み出せないっていうか……怖いっていうか……。」

「それは……分かる気がする……。」

「だから、みなさんに先に言ってしまって、もう告白せざるを得ない状況を自分の中で作ってしまえ!っていうか……。とにかく、なにかこう、パワーみたいなのが欲しかったんです。自分勝手な話ですけど……。」

 僕は絶句した。まさかそんな風に考えていただなんて。木田ちゃんのそれは、僕にはまったく無い発想だった。そして実際にみんなへ発表してしまった木田ちゃんを、僕は素直に凄いと思った。

「……すげぇな……木田ちゃん……。」

 と、僕はやっとのことで言葉を絞り出した。

「いや、凄くなんてないですよ。だってみなさんに言わないと行動できないだろうって考えてるんですから。情けない限りです。」

 木田ちゃんは申し訳なさそうに、そして照れくさそうに微笑んだ。


 千歳烏山ちとせからすやまへの到着を告げるアナウンスが流れる。「あ、そろそろだ」と言って木田ちゃんは立ち上がり、網棚に置いておいた緑色のリュックを掴んだ。

「ありがとうございました。こうして話してたら、何だかちょっと楽になりました。」

「あぁいや大したお構いも出来ず。」

「それ、使う場面違いません?」

「うるさいよ。」

「あはは。」

 駅のホームが近づき、電車がスピードを緩めてゆく。木田ちゃんは慌てて吊革に捕まって、体が流れそうになるのをギリギリでこらえた。

「木田ちゃんさ。」

 と、僕は声を掛けた。

「なんですか?」

 と、木田ちゃんが言った。

 座席に座ってタメ語の僕と、目の前に立って敬語の木田ちゃん。この絵面で、まさか立っている方が年上だなんて思う人はいないだろう。そんなことを僕はふと思ってしまう。

「女子の言った事、あんまり気にすんなよ。あれはヒガミみたいなものなんだから。」

「……はい。そうします。」

 やがて電車は、キイイと音を立てて止まった。ただ、停止線よりも前に行き過ぎたのか、少しだけバックして位置を調整してゆく。

「上手くいったら赤飯だなー。」

「最後で茶化さないでくださいよ。」

「ひひひ。」

 ぷしゅー。きんこんきんこん。

「じゃあ、お疲れ様でした。」

「うん。おつかれー。」

 軽く会釈をして、木田ちゃんは電車を降りていった。

 ぷしゅーっと扉が閉まり、電車は再び走り出す。僕は電車の揺れに身を任せつつ、思いを馳せる。木田ちゃんの事。沢村さんの事。みんなの事。僕自身の事――。

 向かいの窓に自分の顔が反射している。

 たたんたたん。

 窓から見える家、木、電柱、お店の看板。さっきまでハッキリと映っていた自分の顔は、一瞬で通り過ぎていくそれらの姿と重なり、ぼやけ、そしてやけに苦しそうにゆがんでいったのだった……。


 それから2日後。

 今日の授業が終わり、僕は近くのオフィスビルの裏手にある自販機で、あったかい缶コーヒーを買っていた。350ml入りのでっかい缶コーヒーはここでしか売っていない。

 だいぶ甘めなそれをまず一口飲み、みんなと合流するために歩き出そうとすると、すぐ近くにあるコインパーキングで誰かが立ち話をしているのが目に入った。

 

 木田ちゃんと、沢村さんだった。


 沢村さんの表情は良く見えないが、木田ちゃんは真剣そのものといった感じだ。

 僕は咄嗟に自販機のそばに身を隠した。これはヤバいシーンに出くわしたと思ったんだ。

 別に2人のそばを通り過ぎなきゃいけないわけじゃないし、このまま立ち去ったってバレやしない。そう思いはしても、どうしてもここから動き出す事ができなかった。

 僕は激しく後悔していた。缶コーヒーのサイズだとか20円安いだとか、そんなケチくさい事を考えずに、おとなしく学校の自販機で買っておけば……。

 そんな事を考えながらチラチラと様子をうかがっていると、沢村さんが首を小さく横に振っているのが見えた。木田ちゃんはしばらくそのままでいたけれど、やがて申し訳なさそうに会釈をして、沢村さんの元から立ち去っていった。幸いにも僕のいるのとは反対の方向へと。


 あぁ見なきゃよかったと、僕はまたも後悔をした。よく飲んで慣れているはずのこの缶コーヒーのやたら甘ったるい後味が、今日に限ってやたら不快に感じる。

(こんな甘いのなんか飲めるか……!)

 僕はブロック塀の上にまだ熱いままの缶コーヒーを置いてその場から立ち去ろうとした。


 ……その時だったんだ。


 僕の視界に、沢村さんが煙草をくわえる姿が飛び込んできたのは。

 僕は思わず足を止めて、彼女の仕草に見入ってしまった。

 小さな横顔が赤い炎で隠れる。面倒くさそうに、気だるそうに煙を吐き出す。伏し目がちな眼差し、煙が漏れる唇、煙草を挟む細い指。

 沢村さんの立ち姿、表情、仕草、漏れるその息ですらも、どうしようもなく魅力的で……暴力的で……官能的で……。僕は心の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。


 僕は木田ちゃんを妬んだ。そして羨んだ。


 だって僕は、彼女のそんな横顔を、ただこうして見つめる事しかできないのだから。

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その横顔をみていた 長船 改 @kai_osafune

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