その横顔をみていた
長船 改
その横顔をみていた (旧版)
専門学校の授業が終わり、クラスメート数人とファストフード店の地下1階でお昼ご飯を食べていると、そのうちのひとり――木田君――が突然こう切り出した。
「僕、沢村さんの事が好きなんです……。」
みんなが一斉に木田君へ好奇の目を向ける。
沢村さんというのは同じクラスの20代の女性だ。目鼻立ちがはっきりとしていて華やかな顔立ち、そしてそれが映えるような少しエキゾチックなメイク。服装はいたってシンプルであまり派手な色や露出は好まない。穏やかな人で成績も良く優等生タイプなのかと思いきや、不意に狙いすましたかのようなタイミングでくだらない事を言ってみんなを笑わせる。
みんなが彼女に一目置いていて、そしてそれを彼女自身分かっているんだろうと僕は思う。ほんの半年ほど前まで高校生だった僕には、沢村さんはとても大人な女性に映った。彼女はすでに成人していて実際大人ではあるんだけれど、そういう表面上の年齢とは関係なく、”大人”に見えたのだ。僕と同い年の木田くんの目にも、同じように映っていたに違いない。
みんなが矢継ぎ早に、まるで芸能レポーターのように木田君へ質問をする。
「いつ頃から好きになったの?」「見た目?性格?」「あの人彼氏いないの?」「いつ告白するの?」などなど……。
それらひとつひとつに、困った笑顔を浮かべながら、でもどこか嬉しそうに木田君は丁寧に答えていった。
僕は木田君やみんなを適当に茶化しながら、不意に沢村さんがタバコを吸っている姿を思い出していた。手に持っていたのはピアニッシモだったっけ……いや、バージニアのワンだったか。
歓声と笑い声。ここは禁煙席だけど、みんなの熱気はまるでタバコの煙のように僕たちを包んでいた。
「なんであんな事言ったの?」
その日の帰り、電車の中で僕は木田君に問いかけた。京王線の各駅停車は幸い空いている。みんなとは新宿で別れ今は僕たち二人だけだ。
「だってさ、みんな面白がるなんてわかってた事じゃん?」
木田君は僕の問いに、やはり困ったような笑顔を浮かべながら答える。
「うーん……そうですよね。入学してからああやってしょっちゅうみんなでご飯食べてますけど、みなさん色恋話、好きですもんね」
「だろ?やった!面白いおもちゃ見つけたー!みたいな感じだったぜ?」
「あはは。それはそれで僕としてはいいんですけど、でもまさか……あんな感じになるなんて思ってなかったです。」
そう言って、木田君は顔色を曇らせた。
実はあの後、木田君はみんなから、特に女子から「あの人はやめた方がいいよ」と強く忠告を受けていたのだ。
男性陣なんかは、木田君と沢村さんが釣り合うのかどうか、という視点での忠告だったけれど、女性陣は違った。
どうやら彼女達の中で沢村さんはすこぶる不評らしい。曰く、沢村さんはすごく「ウマイ」女性に見えるそうだ。みんなに良い顔をしているようで、その実、自分の利益になる人間しか周りに置かない……とか、あのメイクやファッションは好きでやってるんじゃなくて、先生からの評価を上げるためにやってるんだ……とか。
「あの人と僕が釣り合わないっていうのは分かるので仕方ないよなって思うんですけど……なんていうのかな。あの人の事、悪く言われるなんて思ってもみなかったので……。」
「あぁ……うーん……そうだよなぁ……。」
次の言葉を探すも見当たらない僕と、何か考えこんでいる様子の木田君。
電車は
顔を真っ赤にして寝ているスーツ姿の酔っ払い。音楽を聴きながら面倒そうにスマホをいじっている女の子。離れた所には携帯ゲームを熱心にプレイしている学生たち。
いっそ話題を変えてしまおうかと思案していると、「あの……」と、木田君が口を開いた。
「さっきの質問の答えなんですけど……」
「え?」
「なんであんな事言ったんだーってやつです。」
「ああ……」
そういえばそう言って切り出したんだったと、僕は思い出した。
「中学とか高校の時に好きになった人も何人かいたって言えばいたんですけど、告白はしたことなかったんです。どうせ告白しても無理だよなぁって最初から諦めていたというか……。
でも、沢村さんは今までの人と違うんです。諦めようと何度も思ったんですけど、どうしても諦め切れないんです。」
「うん。」
「なのに、いざ沢村さんに言おうと思っても、どうしても一歩踏み出せないっていうか……怖いっていうか……。」
「それは……分かるかもなぁ」
「だから、みなさんに先に言ってしまって、もう告白せざるを得ない状況を自分の中で作ってしまえ!っていうか……とにかく、なんていうか、パワーみたいなのが欲しかったんです」
僕は一瞬言葉を失ってしまった。まさかそんな風に考えていただなんて。僕には無い発想だった。そして実際にみんなへ発表してしまった木田君を素直に凄いと思った。
「……すげぇな……木田君……」
やっとのことで言葉を絞り出した。
「いや、凄くないですよ。みなさんに言わないと行動できないだろうって考えてるんですから。情けない限りです。」
木田君は申し訳なさそうに、照れくさそうに、微笑んだ。
「ありがとうございました。話してたら何だかちょっと楽になりました。」
「あぁいや大したお構いも出来ず。」
「それ、使う場面違いません?」
「うるさいよ。」
「あはは。」
駅のホームが見えてくる。電車がスピードを緩める。
「木田君さ」と僕は声を掛けた。
「なんですか?」
「女子の言った事、あんまり気にすんなよ。あれはヒガミみたいなものなんだから。」
「……はい。」
電車がキイイと音を立てて止まる。
「上手くいったら赤飯だなー。」
「最後で茶化さないでくださいよ。」
「ひひひ。」
ぷしゅー。きんこんきんこん。
「じゃあ、お疲れ様でした。」
「うん。おつかれー。」
軽く会釈をして木田君は電車を降りていった。
ぷしゅーっと扉が閉まり電車が再び走り出す。僕は電車の揺れに身を任せつつ思いを巡らせる。木田君の事、沢村さんの事、みんなの事、自分の事――。
向かいの窓に自分の顔が映る。電車がスピードを上げる。タタンタタン。
窓から見える家、木、電柱、お店。一瞬で通り過ぎていくそれらの姿に、さっきまではハッキリと映っていた自分の顔とが重なり、ぼやけ、そしてどこか苦しそうにゆがんでいった。
それから2日後。僕は授業後に、近くのオフィスビルの裏手にある自販機であったかい缶コーヒーを買って飲んでいた。すると近くのコインパーキングで立ち話をしている木田君と沢村さんを見かけた。
やばいシーンに出くわしたと思い、自販機のそばに急いで身を隠した。くずかごはここにしかない。ここで飲んでここで捨てるしかない。やっちまった。たった20円くらいケチらずに学校の自販機で買っておけば。
そんな事を考えながらチラチラと様子をうかがっていると、沢村さんが首を微かに横に振っているのが見えた。そして木田君は申し訳なさそうに会釈をして、去っていってしまった。沢村さんの視界から外れるまでの間、やたらと胸を張って歩いていたのは木田君なりの気遣いか、精一杯の強がりだったんだろう。
あぁ見なきゃよかったと後悔し、僕はブロック塀の上にまだ熱い缶コーヒーを置いてその場から立ち去ろうとした。
その時だったんだ。
僕は、彼女がタバコを口にくわえ火をつける姿を目にしてしまい、思わず足を止めてしまった。
小さな顔が赤い炎で隠れる。面倒くさそうに、気だるそうに煙を吐き出す。伏し目がちな眼差し、煙が漏れる唇、タバコを挟む細い指。
僕は木田君を妬んだ。恨んだ。だって僕は、そんな彼女の横顔をただただ見つめる事しかできないのだから。
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