知っているからこその怒り

「―――っ!!」



 拓也の怒号が大音量で鼓膜と心を揺さぶってきて、実は大きく顔を歪める。



(もし、母さんが助からなかったら…?)



 それを想像した瞬間、怖くてたまらなくなった。



 涙を浮かべて震える実にいち早く気付いた尚希は、実の隣に腰かけると、その華奢きゃしゃな体をそっと抱き締めてやる。



「周りがいくらお前のせいじゃないって言ってもな……少しでも自分が関わってたら、子供は自分を責めるもんなんだよ。」



 拓也の声が、大きく揺れる。



「状況的に仕方なかった? それが、なんの免罪符になるってんだ。母さんに直接許してもらえなければ、罪の意識は消えない。謝ることもできずに永遠の別れなんてことになったら、死ぬまでこの罪悪感を引きずっていくしかないんだぞ。それが、どれだけつらいと思って…っ」



 レイレンの胸ぐらを掴む拓也の手が、紙のように白くなっている。

 血を吐くようなその叫びで、何故拓也がここまで怒っているのかを理解する。



 知っているから許せないのだ。



 彼と同じ地獄―――自分のせいで母親を追い詰めて死なせてしまった罪悪感に苦しむ生き方を、他の誰かに背負わせたくはないから。



「お前は……ただでさえ苦しんでる実に、こんなにもひどい追い打ちをかけるのかよ!?」

「―――っ!!」



 その時感じたのは、周辺の空気がいびつに揺らぐ気配。



「拓也……だめ!」



 異変を察知した実が叫ぶも遅い。



 地面が大きく揺れ、爆音が室内にとどろく。

 暴発した拓也の魔力が、炎をちらつかせて陽炎かげろうのようにその身を包んだ。



 炎と共に現れた槍を握る拓也は、対照的に静かな水面みなものような瞳でレイレンを睨みつける。



「ぐっ…」



 槍を握っていない方の手が、レイレンの首元を容赦なく締め上げていく。



「拓也!!」

「おい、落ち着け!!」



 実と尚希がそれぞれに制止の声をあげるが、拓也にはまるで届かない。



 だめだ。

 怒りで完全に我を忘れている。



(どうしよう…っ)



 実は息を飲む。



 どうにかして拓也を止めなければ。

 このままでは、拓也がレイレンを殺してしまいかねない。



 一度は自分を守るために人を殺しているのだ。

 拓也はきっと、自分を守るためなら躊躇ちゅうちょなどしない。



 肉体だろうと心だろうと、自分が傷ついていることに変わりはないから。



(俺が……俺が止めなきゃ…っ)



 実は奥歯を噛み締めると、弾かれたように尚希の腕の中から飛び出した。





「―――――ティル!!」





 後ろから拓也にしがみつき、祈る思いで彼の本当の名前を呼ぶ。

 すると―――



「………っ!」



 拓也がハッと目を見開いた。

 それと同時に、その全身からほとばしっていた魔力と炎が嘘のようにやわらぐ。



「お願いだから、もうやめて。大事な人どうしが争うのなんて、見たくない…っ」



 訴える実は必死だ。



 拓也の服をぐしゃぐしゃに握る手には震えるほどの力がこもっていて、実がこの先の展開をいかに恐れているかがうかがい知れる。



「実…」

「………っ」



 なかば茫然としている拓也に、実は怯えた顔で首を横に振るだけ。



 ここは、どうか抑えてくれ。



 行動で一生懸命にそう伝えてくる実を見つめる拓也の瞳に、複雑極まりない懊悩おうのうが浮かぶ。



「―――……っ」



 悔しげに唇を噛む拓也。



 その体の震えが一際大きくなって―――拓也は、乱暴な手つきでレイレンを解放した。



「……悪い。ちょっと……私怨が入った。」



 口では自分の非を認める拓也だったが、それがギリギリの理性で絞り出した建前であることは明らかだった。



「ごめんな。無理させた。」



 拓也はすぐに実へと向き合い、優しくその頭をなでた。



 レイレンに向けたものとは違う、穏やかな口調。

 なんとか、暴走は止められたようだ。



 安心した実は、ずるずるとへたり込みそうになる。

 その体を拓也がすぐに支えて、二人はベッドへと戻った。



「………っ」



 実をベッドに座らせた拓也は、きつく目元を歪める。

 そして、誰かに何かを言われる前に、彼は足早に部屋を出ていってしまった。



 やはり、すぐには激情を消化できないようだ。

 それも仕方あるまい。



 トラウマを刺激されることがどんなにつらいかは、自分だって痛いほど分かる。



 誰も何も言えずに黙り込む。

 そこに満たされた沈黙は、息ができなくなるほどに重たかった。


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